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タグ:武田勝頼 ( 8 ) タグの人気記事

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その8
先日からの続きです。

で、その武田勝頼築城による新府城です。
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e0027240_19211079.jpgまず、我々は東面(←)から上ったのですが、ここはご覧のとおり、高さがあると言っても、若い者なら一気に駆け上がれる程度であり、前面に堀を穿った跡があったものの、大軍に任せて力攻めにここを突破しようと思えば出来ないことはないような気が。
まあ、この辺はさすがに、土塁(↓)を築き、それなりの防御設備を整えていたようですが、この階段を上がるとすぐに本丸に出てしまうことなどを考えると、少なくとも、武田勝頼が大大名の武田家に相応しい城として築いた割りには・・・と。

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さらに、本丸に上がり、北回りに台地上をぐるっと一周してみると、北面(↓)に至ってはこの程度の高低差・・・。
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前回掲示の復元予想図を見てもらうと、確かに、こちらにもぐるっと東面から堀が伸びてきているようですが、堀幅も東面に比べれば狭いし、それを補うためか堀の中に突出した櫓を設けているものの、少々、迫力不足の観は否めないような。

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次に、二の丸(↑)を横切り、西面(↓)に出ましたが、ここはご覧のとおりの断崖絶壁で、その向こうに釜無川が流れており、航空兵力が無い時代、こちらからの攻撃は不可能だったでしょう。
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また、南面は全体に上り勾配になっている上に幾重にも縦深陣地を構成することで攻撃に備えられる構えとなっておりますが、であれば、この方面に敵を集めて叩く・・・というコンセプトであるべきで、それが、東面と北面、特に北面の脆弱性を考えると、少し首を傾げたくなってしまいます。
また、台地上にあるということは要害山城の項でも触れたように追い詰められた場合、逃げ道が無いことになってしまうことなどを考えれば、一見、堅城のように見えて、本気で本気でここで戦うことを考えていた施設だったのか・・・と。
おそらく、勝頼にとって、ここは領国を統治する為の政庁であって、ここで敵を防ぐことは想定しておらず、城の造りを堅固にしたのは自らの威信を示すためであったのではないか・・・と。
事実、勝頼は織田信長の軍が迫ると聞いたとき、ここに立て籠もって戦うことを選択せず、まだ、出来たばかりの城に火をかけて、家臣の城を目指して落ち延びて行ったことが雄弁にその辺を物語っているようにも思えます。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-21 20:14 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

「甲斐甲斐し 師走の甲斐も 甲斐があり」師走山梨 その7
先日からの続きです。

e0027240_1546879.jpg武田家緊急時の非難城・要害山城(←)ですが、頂上の本丸跡から背後に山の尾根が続いていることに少し感慨を持ちました。
これは逆に言えば、背後からも攻められやすいということでもあるのでしょうが、当時はまず、それほどの大部隊に十重二十重に囲まれるということは想定していなかったのだと思います。
であれば、どこからも攻められにくい城というのはやはり、最後は玉砕しか無いわけで、他日を期すという観点から考えれば、私もあまり、良い城だとは思いません。

その最たるものが、福岡市にある探題城跡(現愛宕神社)です。
こちらは、以前、平太郎独白録 : 古の九州探題は何処にありや!を推理する その6などで触れたとおりですが、こういう周囲を断崖に囲まれたような城というのは、逃げ道がないんですよね。
そもそも、籠城というのは援軍の宛てがある場合に行うもので、武田信虎の妻子にしても、信虎敗死ということになれば、いくら要害でももはや、ここに籠もる意味はないわけで・・・。

で、ここを出て、武田家の躑躅ヶ崎館は以前行ったことがありましたので、同行者には無理を聞いてもらいスルーして、甲府駅から電車に乗って、新府駅へ向かいました。

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新府駅・・・、マニアならすぐにピンとくる名前ですね。
武田信玄の死後、その子、武田勝頼が築いた新府城がある所です。
巷間、伝えられる、父、信玄が「人は堀、人は石垣」と言って、生涯、簡素な館に住んだのに対し、息子、勝頼は見栄を張って分不相応にも大規模な城を築き、それで人心に見放されて滅びた・・・と。
でも、これは大きな勘違いで、まず、第一に、この時代、甲斐には石垣を築く技術自体がなかったわけで・・・。
そのことは、この新府城(↓)でさえも石垣がない土塁だけの城だったことが何より、雄弁に語っているのでしょう。

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何より、信玄が信虎を追放し、家督を相続した時代であれば、位置的にもそこで良かったのでしょうが、信玄時代の拡張政策により、武田家の領土は大きく広がっており、躑躅ヶ崎館がある古府中では偏りすぎていたといえた・・・と。

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まあ、この辺は拙著、「死せる信玄、生ける勝頼を奔らす 増補版」に詳述しておりますので、こちらをご覧いただくとして、それにしてもやはり、甲斐はどこからでも富士が見えますねえ。

ということで、宣伝と共に明日へ続く・・・の巻。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-01-17 17:44 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

秋田人と佐賀で思った近郊不泊と海保流出擁護の愚
親愛なるアッティクスへ

先日、秋田から友人が来たので、佐賀嬉野温泉という所へ行ってきた・・・という話を申し上げましたよね。
で、なぜ、佐賀(↓)だったのかというと、それは、この友人がかねてより、「日本でまだ泊まったことがないのが佐賀県滋賀県だけ・・・」と言っていたからで、だったら、毎度お決まりのもつ鍋食って中洲のコースより佐賀の温泉にでも行こうか・・・と思い立った次第でした。

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これで、友人は後は滋賀県を残すのみとなったのですが、翻って我が身を顧みれば、私は、先月、鬼門だった埼玉県へ行き、これで全国制覇した・・・と申し上げましたが、それは行っただけで、まだ、泊まったことがない県は茨城、埼玉、山梨、福井、滋賀、三重、和歌山、徳島とたくさんあります。
(道はまだまだ険しい・・・(笑)。)
で、これらを見てみると、徳島と福井を除けば、すべて、東京京阪神の近郊に集中しているのがわかると思いますが、思えば、秋田の友人も、元々は横浜出身ですから、滋賀と佐賀に泊まるなら、京都博多に泊まるよな・・・ということで、同様の理屈で、九州からだと、用事が無い限り、東京か京都、大坂に泊まってしまうんですよね。

実際、私も、以前、武田信玄の息子である武田勝頼について著書をしたためたことがありますので、本来であれば、武田家の本拠である甲府にはもっと足を運ぶべきだったのでしょうが、やはり、博多から行くのは結構、大変なんですよ。
一旦、羽田へ出て、モノレールJRを乗り継いで行かねばなりませんから、待ち時間などを入れると、移動だけでほぼ、一日近く潰れます。
(よほど、北海道まで行った方が早いです。)

で、今更ながらに本日の本題です。
尖閣諸島での中国漁船衝突ビデオ流出事件で、海上保安庁にはこれを擁護する電話が相次いでいるそうですね。
でも、私に言わせるとこれは極めて、危険な兆候ですよ。
いくら、国民には知る権利がある・・・と言っても、とかく現場という物は近視眼的になりがちなもので、であれば、やはり、現場としては面白くなくとも、それを総合的な角度から検証し、判断できる立場の者に委ねるべきだと思います。
それを現場の考えだけで好きなようにやるのは、国家という機能に相反するものであり、かつて軍中央の指示に従わなかった関東軍と同質の物があるように思いますし、それを擁護する空気にも、かつて、5・15事件の時に犬養 毅首相を暗殺した犯人らへの擁護の声が強かったことを思い起こさせます。
その結果、何が起こったのかを今の日本人は良く考えるべきだと思いますが、まあ、いずれにしても、平和もぼちぼち、賞味期限切れなのでしょうか。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-10 08:43 | 政治 | Trackback | Comments(4)

大河ドラマ「天地人」の極端な主人公中心史観に興醒めの春
昨日、一昨日は少し肌寒かった福岡県地方ですが、今日からはまた、元の春の陽気に戻りそうですね。
例年、私はゴールデン・ウィークに入ったら、冬も完全に終わり・・・ということで、ストーブなどを片づけるようにしておりますので、今年もどうやら、これで寒さとはしばらくお別れのようですね。

ところで、今年の大河ドラマ「天地人」(でしたよね?)ですが、今まで辛抱強く見てきましたが、ついに見るのを断念しました。
主人公を素晴らしく描くがために、他の登場人物、特に敵対側を落として描く・・・というのは、まあ、こういう娯楽時代劇に置いてはありがちな手法でしょうが、今年の大河ドラマは、それにしても、ちと、酷すぎますね。
思わず、昭和30年代の時代劇全盛の頃の中村(萬屋)錦之介主演映画を思い出してしまいましたよ。

まあ、こういう点は、以前から指摘してましたとおり、最近の大河ドラマは往々にして、そういう、「普通の人がなぜか何もしないうちに偉くなってしまう」傾向があるものの、それにしても、今年のは、「今時、この史観かよ」みたいなところが目立ち・・・。
曰く、織田信長桶狭間で勝てたのは今川義元が油断していたのを雨に紛れて奇襲できたという「信長運が良かった説」・・・、徳川家康はリスクがあることは徹底して避け、ひたすら熟柿が落ちるのを待った「家康狸オヤジ説」・・・。
桶狭間の戦いは現在では今川の油断以前に、そもそも、奇襲ではなく、正面攻撃説が優勢ですし、家康が狸オヤジ的な印象を持たれるのも、最晩年に大坂の陣で謀略によって豊臣家を滅ぼし、天下を獲った印象によるものであって、今時、これはないよ・・・と。

さらに、決定的なのは、武田家との関係についてです。
いわゆる、「武田勝頼は父信玄に似ぬ愚物だから武田家を滅ぼし、上杉は智将・直江兼続の補助があったから滅びなかったという勝頼暗愚説と兼続優秀説」・・・ですね。
この点は、以前も申し上げましたが、武田家が滅びて、上杉家が滅びなかったのは、単に「武田が先で上杉が後だった」・・・というだけの話で、これひとえに、天下布武の覇業に邁進していた織田信長本能寺の変で思いがけず死んでしまったという、つまり、「運が良かった」だけのことにすぎないわけですね。
それに、武田家には兼続のような優秀な人が誰もいなかったかと言えば、決して、そんなこともなく、実際、智将の誉れ高い真田昌幸などもしっかり居たわけですから・・・。
武田家と上杉家が同盟を結ぶことについても、劇中では信長が「まさか」と言って絶句してましたが、これも、ただただ嘆息尽きず・・・で、追いつめられた者同士、少なくとも、信長が驚くことはあり得ないでしょう。
せめて、兼続には、武田との同盟を進める上では、「武田にも隣国・北条家が巨大に成りすぎることを歓迎しないはずだ」・・・くらいのことは言わせて欲しかったですね。
                                         平太独白

by heitaroh | 2009-04-28 08:22 | 文学芸術 | Trackback(1) | Comments(2)

自己破産表明のミートホープに甲斐武田家の末路を見た!
親愛なるアッティクスへ

ミートソース・・・じゃなかった、「ミートホープ」田中稔社長・・・、ついに、自己破産を申請する方針を表明したとか・・・。
なにやってんだか・・・と思わなくもないですが、でも、この事件、内情を聞くにつけ・・・思わず、笑っちゃいましたねぇ。
だって、内幕を知れば知るほど、拙著、 「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」で記した武田信玄晩年の武田家とそっくりなんですから・・・(笑)。

親父が、訳がわからないことばかりやって、それに面と向かって反対する長男は煙たいからと廃嫡されて平取締役・・・。
(武田信玄の長男、義信は、親父に対してクーデターを起こすも未遂に終わり、幽閉後、自殺。)
次男は、関わり合いになりたくないと距離をとり監査役・・・。
(信玄の次男は、生まれついての盲目のために幼くして仏門に入る。)
で、結局、親父の亜流みたいな三男が後継者に・・・。
拙著の中では、跡を継いだ四男勝頼(三男夭折の為、事実上の三男)を被害者の目線から描きましたが、ミートホープでは三男はどうにも困ったちゃんみたいで、あるいは、これが勝頼という人の真実だったのかもしれないな・・・という気もしてきました。
もっとも、武田家の場合、勝頼は最後まで、正式に後継者にはなってないんですけどね。

以前、武田家の地元・山梨県の人に拙著を送ったところ、山梨県は信玄びいきのお国柄ゆえ、「フィクションだ」と切り捨てられました。
だけど、少なくとも、信玄は、長男・義信が死去した後、自らが死去するまで、ついに、皇太子の座を空席のままにしているんですよ。
戦国乱世の時代に、長期にわたって「後継者」を空位にするというのは、明らかに異常なことであり、事実、このことは、信玄没後に武田家の滅亡に大きく関わってくることになります。
この点は、どう考えても、単に、「自分のやることに異を唱える者が出てこないように・・・」という、自分のことしか考えていなかった・・・、つまり、整序上ではなかったと言い切ってもいい根拠の一つだろうと思います。

そもそも、ワンマン社長の場合、社員などは、それでなくとも、面と向かって異を唱えづらいわけですから、自然と、イエスマンばかりになり、本当のことが耳に入らないようになりますよね。
その点では、一番、本当のことを言いやすいのは、「身内」なんですよ。
その身内の言うことに耳を貸さない・・・どころか、廃嫡してしまうなどというのは、もう、誰も本当のことを言ってくれなくなるということであり、行き着く先は、ミートホープや武田家のようなことになるしかないのでは・・・。

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by heitaroh | 2007-07-11 08:42 | 時事問題 | Trackback | Comments(4)

私事に見る「天道是か非か」的告知
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14135498.jpg私儀、恥ずかしながら、この度、二冊目の著書「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」を出版致しました。
お笑い下されたく候です。
ちなみに、前作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」は、その節は、ヨン様と並んでましたが、今回は石原慎太郎と並んでました(笑)。

ちなみに、マジの話ですが、今日もずっと、車を運転しながら、著書のことを考え、ブログのことを考えていたら、ラジオから血液型占いが流れてきて、聞くとも為しに聞いていたら、「A型の貴方。(私です。)自意識過剰にならないように。井の中の蛙と笑われますよ。ラッキーポイント世界地図です。」と・・・。
嗚呼、天道是か非か・・・。

実は、アマゾンでもまだ、画像も登録されてませんし、店頭に並ぶのも来月初旬と聞いてましたので、それから・・・と思っていたのですが、先ほど、友人を迎えに博多駅に行ったら、すでに並んでましたので、慌てて、UPした次第でした。
本当は、昨日でブログも仕事納めにしようかな・・・と思っていたのですが・・・。
ちなみに、正月の間、アップされ続けれるだろうと言う腹黒い計算も・・・(笑)。

さておき、今回の作品は、名前からすぐにおわかり頂けると思いますが、戦国の名将「武田信玄」とその後継者「武田勝頼」を描いたモノです。
ただ、前作よりも、かなり色濃く、私自身の体験が出ている作品だと言えます。
そして、哀しいかな、これは、私だけの特異な体験ではなく、これが、日本の中小企業(あるいは、松下幸之助などを見ていると、大企業でさえも・・・。)で起きていることの現実だとも言えるような気がします。
中内功、藤田田、水島広雄、和田一夫・・・etc、昨日の名将が今日も名将であるとは限らないんです。
その意味で、おそらく、500年前の武田家の実態も「当たらずといえども遠からず・・・」だったのではないかと思っています。
過去のカリスマがかえって仇を無し、迷走さえも深謀遠慮に映る・・・。

「ボケた毛沢東ほど始末の悪いモノはない。」
これが、私が身を以て体験したことの結論です。

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by heitaroh | 2005-12-30 20:24 | 私小説 | Trackback(6) | Comments(5)

ナポレオン三世と小早川秀秋に見る歴史というものの無責任性について
親愛なるアッティクスへ

私なりに少し述べさせて頂きますと、「歴史」とは非常に無責任な物だと言うことです。
現代の我々は、歴史という物の結末を知るという点に置いて、司馬遼太郞さん曰く、「万能の神の如き存在」であり、即ち、俯瞰で見る目をもって、歴史上の人物を評価してしまいがちです。
しかし、当事者はそうではないわけです。
織田信長がいち早く鉄砲に着目し、武田勝頼設楽ヶ原において、完膚無きまでに破った事件があります。
後年、長篠の戦いとして、教科書などでも紹介されている事件です。
これは、暗愚な二代目勝頼が、信長と違い、鉄砲の重要性に気づかなかったから起きた・・・と言われています。

では、ほんの二十年ほど前、コンピューターチップを見て、今日のコンピューター全盛時代が来ることを予見できた人が何人いたのでしょうか?
今となってみれば、鉄砲と同じで、「なぜ、コンピューターがこんなに普及する・・・、一大産業になるということがわからなかったのか?」とさえ思います。
しかし、それがわかったのは、現実には、ビル・ゲイツを始め、数人しかいなかったわけでしょう?
この点で、まったく、歴史というのは無責任な物です。
(ちなみに、勝頼を偉大なる信玄の跡を継いだ苦労知らずの二代目で、信長を創業者のように思っておられる方が多いようですが、信長も家督を継いだ段階で、小なりと言えども領国と家臣団が有ったという点では、立派な二代目であり、その意味では、家康も、上杉謙信も、伊達政宗も、ケチの付けようのない立派な二代目なんですけどね・・・。)

もうひとつ、小早川秀秋という人物がいます。
秀吉義理の甥になる人物ですが、あの、天下分け目「関ヶ原」の戦いの時に、 態度を決めかねた挙げ句に、家康に恫喝されて西軍を裏切り、東軍を勝利に導いたことで、当時も今も、非常に蔑まれている人物です。
しかし、この関ヶ原の時点で、彼は今で言うところの満18歳
自分が18歳のときに、いきなり、社長になって、会社と、全従業員の運命を左右する場に引き出されて、「さあ、決断しなさい。」と言われて、「私は間違いのない決断が出来ました!」と言える人が何人いるのでしょうか?
ましてや、眼下では硝煙と血の臭い悲鳴、絶叫、轟音が耳をつんざく阿鼻叫喚地獄図が拡がっている、その前でです。
まあ、信長や家康は、その年齢で家督を継いで、バリバリにやってますから、ダメ人間と言えば、ダメ人間なのでしょうが、少なくとも、私には「やつのように、無様な決断をすることはなかった!」と言い切る自信はありません。
まったく、歴史というのは無責任な物です。

実は先日、鹿島茂著、怪帝ナポレオン3世という本を読んだのですが、その末尾の部分で、思わず、胸が熱くなってしまいました。
本で胸が熱くなったのは久しぶりでした。
彼の伯父、ナポレオン一世は、その死後、幽閉先の孤島からルーブルへと移されたのに対し、毛利輝元と同じく、内政家としてはなかなかに有能であったこの人物は、未だにフランスに移されることもなく、亡命先のイギリスにて眠りについていると言います。
歴史とは、まったく、無責任な物です・・・。
                                  平太独白
by heitaroh | 2005-12-12 00:43 | 歴史 | Trackback(3) | Comments(18)

セントレアの憂鬱・・・。
親愛なるアッティクスへ

先週、所用で豊橋に行ってきました。
かねてよりの念願だった長篠城設楽ヶ原を見てきましたが、長篠城と、「長篠の戦い」の舞台である設楽ヶ原の、その意外な狭さには驚きました。

実を申しますと、この辺りは、恥ずかしながら来年1月に出版する拙著「死せる信玄生ける勝頼を奔らす」(名将、武田信玄負の遺産に苦しむ後継者、武田勝頼を描いた歴史小説)の舞台なのですが、実際には文献のみで、まだ行ったことがありませんでした。
「けしからん!」とお叱りを蒙るかもしれませんが、ある意味、やむを得ないことで、やはり、古戦場巡りということになると、九州からはどうしても、かなりのハンディがあるようです。
なぜならば、戦国期から安土桃山時代までの有名な古戦場となると、どうしても近畿地方から中部地方に集中していることや、さらに、最寄りの空港まで行っても、そこから、どうやっていけばいいの?みたいな・・・。
まあ、古戦場なんて、必ずしもアクセスがいいところにあるとは限りませんでしょうしね・・・。

e0027240_10151192.jpgところで、初めて、中部国際空港セントレアへ行ったのですが、感想は「でっら、広うてあかんわ。」でした(笑)。
しかし、気になったのは、空港内は、結構な人ごみだったのですが、一歩、ゲートをくぐると、国内線はこの状況(←)・・・、つまり、見物客だけ・・・?
まあ、国際線は一杯だったと思うのですが、それでも土曜昼下がりですよ・・・、先行き、大丈夫ですかね・・・。
考えてみれば、名古屋から飛行機東京大阪に行く人はあまりいないでしょうしね・・・。
おそらく、博多、札幌などへ飛ばすしかないのでしょうが、この国は運営という意味では東京という巨大なモノを、何事にも絡めないと厳しいように思いますが、如何でしょうか?

ところで、今日は第三次小泉改造内閣発表だそうですね。
23日の参院神奈川補選で、自民党新人の川口順子氏が圧勝したことで弾みがついたとか・・・。
私は、国民は、「先の衆院選で自民党に圧勝させすぎた。あんなに勝つんだったら・・・。」という想いがあるのではないかと考えてましたので、次の選挙では、「その反動があるのでは・・・。」と思ってました。
しかし、この結果は、やはり、国民は、マスコミが、あれだけ「勝ちすぎたことの弊害!」とか、「ファッショだ!」などとはやし立てても、「小泉内閣」というものを、全面的に支持している・・・ということを、改めて示したように思えますが、如何でしょうか?

ちなみに、次の総理候補の処遇も見物ですね。
安陪さんが、もし、総理になれば、6月17日付けの平太郎独白録 「現代も生き続ける長州閥」の中でも触れましたように、実に山口県からは断トツトップの8人目の総理大臣ということになります。
まあ、現実には、幹事長すら荷が重かった観がありますから、もう少し、主要閣僚の経験を積んでからの方がいいとは思いますが・・・。

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by heitaroh | 2005-10-31 08:45 | 社会全般 | Trackback | Comments(6)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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