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選手層の薄さを補う指標の一つとして参考までに安打死球率
親愛なるアッティクスへ

最近の福岡ソフトバンクホークスについて目につくのは、毎度、お決まりの後半での救援投手陣崩壊で敗北・・・というパターン。
こういう試合が続くと、「またかよ」となり、球場に足を運ぶのが億劫になる・・・という、まさしく、かつてのクラウンライターライオンズ状態・・・ですが、こと、ホークスの構造的欠陥としては、以前から申し上げた来たように、「選手層の薄さ」にあると思うのですが、この点で、打者にとって、長期離脱になりかねない死球というものを避けるという意味で、その選手が、どれだけ死球をかいくぐりながら安打を打ったか・・・という安打死球率というのを出してみました。
これを過去の名選手たちに当てはめてみると、まず、長距離砲ほど率は高くなるという傾向があるようで、これは、投手から見れば強打者を封じる為にはやむを得ない戦法だとも言え、逆に言えば、強打者と死球は避けて通れない関係であるとも言えるでしょうか。

で、本塁打と言えば、世界の本塁打王・王 貞治氏ですが、この人は、114死球/2786安打で4.0%、同じく、野村克也氏が122/2901の4.2%ですから、ほぼ、この辺が本塁打打者の数字ではないかと。
となれば、私が子供の頃の本塁打打者でとにかく死球の印象がある田淵幸一氏・・・は、やはり8.3%で、最近で目立っていた清原和博選手は何と9.2%でした。
特に、田淵氏は、死球によって、結構、生死の境をさまよったり、シーズンを棒に振ったりしてましたので、もう少し、避ける技術を磨くべきだったのではないか・・・と。

逆に、塁に出したくない俊足の選手は低くなる傾向があるようで、世界の盗塁王・福本 豊氏は1.7%、その他、広瀬淑功氏は1.8%、柴田 勲氏は2.3%・・・。
この点では、強打者でありながら、2%台をキープしている落合博満、張本勲、山本浩二氏などは死球を避けるのが上手かったと言えるのでしょうが、張本氏や山本氏などは俊足でもあったことから、強打者ではあるけれど、塁に出したくない選手でもあったわけで、この辺は、死球封じの参考になるのかもしれません。
意外だったのが、連続試合出場の衣笠祥雄氏の6.3%という高率・・・。
この人の場合、すべての死球を避けようとするのではなく、当たる角度を出来るだけ鋭角にして致命傷を避けることに意を注いだ結果とも言え、誰にでも出来るものではないものの、最悪を回避するという意味ではこれも一つの方法だと言えるでしょう。

で、この数字で特筆すべきは、何と言っても、長嶋茂雄氏の1.7%・・・。
この人の場合、「動物的直感」で避けるのも上手かったのでしょうが、最後の方になると、殆どの日本人選手にとっては「憧れの長嶋選手」だった・・・ということもあるのでしょうね(笑)。
もっとも、長嶋さんと同世代の中西 太氏は巨体に似合わず1.3%、豊田泰光氏は1.1%、川上哲治・大下弘という戦中派は共に1.9%でしたから、昔は全体に低かったのかもしれませんし、投手が打席に立たないパ・リーグと打席に立つセ・リーグとではまた、違った結果が出るのでしょう。
参考までに、的が小さいという点で言えば小柄な若松 勉氏は2.9%、でもって、現役のイチローはと言うと・・・、意外に3.1%(昨年時点)でした。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-04-23 17:21 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

山本浩二選手と広島カープの昭和50年 その1
親愛なるアッティクスへ

広島カープ監督で、「ミスター赤ヘル」と呼ばれた山本浩二氏と言えば、西武との日本シリーズで、9回2死から東尾 修投手の外角低めの難しいスライダーをライトスタンドに同点ホームランしたことが印象に残っている人です。
99%負け試合だったわけですから、まさしく、「起死回生」のホームランだったわけで・・・。
つまり、リアルタイムで見ていた人でして、その人が殿堂入りしているわけですから、いつのまにやら、時代がそこまできてたんですね・・・。

で、この山本浩二氏ですが、この人については昭和43年のドラフトでは、田淵幸一、富田勝両氏と並んで法政三羽ガラスの一人としてドラフト1位で鳴り物入りで広島に入団したものの、私の子供の頃の記憶ではあまり、パッとした選手ではありませんでした。
実際のところ、この人が突然、花開いたのは昭和50年からで、それ以前は、本塁打は20本前後、打率は.250程度の普通の打者でしたね。
(当時は、広島の「山本」と言えば、浩二選手ではなく、左の強打者で四番打者だった山本一義氏でした。)

それが、昭和50年(1975年)のオールスターゲーム第1戦で、セ・リーグの3番打者として登場するや、6番に入った同僚の衣笠祥雄選手とともに2打席連続アベックホームランを放ち、その勢いで、この年、自身初の打率3割30本塁打を記録し、首位打者MVPのタイトルを獲得、山本選手は一躍、チームの顔になりました。
もっとも、この年を見た限りでも、元々、足は速く、守備も上手かったので、今後は、それなりに打率は残す打者になるだろうな・・・とは思いましたが、まさか、4度の本塁打王、3度の打点王を獲得し、王 貞治氏と並ぶ5年連続40本塁打(他には無し)を記録するほどの大打者になるとは夢にも思いませんでしたね。
実際、通算536本塁打(大卒選手の日本最多本塁打記録)の半数以上が30歳を越えてから打ったものだとか。

e0027240_15394079.jpg

で、この昭和50年という年に、一体、何があったか・・・ですが、実はこの年は、大変な変化があった年でした。
即ち、この年、チームが初優勝したのです。
もっとも、ここまでの広島は3年連続最下位であり、開幕前に広島が初優勝するなどと予想した人は皆無だったわけで、さらに、間の悪いことに、この年、球団初の外国人監督として、ジョー・ルーツ氏が就任したものの、同監督は日米の文化の違いから開幕してわずか15試合で退団・・・。
急遽、古葉竹識ヘッド・コーチを昇格させて監督としたものの、新監督の手腕は未知数・・・。
何とも、期待薄な船出だったわけです。

明日に続きます。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-03-06 08:10 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

根本式球団編成の妙は競合を恐れぬ姿勢にあり!
親愛なるアッティクスへ

1996年頃だったでしょうか、当時、元広島カープ衣笠祥雄さんが言っていたのですが、「昭和50年から、広島が急に強くなったのは、根本さんのおかげ。これから、ダイエーは強くなりますよ」と。
根本さんというのは、根本陸夫氏のことで、氏は、当時、福岡ダイエーホークスの球団社長だったと記憶しておりますが、それを聞いて、「ホークスも、本当に、そんな日が来るんだろうか」と思いましたよ。
だって、ホークスも、王監督になっても、相変わらず下位を低迷していた頃で、1999年に初優勝する前の話なんですから。
(ちなみに、20世紀・・・つまり、初優勝以前からの投手陣というのは、多かれ少なかれ 、若田部型なんですよね。倉野、水田、田ノ上、佐久本・・・。1試合、素晴らしいピッチングをしたとしても、それが、2試合続かない・・・という。)

では、その根本式球団編成法とはどういうものであったかというと、簡単に言えば、ひとつのポジションに一人ずつ、大物新人獲得していく・・・というものでしたね。
従って、その間、打線は素晴らしいんだが投手陣をもう少し・・・という声が出ても、一切、耳を貸さない。
やがて、それらの選手たちが、実力を付け、絶頂期を迎えた頃にチームは黄金時代を迎える・・・。
広島においての、山本浩二、衣笠、三村、水谷らがそうでしょうし、ダイエーにおいての、小久保、井口、松中、城島などがそうだったと思います。

何が言いたいかというと、ここで大事なことは、根本さんは、大型新人を他球団と競合してまでも敢えて獲得しに行ったことです。
「うちにはそんな金はない」とか、「どうせ、指名したって、うちなんかには来てくれない」などと言って、確実に来てくれる・・・、あるいは、どことも競合しない選手ばかりを獲りに行く球団というのは、残念ながら、強くならないですよ。
「獲り」に行く・・・という姿勢が大事なんでしょう。
驚異的なくじ運の強さで、一時代を築いたヤクルトなどもその好例だと思います。

ホークスにしても、元々、小久保にしても井口和田も、別に、九州とは何も関係がある選手ではないんですよね。
本来であれば、巨人に入るべき選手なんです。
それを獲りに行って、なおかつ、獲得できる・・・。
この辺の人脈も含めた凄さが、根本式球団編成の妙で、この点では、根本さんの実力は圧巻だったのでしょう。

e0027240_15193762.jpgちなみに、和田と言えば、言わずとしれた、和田 毅投手ですが、先日、券をもらったので福岡ヤフー・ドームに行ったのですが、席に辿り着いたところ、たまたま、「和田シート」(←)でしたね。
彼は、1勝するごとに、ワクチンを寄付したりしてますから、おそらく、このシートも、少年ファンなどにプレゼントしているのかもしれませんね。
たまたま、行き手がなくて、巡り巡って、私の手に辿り着いたというだけで・・・。

・・・あれ?この話、以前、言ってませんよね?
言ったような気がするんですけど、どこ探しても、なかったもんで・・・。
マジで何年もやってると、わっかりませ~ん(笑)。

                      平太独白
by heitaroh | 2007-09-18 00:18 | スポーツ | Trackback | Comments(8)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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