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祝!5周年の節目に思う思えば遠くへ来たモンだ! その2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

本日はまずは、この五年間での裏舞台について・・・です。
まず、アクセス数(ユニークユーザー数)につきましては昨日も触れたとおりなのですが、以前、日祝以外の毎日書いていたときは、大体、一日250~350人の方のアクセスがあったものの、更新を不定期とした4年目以降は一日150人前後というところで落ち着いてきたようです。
ただ、意外だったのが、去年の秋口に、訳あって一週間ほど書かなかったことがあるのですが、さぞかし、アクセス数は0に近くなっているだろうな・・・と、「まあ、ぼちぼち潮時かな」などと思っていたところ・・・、蓋を開けてみると、意外に毎日、コンスタントに100人以上の方にお越し頂いており・・・。

e0027240_11214168.jpg

で、再び、割とこまめに更新するようにしたところ・・・、皮肉なことに、なぜか、昨年末辺りから1月くらいまでは100人を割る日も少なくない日が続き・・・(笑)。
で、気を取り直して書き続けていたところ、まあ、どなた様も年末年始の多忙に一区切り付けられたからか、2月くらいから元の100という数字に戻って来るようになったのですが・・・、ここで事件が起きたんです!

先月20日、アクセス数を見てみたら、「575」となっている・・・。
「ん?間違いか?」と思い、確認したところ、やはり、575・・・。
私としては、特に、話題に上ることも書いてなかったものですから、「は?何で?」という思いがあり、今度は2月の検索ワードランキング(↓)を確認してみたところ、1位として644のアクセス数を叩きしていた物がありました。

e0027240_10391345.jpg

それが「樅の木は残った あらすじ」・・・です。
「樅の木は残った」といえば、言うまでもなく、山本周五郎原作で昭和45年(1970年)のNHK大河ドラマでもありますが、6位にも31アクセスで、「樅の木は残った あらすじ」の文字あるわけで(←どう違うのかわかりませんが(笑)。)、如何にダントツだったかがおわかりになるでしょうか。
でも、最近、あれがドラマになったという話も聞かないので、「何で?今頃?」と・・・。

ちなみに、3位は瀬島龍三氏の「瀬島機関 39」ですが、こちらも、4位、10位にも入っており、まあ、こちらは、ドラマ「不毛地帯」の関係からだと思いますが、でも、この人はそれ以前から、結構、しぶとく入っていたんですよ。
(この人については、私も違う意味で印象深い人でした。私がこの人のことを採り上げたのはそれほど多くないのですが、礼賛、軽蔑、いずれも極端な反応があり、結構、辟易させられました。その意味では、亡くなってからも、これだけ、人々の関心を惹くということは良い悪いはともかく、本当に賛否両論、毀誉褒貶、人の評価が定まらない人なのでしょう。)

その意味では、この検索ワードランキングというのは、時々、見てると、面白い物ですよ。
「は?何で、これが?」みたいなのがありますから。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-03-24 08:37 | その他 | Trackback(1) | Comments(2)

祝!石の上にも三年の3周年記念! 前編
親愛なるアッティクスへ

おかげさまをもちまして、このブログも2005年の3月下旬(実は結構あやふやです(笑)。)より書き始めて以来、3周年を迎えることが出来ました。
この間、UPした記事は836本、訪問者数はメインのエキサイトと当初やっていたライブドア75,000名、これに、別館であるgooも加えれば、おそらく、延べ15万名以上の方にお越し頂いたものと思われまする。
(ちなみに、検索ワードランキングでは、その時々で色々と変動はあったものの、なぜか、「瀬島龍三」というワードが、絶えず上位にランクインされていたことが印象的でした。他にも、何でこれなんだ?・・・というのも、ちらほら・・・(笑)。)

これもひとえに、皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。

e0027240_1132549.jpg(←毎年恒例、特に関係ないけど周年が殺風景過ぎるのもいかがなものかという、ただ、それだけの理由での画像です。私のホームグラウンド・博多駅前の夜景ですね。そういえば、過去二回は「道」繋がりでしたが、今回も、まあ、道と言えば、道ですね(笑)。)

思えば、このブログを書き始めた三年前・・・、当時、私はそのちょうど1年前の平成16年3月に、処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を出版していました。
実は、この作品は、自分的には、それなりに自信はあったのですが、ここが地方にいる身の哀しさで、書いたは良いが、それをどうやって世に出せばいいのかが皆目検討がつきませんで、やっと、手がかりを掴んだのが、当時、とっていたそっち関係のメルマガでした。
そこには、「持ち込みなんてのは、まず、見てももらえない。に応募するのが王道」と書いてありましたので、なるほど・・・と思い、賞に応募することとしました。

ところが、調べてみたら、推理小説以外は、殆どの賞が「原稿用紙200枚以下」であり、中には、「50枚以内」というものさえある始末で、私のそれはと言えば、すでに、原稿用紙650枚になっていましたので、200枚以下では、少々、減らしたところで到底無理なわけで、やむなく、一つだけあった原稿用紙500枚以内の賞に応募しようと、様々なところをカットし、さらに、雑巾を絞るように、点や丸、さらには行を削除するなどして、ようやく、500枚ちょうどにしました。
ただ、その賞は、一応、「ジャンルは問わない」とは書いてあった物の、過去の入選作品を見てみると、明らか拙著とはにニーズが違うものばかりで、この点、そのメルマガにも、「賞には賞の求めている雰囲気のようなものがあるので、自分の作品が、それにあっているかもよく検討すること」とも書いてありましたが、そうは言われても、もとよりこちらには字数の問題で、賞に対しての選択肢などはないわけで・・・。
で、その結果は・・・というと、やはり予想通り、箸にも棒にもかからない・・・というものに終わったわけですが・・・。

後編へ続きます。

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by heitaroh | 2008-03-19 08:31 | 私小説 | Trackback(1) | Comments(12)

瀬島龍三の真実とそれを語るべき資格
親愛なるアッティクスへ

元帝国陸軍大本営参謀から伊藤忠商事最高顧問に転身し、土光臨調の参謀長とまで言われた瀬島龍三さんついては、以前、平太郎独白録: 瀬島龍三にみる 10のものを10発揮する努力。でも触れましたが、とかく賛否両論あるかただったようですね。

実は、上記の記事を書いたとき、この記事に対して、「瀬島氏がシベリアで何をやったかはご存じないのでしょうか? 抑留者の洗脳を主導し、抑留者を労働させる密約をソ連とおrの結んだと言われます。また戦時中の他の事件についても責任者だと言われています。全部信じているわけではありませんが、そういう風評があることを無視して瀬島氏を持ち上げる気にはなれません。」という手厳しいコメントを戴きました。
私としては、瀬島という人物は、決して、映画・「不毛地帯」に出てくる壱岐中佐のような聖人君子ではなく、むしろ、保阪正康著 「瀬島龍三―参謀の昭和史」に記してあった姿こそが、おそらく、本当の姿なのだろうと思っていますが、ただ、一方で、このときのコメントへの返信には書かなかったことがあります。
すなわち、
「あなたは、まさか、暖かい布団に入って、腹一杯食って、それを言っておられるんじゃないですよね?」・・・と。

つまり、氷点下30度の極寒の世界で食事もまともに与えられない環境で強制労働下に身を置いて・・・の話ですから、私は、瀬島氏がシベリアで上記の通りのこと、あるいは、もっと酷いことをやっていたとしても、決して、これを責める気にはなれないんですよ。
少なくとも、私が同じ状況だったら、「俺は瀬島のようなことはやらなかった」・・・と言い切る自信はないですね。

また、瀬島氏が日本兵捕虜をソ連に売り渡したという話もありますが、仮に、その通りだったとしても、あの状況下で、誰か、これを拒絶できたのでしょうか?
一方で、以前、同じく終戦時に台湾で武装解除を迎えた参謀だったかが、「降伏と聞いて、私がまっさきに考えたのは、配下の兵士数万人の食糧確保のことだった」と言っておられたのを聞いたことがあります。
敗戦後の現実は、暖かい布団にくるまれて寝ている平成日本人の及ぶところではないのではないかという気もします。

また、大本営参謀時代の台湾沖海戦での戦況握りつぶし疑惑などについても、彼が握り潰さなかったとしても、都合が悪い情報は上に上がっていませんよ。
かつて、幕末に名君として知られた江戸幕府老中・阿部正弘候は、「良案であっても受け入れられない提案はしない」と言っています。
組織とは、必ずしも、正しい案、素晴らしい案が通るわけではありません。
であれば、彼ばかりを悪いと決めつけることもできないような気がするんですけどね。
まあ、この方については、他にも色々と、賛否両論あるところでしょうが、評価が定まるまでは今少し、時間がかかるのでしょうか・・・。
                                      平太独白
by heitaroh | 2007-09-07 08:36 | 時事問題 | Trackback(2) | Comments(20)

瀬島龍三にみる 10のものを10発揮する努力。
以前、どこかで述べたかも知れませんが、いつもの手前勝手な持論を言わせて頂くなら、「私の拙い経験の中での話で恐縮だが、企業の中で、10の力10発揮しているところは少ない。多くが、10のうちくらいの力しか出し切れていないように思う。であれば、10のものを12にしようと努力するよりも、のものをにしようとする努力の方が、よほど、実現が用意なのではないだろうか・・・」というものがあります。
平たく言えば、「10のうち、7しか力を発揮してない組織に9の力を発揮させようとする努力」だと言えるでしょうが、そういうと、「じゃあ、具体的にどういうことを言うんだ!」とお叱りを頂戴するかも知れません。
で、具体的に、その一例として挙げるのが、元帝国陸軍大本営参謀から、伊藤忠商事最高顧問に転身し、土光臨調の参謀長にまで登り詰めた瀬島龍三という人がいますよね。
この人を「偶像化」したのが、山崎豊子氏の小説『不毛地帯』で、その主人公のモデルに擬されたことだと、保阪 正康著 「瀬島龍三―参謀の昭和史」などでは言われています。
つまり、現実の瀬島龍三という人物は、必ずしも、「不毛地帯」に出てくるような君子ではなく・・・ということが書いてありましたが、私も、この本を読んだ当時、(もう20年以上前のことですけどね。)「ここに書かれていることの方が真実なんだろうな」という気がしたのを覚えています。

この人は、伊藤忠入社後、帝国陸軍参謀本部を模した「瀬島機関」と呼ばれる部署を作り、自ら、それを率いて、伊藤忠を総合商社に育て上げていったことは周知の通りでしょうが、一方で、私が学生時代に大いに影響を受けた元陸軍参謀で兵法評論家として知られる大橋武夫氏は、当然ながら、氏とも交流があり、「不毛地帯」で描かれたところの第三次中東戦争における情勢分析について、その圧巻として述べておられました。
曰く、「①イスラエルが勝つ ②短期間で終わる ③スエズ運河は閉鎖される」と。
当時、大方の予想は、すべて、その逆であったにも関わらず、瀬島氏はこれをすべて的中させたそうですが、中でも特に人々を驚かせたのが、③を的中させたことだったそうです。
①と②は、ある程度、軍事的な知識を持った人なら、まあ、わからないでもないと言いますが、③は、さすがに、誰も予測出来なかったとか・・・。
瀬島氏に、それが予測出来た秘密こそ、この稿の本旨なのですが、それはむしろ、「人の気持ちなどわからない」と言う観があるエリート参謀の出で、伊藤忠入社後も、企業内参謀本部を作った男の発想とは思えない着眼点でした。

氏は、伊藤忠商事に入ってすぐに、トントン拍子で出世していったわけですが、副社長だったかになったとき、彼は、自ら、世界中の伊藤忠の支店、営業所を廻ったのだそうです。
中には、アフリカなど、あまりに辺鄙な場所で、存在自体、忘れられたかのような営業所などもあったそうですが、瀬島氏は、ちゃんと、そこの駐在員を訪ねて廻ったと言います。
でも、訪ねて来られた方としては、突然、そんなところへ、本社のお偉いさんが訪ねてくるなんて、「何かあるんじゃないのか!」と、当初、疑心暗鬼になって、これを迎えたそうですが、粗末な駐在所で共に夜を徹して話し込み、日本から持ってきたを酌み交わすうち、段々と、皆、心を開くようになったとか。

彼らにしてみれば、一番、耐えられないのが、「自分は忘れ去られている」と思えることだったでしょう。
本社にどんな情報を送っても本社からは何も言っては来ないし、来るはずの交代要員も来ない・・・。
これでは、「俺は忘れられて居るんじゃないか・・・」という気持ちにもなろうというもので、それは即ち、商社にとって命綱とも言うべき情報の末端神経機能不全を起こすことを意味するわけです。
瀬島氏は、彼らに、「何を言ってるんだ!会社は、おまえを頼りにしているんだぞ!」と言い、あるいは、「心配するな!本社に、この瀬島が居る限りは・・・。」みたいなことも言ったでしょう。

これで、奮い立った、これらの営業所から送られてきた情報を基に、瀬島氏は第三次中東戦争を分析し、伊藤忠に莫大な利益をもたらしたわけです。
10のものを10発揮させる努力・・・、おわかり頂けたでしょうか。
                                           平太独白

by heitaroh | 2006-11-20 01:19 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(4)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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