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タグ:矢沢永吉 ( 9 ) タグの人気記事

死んでなかったヤザワのゲゲゲの名伯楽

e0027240_1632022.jpg矢沢永吉という人がいます。
言うまでもなく、還暦を過ぎても、なお輝き続けるロック・シンガーで、ちょうど、私が高校生の時に「時間よ止まれ」の大ヒットでカリスマ的人気を誇っていた人なのですが、盛者必衰の理に漏れず、私が大学に入った辺りからその人気は翳りを見せ始め、自作映画を作ったり、アメリカのレコード会社と契約したりというニュースは耳にするものの、曲もぱっとしませんでしたから、このまま下降線を辿っていって、いずれ、「天地真理」状態にでもなるのかな・・・と(笑)。

それが、その翌年辺り、ちょうど、私が20歳を越えた頃くらいにCMソングとして「YES MY LOVE」が出て、「あれ?」と思い、LAHAINA」を聞いた瞬間、「あ、ヤザワ、まだ死んでないや」・・・と。
その後の活躍は改めて触れるまでもないことですが、なぜ、こんなことを言うかというと、アスリートなどと違い、音楽などの芸術を売る人たちには基本的にアーチスト寿命というのは無いんだということを思うからです。
つまり、彼らは本当に良い物を提供すれば聴衆は受け入れてくれるということであり、「時代が変わった」とか、「飽きられてしまった」・・・、あるいは、「大衆の嗜好が変わった」などと言っている人たちは、それ以前に「本当に良い物を提供していない」のではないかという気がするんです。

確かに、時代の変化というのはあるでしょう。
実際、我々が大正時代のヒット曲を聴いて、当時の人たちと同じように感動できるかといえば、そこは生活習慣も違えば環境も、言語さえも違う以上、難しい物があことは事実でしょう。
でも、一世代くらいなら、十分、許容範囲で、実際、私も、親の時代の曲でも好きな曲はありますし、うちのガキどもも私が彼らくらいの時に聞いていた「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」などを聞かせたところ、気に入ったみたいですし・・・。

この点で想起するのが、今年の流行語大賞にもなった「ゲゲゲの女房」で、スランプに陥った水木しげる翁が「もう、誰も私の漫画なんか見てくれませんよ」と投げ遣りに言うのを受けて、盟友のイヌイさんが「大丈夫です。本物は消えません」というシーンです。
(毎度、思いますが、流行語大賞って、一体、何を基準に選んでるんだ・・・と。昨年の「政権交代」なんてまったく流行してませんし、今年のも流行はしたけど、流行語にはなってないだろう・・・と。)
イヌイさんという人は、水木翁にとって、友であり、仕事仲間であり、理解者であり、師でもあったのでしょう。
それだけに、今の水木漫画に何が欠けているかはわかっていたはずで、(おそらくは仕事が増えるうちに、かつての野性味のようなものが無くなっていたのでしょう。)それなのに、「今、あなたの漫画に何が欠けているかは私にもわからない。でも、それが何かわかるまでは大いに苦しんでください」・・・などという辺り、この人は、翁にとってはまさしく名伯楽だったのでしょうね。
こういう人たちに囲まれていた水木しげるという人は本当に幸せな人だったんだなと大変、羨ましく思えますね。
              親愛なるアッティクスへ 平太独白

by heitaroh | 2010-12-14 18:00 | 文学芸術 | Trackback | Comments(4)

大原麗子さん死去に見る人の人生は一瞬・・・
ここ数日、ようやく、らしくなってきましたね。

e0027240_193476.jpgところで、時を同じくしてマスコミを騒がせた話題と言えば、何と言っても、大原麗子さんが亡くなったことと、酒井法子さんの失踪から逮捕状に至る一連の騒動でしょうが、ただ、この二つの話題については、8月という季節柄もあってか、私的にはちと感慨深い物があります。

まず、大原麗子さんについてですが、この人が亡くなった時、テレビでは繰り返し、この人の過去の映像が流されてましたが、その中に、この人が森 進一さんと離婚した1984年の頃の映像がありました。
この年、大原さんは38歳
本当にお綺麗で、花の命は永遠に続くのでは・・・と思わせるほどでしたが、それが亡くなった時には、もう、62歳になられていたとかで、それらの映像を見ながら、「人の一生なんて、本当に一瞬なんだな・・・」という想いを強くしました。思えば私も60歳なんて、あっという間なんだろうな・・・と。
私の一回り上の矢沢永吉さんは、「50歳になったとき、『50かよ!』と思ったけど、もう、60になっちまうんだよ」と言っておられましたが、10年なんて、ホームを通過する新幹線みたいなものなんでしょう・・・。
また、私の半回り上の島田紳助さんは、「50歳を過ぎると死というものについて考えるようになる」と言っておられましたが、こちらも、もう、ゴールを意識し始めるということなんでしょう。
ちなみに、島田さんは、30代後半の未婚女性に、「貴女はもうロスタイムに入っている」と放言しておられましたが、これって、あながち笑い話ではないんですよ。
大原さんも、おそらく、38歳当時は、あれだけの美貌ですから、「その気になれば、まだまだ、当分は・・・」と思っておられたのかもしれませんが、でも、38歳から62歳なんて、おそらく、あっという間ですよ。

その意味では、以前、大原さんが自宅で転倒し、骨折したとき、インターホン越しのインタビューで、「私が母を介護しなければならないのに、これではどうしていいのか・・・」と、ひどく嘆いておられた映像を見たことがありますが、これなどは、38歳当時に、もう、それほど残り時間は多くないことを認識しておくべきだったことの裏返し・・・というのは言い過ぎでしょうか。
彼女の死は、時間の流れの速さに翻弄された悲劇だったのかもしれません。

「女性は美人に生まれた瞬間に幸せの7割を手にしている」という言葉を聞いたことがありますが、大原麗子、酒井法子・・・、果たして、美人に生まれたことが彼女たちにとって幸せだったのか・・・と、少し考えさせられる夏です。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-08-08 19:54 | 時事問題 | Trackback | Comments(0)

我々の世代にとっての真横のカリスマ2人
e0027240_16355826.jpg昨日はここ(←)でやってました。
中洲から川を渡った向こうにある所なのですが、中に入ってみると、結構、広い店で、こんな所にこんな店があったなんて・・・と思っていると、友人が「おまえ、以前も来たぞ」と・・・。
・・・まったく記憶がありませんが、まあ、それほど驚くことでもないでしょうね。
当然、ここを出てからの記憶もありませんから・・・(笑)。
で、今日は先日ほどではないにしろ、立派な二日酔いです。
まだ、具合が悪いです・・・。
最近、本当に二日酔いが酷くなってきたように思います。
やはり、寄る年波・・・でしょうか。
ちなみに、この体調での本日の肉体労働はさすがにきつかったですね。

ところで、先日、NHKの「SONGS」という番組で、矢沢永吉さんの特集があってましたね。
矢沢さんといえば、私と同世代の男は、皆、多かれ少なかれ学生くらいのときにはハマッた人でしょうが、その意味では、同時代にはもうひとり、ジャンルは違うものの、当時の若者のカリスマとしては当然のように名前が挙がる人がいました。
そう、言わずもがなの松田優作さんです。

で、私も最近知ったのですが、この二人は実は私よりちょうど一回り上の昭和24年(1949年)生まれで(もう、還暦なんですね・・・。)、生まれた日もわずか1週間しか違わないという、まったくの同級生なんですね。
(矢沢さんが1週間だけお兄さんです(笑)。)
しかも、片や広島県出身で、片や山口県出身・・・、つまり、共に中国地方の隣県の出身であり、さらに言えば、共に、あまり恵まれない幼少期を送ったことも共通していたでしょうか。

で、共に、当時はあれだけ、若者のカリスマだったわけですから、お互いの存在を識らなかったということはないでしょうが、この点で、お互いは、この、真横にいる同郷の同級生について、どういう意識を持っていたのか、どう思っていたのか・・・聞いてみたい気がします。
残念ながら松田さんの方はもう、お亡くなりになっているので聞くことは出来ないでしょうが、その意味では、もし、矢沢さんにお尋ねする機会が有れば、是非、聞いてみたいですね。
この、ともに若者に熱烈に支持されていた同級生をどう思っていたのかを・・・。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-06-20 17:33 | その他 | Trackback | Comments(4)

巨匠のコトバは2人だけ その4 30歳成人論
前回の続きです。

ある年、たまたま乗っていたタクシーの中で、成人式の光景を目にした34歳矢沢永吉さんは、運転手さんに「良い天気ですね。絶好の成人式日和ですね」と話しかけ、さらに、「さて、この中の何人の人が幸せになれるんでしょうね?」と問いかけた・・・と。
運転手氏は「さあ、考えたこともありません」と絶句する。
なぜ、そんなことを言ったか・・・と。
ヤザワ曰く、「20歳の時は一番良い頃。20歳の頃は何でも出来るような気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きできそうな気がする」・・・と。

e0027240_12253229.jpg

続けて曰く、「でも、ここから向こう10年間ではっきり差が付きますよ。やったやつとやらないやつの」と言い、再び、何とも言えないシニカルな笑みを浮かべて、「さて、何人の人が幸せになれるんでしょう。たくさんなれればいいね・・・」と。
「20歳からの10年間・・・」、これこそは、まさしく、私が以前から平太郎独白録 : 若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。などで言っている30歳成人論そのものではないですか。
すなわち、「日本では20歳で成人式をやるが、それは徴兵制度の名残であり、現代日本に置ける現実の成人は30歳である。自分自身を振り返ってみても然り。ただし、その意味では、20代というのはそのための滑走路であり、従って、30歳になったときには、いつでも離陸できるような態勢になっておかなければならない」と・・・。
(たまたま、このときも矢沢さんのことを持ち出して、この話をしていたというのも、我ながら奇遇だなと・・・。)

ちなみに、矢沢さんは私より、ちょうど、ひと回り上ですから、当時、私は22歳・・・。
おそらく、大学を卒業したかしないかくらいで、まだそれなりにツッパッて(死語?)ましたね(笑)。
ただ、そうなると、矢沢さんがこの成人式を目撃されたのがいつのことだったのかは知るよしもありませんが、この1~2年前だとすれば、ちょうど私が成人式を迎えた年であり、まあ、このエピソード自体は、おそらく、東京での話でしょうから、直接、その場に私が居たわけではないでしょうが、少なくとも、矢沢さんが見た成人式の若者というのは、世代的にはまさしく私の世代であり、そう考えれば、私は「30歳成人論」などと偉そうなことを言う側ではなく、言われる側だったんですね。
嗚呼、何とも汗顔の至り・・・です。
(ちなみに、アニメーションの宮﨑 駿監督は、「60代はまだ何でもやれる年齢と言われる」と仰ってました(笑)。)

ただ、この34歳の挑戦的な目をした若造が、何とも言えぬシニカルな笑みを浮かべ、「たくさん、幸せになれればいいね」と語る姿は、他の巨匠と呼ばれる人たちのまったく心に残らないコトバと違い、とても印象に残ったのは事実でしたね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-02-23 08:16 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

巨匠のコトバは2人だけ その3 人はある日突然年を取る
親愛なるアッティクスへ

e0027240_12125266.jpg私、最近、思っていることがあります。
それが、人は徐々に徐々に年を取っていくのではなく、「人はある日突然年を取る」ものだということです・・・。

で、先日からの続きです。
手塚治虫氏と並んで印象的だったもう一人の巨匠ですが、それが当時34歳矢沢永吉さんでした。
でも、この若輩者のそれは、武者小路実篤川端康成、三島由紀夫、黒澤明などの登場者の誰よりも印象的で、そして、挑戦的でした・・・。

(←最近、これ、愛飲してます。)

ある年の成人の日に、タクシーで移動中だった矢沢さんはたまたま、ある成人式会場の前で信号待ちで停車したところ、ちょうど式典が終わったところだったらしく、中からスーツ姿晴れ着に身を包んだ若者がぞろぞろとあふれ出てきた・・・と。
それを見て矢沢さんは、運転手氏におもむろに話しかける・・・。

「運転手さん、今日は良い天気ですねぇ」
「そうですねぇ」
「今日は成人式にはもってこいの天気ですねぇ」
「本当にもってこいの天気ですねぇ」。
ここで、矢沢さんは、にっこりと微笑んで、「さて、運転手さん、この中で何人の人幸せになれるんでしょうね?」・・・と。
運転手氏、しばし、沈黙した後、「さあ、どうなんでしょうねぇ、考えたこともありませんでした」・・・と。
矢沢曰く、「20歳の時は一番良い頃。20歳の頃は何でも出来るような気がする。自分だけは年をとらないような気がする。自分だけは怪我しないような気がする。自分だけは長生きできそうな気がする」と。

・・・20代、30代の頃は私も周囲の友人も皆、確かに、そんな感じでしたねぇ。
以前、ある大学生に「君、自分が何歳まで生きるつもりでいるの?」と聞いたところ、しばらく沈黙した後、「さあ、考えたこともありませんでした・・・」と答えましたが、そうなんだろうと思うんですよ。
私もそうでしたから。
でも、人はある日突然、年を取る・・・、正確には、現実の年齢を見せつけられるんですよ。
私がそう感じたのは45歳の時でしたね。
仲が良い先輩に、「私、45歳になってしまいましたよ」と言うと、その方が、「俺は47だよ」と言われ、続けて、「来年は48になるよ。48になったら、もう、50だよ」と言われたとき、初めて、自分の目の前に「え!この人が50?ていうことは俺も50?!」と・・。
突然、現実を突きつけられたようで愕然としました。
頭ではわかっていても、まだ、30代くらいのつもりでいたんですが、50となるとさすがに・・・。
でも、これは何も私だけに限ったことではなく、別の人は、大病したときにそれを感じたと言い、ある方は厄入りの神事をしたときにそれを感じたといいます。
明日は我が身ですぜ、御同輩・・・。

矢沢さんの話はここで終わったわけではなく、ここからが本題ですので、もう一回くらい続くと思います・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-20 08:12 | 思想哲学 | Trackback | Comments(4)

落合監督の「完全試合よりも勝利への采配」の是非 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

その意味では、「日本シリーズ史上初の日本一決定完全試合」などというのは、まさしく、それだったのでしょうし、野村克也 楽天監督などが「私だったら変えない」と言ったというのも、「営業」と「現場」をの兼ね合いをよく心得ている野村監督らしいコメントだったと思いますが、一方で、落合博満監督を含む、多くの監督経験者が、これまで、日本シリーズでの、そのほんの一瞬の躊躇という名の「油断」で、その試合どころか、シリーズ自体の大逆転を許し、敗者になってしまったというのもまた、必ずしもない話ではないわけで・・・。
これも、短期決戦での見逃せない事実なわけです。
で、そうなった後に、「あそこで続投させた落合は偉い!」と言ってくれる人は、まず、いないわけで、それどころか、逆に、「あそこで続投させた落合の甘さが敗因!」などと言われるように思いますし、何より、その顧客重視の采配の結果、シリーズに負けてしまったら、一生懸命に死力を尽くして戦ってくれた現場社員である選手たちに対し、現場の指揮官としてはあまりに、面目がないことになるでしょう。
「俺たちのは何だったんだ。ふざけた気持ちで仕事をしないでくれ」と。
それら諸々を考えれば、落合さんが営業担当だったのならともかく、現場の指揮官としては、決して責められない采配だったと思います。

その上で、昨日も採り上げた三原 脩さんですが、確か、「監督はスタンドとも勝負する」という名言を遺しておられたと記憶しておりますが、ここで注目すべきは、三原さんは、「スタンドとも勝負する」と言っておられたわけで、「スタンドと勝負する」と言っておられたわけではないということです。
それは、私的に解釈するならば、現場指揮官としては「勝利優先」であり、勝利に向かって精進するが、許す範囲で「顧客満足」・・・ということではないかと。
それを具体的に言えば、三原さんがどこかの監督時代に、娘婿である中西 太ヘッドコーチに経験を積ませるために、事実上の采配を委ねていたそうですが、三原さんは、中西氏が序盤から、三番打者送りバントのサインを出したのを見て、「中西ではだめだ。まったくわかっていない」と言ったといいます。
つまり、勝敗をが決まる終盤ならともかく、まだ、試合が始まったばかりの序盤からチームの看板打者である三番打者に打たせない・・・というのは、観客が何を期待して試合を見に来ているのかがわかっていないということで、観客は、看板打者の快打や主力投手の快投を期待して球場に足を運んでいるのではないか・・・と。
つまり、監督は勝つことを求められる職業である以上、試合には勝たなければならない、しかし、勝ちさえすれば観客のニーズは無視して良いということではない・・・と。

この点では、ロック歌手・矢沢永吉さんは、「客はハプニングを期待している」という意味のことを言っておられました。
これは、よく、マイク・パフォーマンスを披露しているときに、誤って、マイクが吹っ飛んでいくハプニングがあることを言っておられたようですが、まあ、ヤザワ風に言うならば、「一生懸命、一定のレベルのものを提供していて、その上で、この会場だけのハプニングというものがあると、客は喜ぶんだよ・・・」というところだったかと。
「俺は、あのとき、あの会場にいたんだよ!」と言える何かが。
が、ここでも大事なのは、矢沢さんは「客を喜ばせようとしてマイクを投げていない」ということですね。
あくまで、「一生懸命、良い音楽をやっていて、その上で起こるハプニング」なわけです。

明日に続くともなく続きます(笑)。

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by heitaroh | 2007-11-08 08:42 | Trackback | Comments(6)

市村 清のそのチャイムを鳴らせ!ツキは姿勢にあり。
親愛なるアッティクスへ

本日は年末に相応しい(?)お題をひとつ・・・。
市村 清という人物をご存じでしょうか?
コピー機で有名な「リコー三愛グループ」の創業者で、その強烈な個性と不屈の闘志でもって、一代にして、大を為した人物ですが、特筆すべきは、阪急小林一三翁と双璧を為すほどの大変なアイデアマン社長であったことでしょう。

e0027240_10274818.jpg一例を挙げるならば、今の結婚式の主流である神前結婚式のシステムを作ったのもこの人だそうですね。

戦後の混乱期、財政難で苦しんでいた神社から相談を持ちかけられた市村翁が考えたのが、「神前結婚式」だったとか。
確かに、言われてみれば、戦前までは、神社で神主の前で結婚を誓うなどというのは、あまり、映画などでも見かけた記憶はないですよね。

市村翁は、明治33年(1900年)、佐賀県三養基郡北茂安村(現佐賀県みやき市・・・だと思います。わかりやすく言うと吉野ヶ里遺跡の辺り。)に生まれ、苦学して、銀行に職を得たもののえん罪から投獄され、昭和2年(1927年)、27歳の時、失意のうちに帰郷。
で、当時、すでに妻帯していたこともあり、家族を養う為、高い歩合給がとれる保険会社に新たな職を求めたものの、保険と言っても、何せ昭和初期のことですから、当然、保険自体を知らない人たちの方が多いわけで、中でも、熊本はその保守的な県民性から、不毛地帯と言われ、誰もが尻込みする地域だったとか。
その熊本が任地と決まった翁は敢えて焦点を難攻不落といわれた知識層に絞ったそうで、それは、難攻不落ではあるものの、誰か一人と契約を結べば、逆に、口コミで次から次へと広がる・・・とのヨミだったようですが、それだけに悪戦苦闘を強いられることになります。

ちょうど今頃の季節、初冬の寒い中、早朝から夜半まで自転車を踏み、特に、雨風の日は、むしろ勇んで勧誘に走り、また、同じ人物を間をおいて何度も訪ね、さらに、夜は訪問した人にお礼の手紙を書き、為に、幾度も推敲を重ねたとも言います。
ところが、11月が過ぎ、12月も半ばを過ぎても、一本の契約すら取れない・・・。
これには、さすがの翁も「もう、だめだ」と弱音を吐き、ある晩、妻に「東京へ逃げよう」と呟いたそうです。
このとき、妻が、「いつでも夜逃げはできます。もう少し、せめて暮れまで頑張りましょうよ」と言ったことで、やむなく、翁は気を取り直して、翌日、これが最後だ・・・として、それまでで一番、望みが持てそうな、ある校長先生の家を訪ねたとか。

ところが、その家の前まで行った翁は、呼び鈴を押すのを躊躇します。
しばらく、門の前を行ったり来たりした後、遂に意を決して呼び鈴を押したところ、この家の主人は、翁のこれまでの熱意に打たれ、契約をしようと思い、印鑑を持って翁が来るのを待っていたのだそうです。
さらに、その人物は、自身が契約したばかりか、知人すべてに紹介状を書いてくれたそうで、さすがに当時の校長先生の信用はやはり相当な物で、あれほど獲れなかった契約が嘘のように、燎原の火の如く、次から次へと獲れたとか・・・。

私も、昔は飛び込みの営業などもやったことがありますので、翁のこのときの気持ちは痛いほどよくわかります。
チャイムを押すのを躊躇してしまうんですよね。
露骨に「また来たのかよ!」みたいな顔されると思うと・・・。
まあ、ある程度は、慣れますけど・・・。
でも、やっぱり、人は、いつも、「このチャイムの向こうには、相手が印鑑を持って待っててくれるかも知れない・・・」と思うべきなのでしょう。
少なくとも、もし、このとき、翁が呼び鈴を押すのをやめ、そのまま去っていたら・・・、前夜、妻と共に東京に夜逃げしていたら・・・、後の大経営者 市村 清はなかったのかもしれません。

売れない時代の武田鉄矢さんも、同じようなことを言っておられましたね。
どん底の一年が終わろうとしていた年末に、奥さんから、「そんなに悪いことばかり続かないでしょう。気分を切り替えて来年は頑張ろうよ」と言われ、そしたら、年明け直後に、映画出演の話が舞い込み、その後、トントン拍子に今日に至ったのだとか。
矢沢永吉さんも同じような話をされてましたね。
「ツキ」を呼び込めるかどうかは内助の功も含めた自分自身の姿勢にあるのかもしれませんが、少なくとも、そのチャイムを鳴らすのを放棄する人に「ツキ」が来ることはないでしょう。

そんなこんなの年末です。
とりあえず、チャイムを押してみましょうや、御同輩。
ひょっとすると、ドアの向こうではお茶を入れて待っててくれているのかもしれませんぜ・・・。
                               平太独白
by heitaroh | 2006-12-07 08:05 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

矢沢永吉に想う昭和の顔と小説は名水で論文は工業用水1
親愛なるアッティクスへ

先般、ロックシンガーの矢沢永吉さんのライブをテレビでやってましたよね。
以前、平太郎独白録 若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。の中でも触れたことですが、昭和53年のヒット曲「時間よ止まれ」を、当時、二十代後半の矢沢が歌ってるリアルタイムの映像を見て、思わず、そのギラついた若さに涙が出そうになりましたよ。
で、見ていて、ふと気づいたのですが、確かに昔はああういう顔の兄ちゃんが居ましたねぇ・・・。
で、ふと、気が付いてみれば、今は、あんな顔の兄ちゃん、またーく、見ませんよね。
思わず・・・、あれが、昭和時代の顔だったんだ・・・と。

さておき、その最後の方のインタビューで、矢沢さんが「今は曲の編集はコンピューターでいくらでも直せちゃうから良くないんだよ。キリがないんだ」とコメントしておられました。

e0027240_14163471.jpgこれって、まさしく、その通りで、私自身も、小説の原稿なども、昔だったら原稿用紙万年筆だったでしょうから、一度か二度、訂正すればよかったものが、今はワープロソフトなどで、簡単校正できるから、もう、きりがないんですよ。
特に、初回作の時など、初めてと言うことで、できるだけ完璧を試みたこともあり、もう、最後は堂々巡り迷路にはまりこんでましたね。
だから、今でも、私は、このブログを書くときは、ネタを書き留めるくらいまではワープロソフトなどを使ってますが、最終的な投稿はブログの投稿ページに直接書き込んでいます。
(となれば当然、書き上げたところで消えちゃうということも度々・・・。)

で、小説を書き始めた当初・・・、はたと当惑したことがあります。
それは、内容その物以前に、読み物とは、表現の的確さ、多様さを優先させるべきか、それとも、幅広く色々な人に受け容れられやすいように平易な文体を心がけるべきか・・・ということでした。
(つまり、「授業をクラスの一番出来る子に合わせると出来ない子が付いてこれないし、出来ない子に合わせると出来る子は退屈する。かといって、中間に合わせると、出来る子も出来ない子も両方不満を持つ。」という教育者のジレンマと同質のものかと・・・。)
それに答えを出してくれたのが、「神様・司馬遼太郎」さんでした。

明日に続く。
                               平太独白
by heitaroh | 2006-01-07 17:26 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)

若き日の矢沢永吉に思う草千里と川島雄三的我が身。

e0027240_14274149.jpg

この画像は、9月末頃の物ですが、阿蘇草千里です。
なぜ、唐突に・・・とお思いでしょうが、先日、たまたま、テレビ付けたら、BSで昭和36年の映画やってました。
木下恵介監督「永遠の人」という映画で、高峯秀子主演、佐田啓治(中井貴一の父)、仲代達也加藤嘉といった名優が脇を固めた物でした。

たまたま、自分が生まれた年だったのですが、まあ、見るともなしに見ていたら・・・、いきなり、髙峯秀子が我が子と待ち合わせする場所に草千里!ヾ(ーー )ォィ
まあ、当たり前と言えば当たり前ですが、全然、今のままの風景!
驚いたのは、昭和36年当時、すでにこんなところがアスファルト舗装がしてあり、バスが通っていたという・・・。

もうひとつ、日曜に、撮りダメしていた「矢沢永吉ヒストリー」を見たのですが、昭和53年のヒット曲「時間よ止まれ」を、当時、20代後半の矢沢永吉が歌っているのを見て、思わず、涙が出そうになりました。
音楽そのものよりも、矢沢のギラついた若さに・・・。

で、これです。
 にんげんねもなくへたもない
 みちにさまようちりあくた
 ときのながれにみをまかすだけ
 しょせんこのみはつねならず
 うれしいときにはよろこんで
 ともだちあつめてのもうじゃないか
 わかいときはにどとはこない
 あさがいちにちにどないように
 いきてるうちがはなではないか
 さいげつひとをまたないぜ

〈陶淵明 作 川島雄三 意訳〉

以前も申し上げたかもしれませんが、20代というのは今の時代、滑走路だと思います。
今の成人という概念は、人間の寿命が50年だった時代の物です。
人間の寿命が80年に延び、ましてや徴兵制も無い現代、本当の成人は30歳だと思います。
20代には選挙権もいらないと思ってます。
ただ、それだけに、逆に言うと30歳になったときには、いつでも離陸できるような態勢になっておく必要があると思うのです。
となれば、今、別に焦らなくとも、30歳になったときに、飛び立てるようになっていればいいかと・・・。
少し説教くさいことを言うようですが、すべて、我が身を振り返ってのことです。
お聞き流し下さい。

つまり、
わかいときはにどとはこない
さいげつひとをまたないぜ

です。

ということで、今日も二日酔いですので、この辺で・・・。

P.S 鬼才、「川島雄三」は当然、ご存じですよね?御同輩。
                               平太独白

by heitaroh | 2005-12-27 18:15 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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