人気ブログランキング |


タグ:江夏豊 ( 8 ) タグの人気記事

悲運の闘将・西本幸雄監督の逝去に去りゆく昭和を悼む
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1751644.jpgプロ野球監督として、大毎(現ロッテ)、阪急、近鉄(ともに現オリックス)で8度のリーグ優勝を達成しながらも、一度も日本一になれず、「悲運の名将」と呼ばれた西本幸雄氏が、昨25日夜、逝去されたそうですね。
享年91歳だったとか・・・。
ここ2日、スポーツネタが続いていたので、本日は別の話題に触れるつもりだったのですが、この人が亡くなったとなれば話は別です。
(←せめてもの哀悼の意を表してカクテル光線です。)

西本氏といえば、以前から、たびたび、採りあげておりますが(参照:平太郎独白録 : 西本幸雄 ( 4 ))、私はこの人が現役の監督時代というのは、まあ、好きでもなければ嫌いでもない・・・という感じで、それほど注目してみていたわけではありませんでした。
従って、この人を敬愛するようになったのは、はっきりと覚えているわけでありませんが、おそらく、監督を引退された後、その生きざまを知ってからだろうと思います。
その為、私が覚えている頃はもう、近鉄の監督で、それまで、闘将として鉄拳を振るって阪急ブレーブスを引っ張ってきた氏も、「息子には手を挙げられても、孫には手を挙げられんよ」と若い近鉄の選手を見ながら語っていたのが印象的に残っているくらいでしたね。

そんな好々爺然としたイメージしか持っていない私の世代も、いつも口を「への字」に曲げていた姿だけは印象に残っています。
が、近鉄時代は、「祖父と孫」だったこの人も初めて監督になった大毎オリオンズ時代などは主力選手たちとは「兄と弟」という程度の年齢差しかなく、選手時代に特筆するような実績を持っていなかったこともあって選手掌握には随分、苦労したそうですね。
そのことは、大毎を去り、阪急に移ってすぐの昭和41年に、従おうとしない「弟」たちに対し、不信任が1票でもあれば辞任すると宣言し、自らの進退を選手らの信任投票にかけた・・・というエピソードに表れているでしょうか。

ちなみに、私がこの人について、最初に「ん?」と思ったのが、広島との日本シリーズでの「江夏の21球」で敗れたときのことです。
(と言っても、あの時も見ていたけれど、舞台裏であれほどのドラマが動いていたとは思いませんでした。)
激闘の最中、江夏 豊投手が敵である西本監督の方をちらっと見て、「このおっさん、ここで負けたら監督辞めるかもしれんな・・・と思った」ということを後にコメントしていたのを聞いて、「え?唯我独尊を絵に描いたような、あの、無頼派・江夏がこの人に敬意を払っているの?」とそのことに物凄く違和感を持ちました。

さらに思い出されるのが、最初の大毎時代、リーグ優勝したものの、知将・三原 脩監督率いる大洋ホエールズに日本シリーズで4連敗して敗退した際、その采配を名物ワンマン・オーナー永田雅一に批判されると、憤然としてこれを辞した・・・と。
この辺り、何だか今のナベツネさんと清武弘嗣前代表の巨人の諍いを見ているような気がしますが、でも、出処進退の鮮やかさという点では雲泥の差があるんじゃないですか?
いつの時代にも、ああいう勘違いした権力者なんてのはいるわけで、清武さんも、場外乱闘などに持ち込まず、「抗議の辞任」だけで良かったような気もするんですけどね。
まあ、監督と球団社長を同義に語るわけにはいかないのでしょうが・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-11-26 18:12 | スポーツ | Trackback(6) | Comments(0)

大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で信長普遍の法則 その1
親愛なるアッティクスへ

今年のNHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」ですが、昨日、やっと第三回まで観終わりました。
最近の大河ドラマは、まあ、題材が出尽くした・・・ということもあるのでしょうが、「利家とまつ」辺りから完全に女性の占有物になったような気がします。
(以前から、「おんな太閤記」日野富子を描いたやつなど、女性目線の物が無かったわけではないのでしょうが、最近は特にその傾向が顕著になったかと・・・。この点は、私が大河ドラマ史上、「花神」と並んで高い評価をしているモッくん主演の「徳川慶喜」が、ちょうど今、ケーブルでやってますので、比べていただければよくわかるかと思います。)

で、今年の大河ドラマですが、そもそも、あんたら三姉妹だけじゃないでしょ・・・と(笑)。
小谷城落城の際には弟で浅井長政の嫡男、万福丸織田軍に捕まってかなり酷い形で殺されてますし(一説によると死ぬまでにとても苦しむ串刺の刑だったとか。)、下の弟は生かされて僧侶になったなどと言いますから。
この点は別に細かく突っ込むつもりはないのですが、ここで私が採り上げたいのが、おそらく、惨殺された万福丸は織田信長の妹、お市の方の子ではなかったのではないか・・・ということです。
織田信長という人は、身内でも一切、容赦しないようなイメージがありますが、実際には意外に身内には優しい人なんですよ。

父、信秀の晩年にできた幼い弟たちはすべて、ちゃんと養育してますし、家督を争った実弟、信行は殺したものの、その息子、信澄は終生、一門として遇し、実子以上に可愛がっていたようにさえ思える部分もあります。
また、自らの子供たちも家督争いが起こらないように、早い段階で、嫡男・信忠に家督を譲り、次男三男は他家に養子に出すなど、しっかり、良い親父しており、さらには徳川家康の嫡男、信康に嫁いだ娘が夫と姑の悪口を言ってきたら、家康に落とし前付けさせるし・・・。
ただ、その一方で、織田家に置いては信長の存在は絶対であり、となれば、当然、一族の女性に婚姻の自由などあるはずもなく、すべて信長の命令ひとつで、その意味では、そもそも、お市の方に自らの意思など無いも同然だったでしょう。
(信長は、自らの命令で嫁がせた叔母が背いたとき、その叔母を捕らえ、衆人環視のもとで逆磔の刑で殺していますから・・・。)

ただ、このドラマでもそのようですが、信長はそんな酷い事をしている反面、時代が変わっても普遍の人気を誇っているのに対し、(かつて、元プロ野球投手の江夏 豊氏は「男の子はどんな悪い奴でも強いものに憧れる時期がある」と言ってましたが、なるほど、このドラマでの信長を見ていると、そんな気がしますね。「昨日の敵が今日の友になるのが乱世の定め。武士がいちいち、憎んでいていては・・・」等と言うと、襖の向こうで若侍らが「得心」と言わんばかりに聞き入っている場面など、思わず私も妙に納得・・・と(笑)。)豊臣秀吉は最近は朝鮮出兵のこともあってかどの作品でも描かれ方がキツイですね。
昔は、秀吉といえば、立身出世の見本みたいなもので、「今太閤」などという言葉もあったほどだったんですが・・・。

おっと、もう、時間がありません。
この続きは、また、いつか続くと思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-01-28 07:59 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

大沢親分逝去に思う親分と後任・土橋正幸氏の思ひ出 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

土橋正幸投手は昭和33年(1958年)には、当時、全盛の西鉄ライオンズ相手に9連続を含む1試合16奪三振の日本記録(当時)を作ったほどの好投手でありながら、タイトルに恵まれなかった人という認識があります。
特に惜しかったのが私が生まれた昭和36年(1961年)のことで、この年、土橋投手は30勝16敗 奪三振298 防御率1.90という成績を残しながら、この年、同じパ・リーグには稲尾和久という42勝14敗 奪三振353 防御率1.69を記録した化け物みたいな投手がいたからで、この数字を見せつけられてはまったくもって、「不運」だったとしか言いようがないでしょう。

で、土橋氏の話はこれくらいにして、先頃逝去された「親分」こと、大沢啓二氏に話を戻したいと思います。
監督時代のことになるのですが、いくつか私なりに記憶に残っていることがあります。
まず、親分、唯一の優勝となった昭和56年(1981年)、前期優勝のロッテとのプレーオフに勝ってリーグ優勝を決めたものの、日本シリーズ開幕まで間がなかったことから、選手が体調を崩していけないということで、勝利に沸く選手らに対し、「日本シリーズに勝ってから大いに祝おう」と言って、祝賀を自粛させました。
ビールかけなどの祝賀らしい祝賀がなかったように記憶しております。)
でも、翌日がシリーズ開幕だったわけでもないので、私は「これは無いよ」と思いましたよ。
優勝という喜びはその時のことであり、何より、日本シリーズの相手は江川、西本を擁する巨人でしたから、「今、祝っておかないと日本シリーズに負けてから祝っても盛り上がらないだろう」・・・と。
そしたら、案の定、日本シリーズには巨人に完敗し、明らかに盛り上がらない祝賀会・・・。
でもって、以後、大沢監督の優勝は無かったわけで・・・。
この時、親分らしく、「先のことは先のことだ。今日は思いっきり、羽目を外して遊んでこい!」と言って送り出し、翌日から厳しく体調管理に臨むやり方でやっていれば、シリーズもまた、違う展開になっていたのではないかと思うんですけどね。

次に覚えているのが、当時は今よりも引き分けが多く、(年間、一球団当たり130試合中10試合くらい引き分けがあったんじゃないでしょうか。)味方の攻撃が無得点に終わって、これ以上の延長がないという場合、その裏の回の守備というのは、「引き分け負け」なわけで、見てる側も「何だ、引き分けかよ」みたいな感じがありましたから、当然、やってる方も同じだったのでしょう。
こういう場面で抑えて引き分けとしてマウンドから降りてきた、当時の日ハムのリリーフエース・江夏 豊投手が、誰からもねぎらいの言葉一つなく、首脳陣はさっさと引き揚げてしまっていたのを見て激怒した・・・と。
当時、私もこれを聞いてハッとしましたが、事実、一番、つまらない気持ちを抱いているのは、こういう場面で登板させられた投手であって、本音を言えば登板拒否したいくらいのところだったのではないでしょうか。
であれば、せめて、首脳陣くらいは「こんなつまらん仕事をさせてすまんなぁ」くらいの気持ちを抱いてもらわなければやってられないわけで、その意味では他の人ならともかく、「親分」と言われた人にしては随分、気配りのないことだな・・・と思いましたね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-23 18:51 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

百年に一回の失敗で諦めるというのは良くないの理
親愛なるアッティクスへ

以前、テレビで言ってましたが、王 貞治さんと松井秀喜選手の両方と対戦したことがある投手が一人だけいるそうですね。
最初、この話を聞いたときは、私と同級くらいの選手かな・・・と思ったのですが、私より6歳も上の元広島カープ大野 豊投手だと聞いて、少し、意外な感がありました。
まあ、大野投手は43歳まで現役でしたからそれが可能だったのでしょうが、先日、その大野投手の引退の時の特番が再放送されていました。
まあ、見るとも無しに見ていたのですが、その中で、ちと、考えさせられる一言がありました。

この大野投手という人は快速球と多彩な変化球を駆使して、在籍22年通算148勝138セーブ、生涯防御率2.90という素晴らしい成績を残した好投手でしたが、確か私の記憶では、元々、地元の信用組合軟式野球をしながら、広島にテスト入団した選手だったようで、従って、出てきた頃はその経歴で少し話題にはなりましたが、まさか、あそこまでの名投手になるとは思ってませんでしたね。
事実、入団1年目にまわってきた初登板では、1アウトつを取ったのみで5点をとられ、結果、この年の防御率は135.00という(13.50ではないですよ(笑)。)とんでもない数字になってしまったわけですが、ちょうど、この日、初登板ということで、田舎から応援団が持参で駆け付けてきており、試合後、大野投手はこの惨めな姿を応援団の人たちに詫び、そのまま、泣きながら「もう、これで野球をすることもないだろう」という気持ちで寮まで歩いて帰ったといいます。

で、私が印象に残った一言というのは、このとき、寮に帰った大野投手が母に電話したときのお母さんの一言でした。
本日の顛末を伝える大野投手に対し、お母さんは何と言われたか・・・。
お母さんは沈んだ息子の声に、「一回の失敗で諦めるというのは良くない」と言われたのだそうです。
大野投手は母のこの言葉を聞き、よく考えたら、自分はテスト入団だから、キャンプも満足に参加していないのに、逆に一年目で使ってもらえたということに逆に希望を見出し、頑張ろうという気になったところ、そこへ大投手・江夏豊が移籍してきて、その指導を受け、才能が開花したと言っておられました。
(この点は、福岡ソフトバンクホークス川崎宗則選手が当時のダイエーに入団したとlき、プロの二軍選手のあまりのレベルの高さに愕然となり、食事もとれなかった・・・という話を思い出します。川崎選手も絶望して、父に電話したところ、「とりあえず、頑張ってみろ」と言われ・・・。)

この言葉自体は、今更、驚くほどの名文句ではないのかもしれませんが、ある意味、昨今、「百年に一回の恐慌」などと言われ、とかく、暗いニュースばかりが世間を賑わせていることに対し、私には思うところがあった次第です。
(報道を見ていると、日本人は本当にこういう悲観的な話が好きな民族なんだな・・・という思いを強くします。もっとも、自分の悲観的な姿に酔っている・・・という、悲劇のヒロイン症候群的な、なかなかにしたたかな一面もありますけどね(笑)。)
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-12-22 08:20 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

映画「バッテリー」にみる女目線
親愛なるアッティクスへ

e0027240_11255743.jpg昨日、浅野温子・・・じゃなかった、あさのあつこ原作、バッテリーという映画をテレビでやってました。
友人から薦められていたこともあり、子供が見ていたので、少しだけ見るとも無しに見ていたのですが、見てみて、「なんじゃこりゃぁ?」と。
高校野球物だけど、これって、完全に女目線じゃないか・・・と。

実力がある一年生投手を苛めて、エースの座を維持しようなどというのは、明らかに、男の世界では有り得ない発想ですよ。
松坂大輔は一年生に入ってきたときから、もう、松坂大輔ですから。

誰も、それを苛めて、嫌がらせしようなどとは思わない・・・。
むしろ、先輩であっても、取り入ろうという方向に向くでしょうね。
それに、男は概ね、秩序には従順な生き物のようで、特に体育会系を自認しているような人たちは、少々、生意気でも先輩後輩の序列からはみ出すことはしませんよ。
以前、自民党の議員さんが言ってましたが、「後援会を作るときは、男は誰か世話役を置いて、一つの後援会を作れば良いが、女は各、気のあった小グループごとに作らなければならない」と。
このドラマを見てると、まあ、なるほどなぁ・・・と。

もちろん、男の世界でも苛めはあります。
でも、イジメる対象が違うんですよ。
実力があってイジメられるというのはよほどに性格的に問題があるんだと思います。
昔、江夏 豊投手がドラフト1位阪神に入団したとき、先輩から、生意気だ!ということで、夜、寮の廊下に正座させれられたことがあったそうですが、江夏氏が、そのまま朝まで、ずっと正座していたもんだから、先輩たちが、「あ、こいつは何をするかわからん。迂闊なことは出来ない」となったといいます。
球団が高い金払って獲得してきたゴールデンルーキーをイジメで潰したとなると、当然、その選手に対する球団からの目は厳しくなるわけで・・・。
でも、本音は、男は本能的に「怖さ」を計り取る能力があるんだろうと思います。

昔、西鉄ライオンズ若生忠男という投手がいました。
「ロカビリー投法」と呼ばれ、サイドスローから一旦、完全に後ろを振り返って投げ込む投げ方のため、よく死球を連発したとか。
亡父も言ってましたが、当時、ライバル球団、南海ホークスの主力だった野村克也氏などにも、やたらと、ぶち当てていたそうですが、誰もあまり抗議しないのだとか・・・。
なぜかというと、この選手、とにかく切れると何をするかわからない選手だったようで、この点は、智将と呼ばれ、威厳に充ち満ちていた三原 脩監督も真剣に怖がっていたとか・・・。
ま、男のケンカは、先に切れた者の勝ちですからね・・・(笑)。
                              平太独白
by heitaroh | 2008-08-12 08:50 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

時代を映したアニメ・あしたのジョーとことん的考察 その1
「我々はあしたのジョーである」・・・とは、よど号ハイジャック犯たちの犯行声明文の末尾に書かれていた一文だと記憶しておりますが、私は、おそらく、アニメ放送前に、少年マガジン「あしたのジョー」を見ていた、ぎりぎり最年少の世代ではないかと思います。
「あしたのジョー」とは、言うまでもなく、ちばてつや梶原一騎の名作として知られる人気マンガのことですね。
当時は、子供ばかりか、よど号ハイジャック犯ら若者にまで、多大な影響を与えた伝説の作品であり、当時、阪神タイガースのエースで、無頼漢的イメージが強かった江夏 豊氏までが、「力石のように生きたい」と語っていたのを聞いて、「江夏のような人までが」と思ったのを記憶しております。

この作品は、確か、少年マガジンの企画会議で、当時の人気漫画家・ちばてつや氏と、同じく、スポーツマンガ原作の第一人者・梶原一騎氏との共作を提案したことに始まるとか。
ただ、当時、梶原一騎は原作は書くものの、漫画家が自分の原案に勝手に手を加えるのを徹底的に嫌っており、果たして、ちばてつやとの「共作」を承諾してくれるものか・・・というのが、少年マガジン側が一番、危惧していたところだったそうですが、おそるおそる持ち込んだ担当者に対して、梶原は、一言、「ちばてつやと手塚治虫なら別だ」とOKを出したそうです。
曰く、「あの二人は、独自の世界を持っているから」と。
ところが、第一作の原稿を渡されたちばてつやは、一コマも、それを描かなかったとかで、梶原が激怒!した・・・ということもあったとか。
その後、ちばの人間描写と梶原の構想力とが相乗効果を呼び始め、作品はヒットを通り越して社会現象とまでなったわけで、特に、主人公・矢吹丈のライバル・力石徹が死んだときは、出版社の電話という電話が鳴り続け、あげくは、力石の葬式まで執り行われたというのは有名な話ですよね。

で、以前、NHKのBSで「BSアニメ夜話スペシャル とことん!あしたのジョー」という番組を放送していましたが、ご覧になられましたでしょうか?
昭和45年放送のアニメの「あしたのジョー」の特集番組です。
番組の中で、色々語られていることを聞いていると、多々、思うことがありましたね。
作品自体は、確かに、今のアニメと比べれば技術的には見劣りするかもしれませんが、逆に、あの制約の中で、よくぞ、あれほどのものを作ったな・・・と思いますよ。
現代の世界に誇る日本のアニメーションに至る過程・・・をみるような気がします。
(今のアニメは、確かに、「ゴトン」と落ちたら「ゴトン」と落ちた質感がありますからね。)

明日に続きます。
                             平太独白

by heitaroh | 2007-06-26 09:40 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(0)

元祖堀内伝説・1
親愛なるアッティクスへ

私が幼稚園くらいの頃、一番有名な野球選手は・・・と言えば、それはもう、言うまでもなく「王・長島」でした。
これは、当時、いくら、西鉄ライオンズの伝説が残っていた福岡地方でも、圧倒的な知名度で、どんなに野球を知らない子供でも、「王・長島」の名前は知ってましたね。
(それより少し後くらいの話ですが、あるSF小説で、地球とそっくりな異次元の世界に迷い込んだ少年と少女が、相手も本当に地球人かどうかを判別するのに使っていた質問が、「王・長島の背番号は?」だったくらいですから(笑)。)

で、その二人は別格としても、その次に子供心に有名だったのが、「巨人の堀内」「阪神の江夏」でした。
当時、野球はまったくわかりませんでしたが、子供心に、「巨人と大鵬は強い!」というのを知ってましたから、その強い巨人に立ち向かう「江夏」という存在・・・、でも、どっこい!一方の巨人にも「堀内」がいる・・・。
だから、いくら、江夏が奮闘しても、巨人には勝てない・・・。
そんな図式で捉えてました。
つまり、堀内が猿飛佐助なら、江夏は霧隠れ才蔵!って感じで、(←やはり、例えが古い!)両雄相譲らずって印象でしたね。

ということで、私が子供の頃、好敵手という言葉は、巨人の「堀内」と阪神の「江夏」ほど相応しい存在はいなかったように感じていたのですが、後年、中学生くらいになって、初めて、プロ野球40年史(←やはり古い!)か何かを読んだとき、江夏は最多勝2回を始め、数々のタイトル、奪三振記録など、素晴らしい経歴を持っているのに、堀内は昭和47年最多勝とMVPだけ・・・。
しかも、王・長島に代表される打線の力を考えれば、堀内はもっと勝っていておかしくないはずなのに。
(当時、セ・リーグの投手御三家と言われた大洋の平松でも、最多勝2回とっているという。)
「???」というのが、正直なところでしたね。

で、ここに一冊の本があります。
昭和59年(1984年)発行と書いてありますので、私は社会人になって間もなくの頃、この本を買い求めたのだと思いますが、言うまでもなく、その、巨人前監督である堀内恒夫さんの自著です。
これに関しては、私がアマゾンにレビューを書いてますので、よろしければ、ご覧になって下さい。
     ↓  
「オレは悪太郎―わが投手人生のMemoir」という本です。

で、ついでに、「このレビューは参考になりましたか?」の横にある「はい」をクリックして頂くと、きっと、神様は見ていて下さると思います(笑)。

続きはまた、そのうち・・・。

よろしければ、クリックお願いします。→ 人気blogランキング
by heitaroh | 2007-04-16 08:40 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

越路吹雪とモハメド・アリの同種性に見るガラス的「晴耕雨読」。
親愛なるアッティクスへ

今日も寒いですね。
でも、私が子供の頃は、12月でも立派に寒かったように記憶しておりますから、まあ、ここ数年が暖かかっただけで、これが本来の姿と言えばそうなんでしょうが、雪繋がり・・・というわけではないのですが、以前、天海祐希・主演「越路吹雪の一生」というドラマがあってましたね。
(越路吹雪という芸名は、彼女の宝塚時代、新潟に出張していたお父さんが、新潟からの帰途、雪を見て思いついたとか。つまり、越後路に吹雪く雪・・・って意味ですね。)
それを見ていて思ったことがあります。
プロ野球で、長年、捕手として活躍し、史上最年長監督・野村克也氏の言葉ですが、曰く、「長年、捕手として、投手という人種を多く見てきたが、投手というのは、皆、多かれ少なかれ、ガラス玉だ。一流になればなるほど、ガラス玉であり、扱いにも苦慮する。金田正一江夏 豊などは、とびきり一級品のガラス玉だった。」と。
この点では、越路吹雪という人も、そうだったみたいですね。

私の記憶にある越路吹雪という人は、歌う為に生まれてきたような人でしたが、その実は、極度のあがり症で、舞台に出るまでは、舞台のソデで、カーテン摑んで、ガタガタ震えていたとか。
そのくせ、一歩、舞台に足を踏み出すと、堂々たるステージで、聴衆を魅了する・・・。
(ミュージカルの女王、木の実ナナさんにも、そういうところがあったと聞いたことがあります。)
さらには、たばこが手放せないし、ステージが近づくと不眠症がひどくなり、友人を集めて、夜中まで麻雀しないと眠れない・・・と。

また、あの、ボクシング、ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリもそうだったようですね。
ビッグマウス(大口野郎)と言われるほどに好戦的挑発的な姿勢からは考えられないほど、実際の彼はガラス玉だったようです。
以前、ALI(アリ)という映画を見ましたが、伝説とさえもなっている、「キンシャサの奇跡」で知られる、ザイール(現コンゴ)のキンシャサで、気鋭のチャンピオン、ジョージ・フォアマンを破ったときも、実際の彼は、すでに全盛期を過ぎており、当時、殺人的なパンチ力を誇っていたフォアマンとの試合では、「アリは殺されるんじゃないか?」という声もあったとか。
そんなわけですから、試合前の計量のときも、少なからず、不安だったようですが、それが、一旦、計量会場に入るや、いつもの強気のビッグマウスぶりで、「チャンプは俺だ!」などと叫んで、そこら辺にある楽器などを叩いて、まだ、会場から出て行ってないフォアマンに罵声の限りを浴びせかけ・・・。

この辺は、私には何となくわかります。
別に一級品でないというだけで、私自身、ガラス玉的な要素を色濃く持ってるからです。
でも、ガラス玉というのは、それだけ、光り輝くモノでもあるでしょうが、同時に・・・。
ま、結構、自分でも自分を持てあまし気味のところがありますよ・・・。
しょっちゅう、絶縁しますしね(笑)。
老後は、人里離れたところに庵を結び、晴耕雨読でいきたいと思っております。
あ、電気は通ってないとだめね、PCできないから・・・。ヾ(ーー )ォィ
ついでに、やっぱりネオンも欲しい・・・かな・・・。(x_x) ☆\( ̄ ̄*)バシッ

あ、ちなみに、ガラス玉ってのは、神経質!っていうのとは、少し、違いますよ。
要は、まあ、感性の問題なんですよね・・・。
                       平太独白
by heitaroh | 2005-12-22 08:23 | 思想哲学 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 14:02
岡城、一度行きたいんです..
by sakanoueno-kumo at 09:41
> sakanoueno..
by heitaroh at 09:41
「離合」、初めて聞きました!
by sakanoueno-kumo at 09:26
>とがわさん 大橋..
by heitaroh at 12:11
大橋武夫氏の名言に惹かれ..
by とがわ at 11:58
> sakanoueno..
by heitaroh at 16:59
号外いいなぁ! 私は住..
by sakanoueno-kumo at 21:18
> sakanoueno..
by heitaroh at 11:00
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:57
「健安」はやめちゃたんで..
by sakanoueno-kumo at 21:02
無事是名馬、おっしゃると..
by sakanoueno-kumo at 20:59
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:55
遅ればせながら、40万ア..
by sakanoueno-kumo at 18:55
> sakanoueno..
by heitaroh at 01:18
検索
タグ
(65)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(31)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(21)
(21)
(21)
(21)
(20)
(20)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(14)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2019年 07月
2019年 06月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
太平記を歩く。 その69..
from 坂の上のサインボード
太平記を歩く。 その68..
from 坂の上のサインボード
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧