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相手の足の裏を舐めても、負ける戦はしてはならない
親愛なるアッティクスへ

亡父の遺品の中に、生出 寿 著 「勝つ司令部と負ける司令部―東郷平八郎艦隊と山本五十六艦隊」 という本を見つけました。
副題の通り、日露戦争での東郷平八郞艦隊を中心とした日本海軍と、太平洋戦争での山本五十六艦隊を中心とした日本海軍との比較分析を行った教訓本ですが、とかく、この手の批評本は、「勝った方はすべてが正しく、負けた方はすべてが愚かだった」というふうになりがちですが、(この十年くらいは随分、マシになりましたが・・・。)その点で、同書もこの範疇を出ているとは言い難く、あまり、得る物がある書物ではなかったのですが、その中に、ちょっと気になる部分がありました。

抜粋してみますと、
『対米英蘭戦の「帝国国策遂行要領」が昭和十六年十一月五日の御前会議で決定され、同日、軍令部の命令、指示にもとづいて、山本連合艦隊司令長官は、「連合艦隊命令作第一号」を各部隊にくだした。
(中略) 最終の目的は米英蘭などの戦意をうばい、講和にもってゆくことだが、じつはそれは、ドイツイギリスソ連に勝てば支那(中国)の蒋介石政権は孤立し、アメリカはヨーロッパの独伊と東洋の日本を相手に戦わねはならなくなるから、すべての敵は戦意を喪失することになる・・・という希望的観測によるものであった。
ということは、ドイツがイギリス、ソ連に負ければ、日本は米英蘭支ソのすべてと戦わなけれはならなくなり、日本の敗北は決定的になるということであった。日本は、このような希望的観測で、対米英蘭戦をはじめることにした。』・・・と。

何で読んだか思い出せないのですが、この話は以前、聞いたことがあります。
上述の「帝国国策遂行要領」を読み解いていけば、そこには、徹底して「アメリカには単独では勝てない。ドイツが英ソを屈服させてくれれば、アメリカが戦意をなくすであろうことを期待するということが書かれていたとか。
だとすれば、当時の日本の戦争指導者たちは、この程度の勝算で開戦したのか!と改めて驚かざるを得ません。
おそらくは、まず「開戦」ありきだったのでしょうが、どこの世界に、開戦の冒頭で「アメリカには勝てない。勝つか負けるかはドイツ任せ!」などと開陳して戦端をきるような国があるでしょうか?
日露戦争開戦前夜、政府部内の大勢はは開戦に傾いてもなお、伊藤博文のみは開戦を逡巡し、その弱腰をなじる壮士に対し、「諸君らの名論卓説よりも今は一発の砲弾が欲しい」と言ったという、あくまで、明確な勝算を追求し続けた姿勢とは、あまりにもかけ離れており、この点で、残念ながら、太平洋戦争当時の戦争指導者は日露戦争時の戦争指導者に比べて、大きく、及ばなかったと言われても仕方がないと思えます。

この点は、何も戦争ばかりではないと思います。仕事でも勝負事でも・・・。
そういうと、「男には負けるとわかっていても戦わねばならないときがある」と言われる方があるかもしれません。
しかし、は戦争に負けてはいけないし、会社も潰れてはいけないのです。
その上で、私は敢えて、こう言いたい。

「負ける戦(イクサ)はしてはならない。たとえ、相手の足の裏を舐めても・・・。」
                                   平太独白

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by heitaroh | 2008-06-28 08:57 | 国際問題 | Trackback | Comments(6)

偉人たちに見る各人各様の指示の要諦。
親愛なるアッティクスへ

織田信長という人は主語述語を余り述べない人だったようで、家臣たちにとっては、何を言っているかよくわからない困った上司だったとか・・・。
まあ、こういう、頭の回転が常人以上で、行動力もずば抜けた人であれば、さもありなんという気もしますが、頭の回転に口が付いていかず、また、それがわからなければ感情を行動に出してしまう、とんでもない上司ですから、家臣たちも迂闊に聞き返すことも出来ず、大変だったでしょうね。
で、これについて、思い出した話があります。

昭和30年代だと思うのですが、ある財界の大物社長がいらっしゃったそうですが、残念ながら何を言っているか、よく、聞き取れない人物だったそうです。
で、それがわかったのが、唯一、後にその会社の社長となった、ある人物だけだったそうで、この人は、「何で、アナタにだけわかるの?」と聞かれるたび、「そんなもん、スワヒリ語だと思えば簡単さ・・・。」と答えていたとか。
まさしく、木下藤吉郞だったのでしょうね。
結果、何かあると、「もういい!藤吉郞を呼べ!」となったわけで、以来、彼は社長の重要な腹心となり、その後も出世を重ねていき、最後はその会社の社長にまでなったとか・・・。
彼は、その社長が「何を言っているか・・・」だけを「解読」することに専念したことで、出世の糸口を摑んだのであり、これは、ある意味、着点を変えた・・・発想の転換だったとも言えるでしょう。

この点で、同じく・・・というか、違う意味で、徳川家康と言う人も何を言っているか、よくわからない人だったそうですね。
でも、この人の場合は、まあ、いかにもこの人らしいというか、部下に何か指示を与えようとするとき、始めはハキハキ言っているのに、途中から怪しくなっていって、最後は口の奥で「モゴモゴ・・・。」となってしまっていたとか・・・。
家臣の側からすると、よく聞き取れないもんで聞き返すけど、また、途中まで聞いたら、「モゴモゴモゴ・・・」となるそうで、こうなると、さすがに上司相手に、そう何度も聞き返せるものでもなく、後は自分なりに解釈して行動に移していたけど、それに対して、特に何も言われないので、ずっと、そうやっていたと・・・。
つまり、家康は物事を明確に指示しないことで、自ら、部下に考えさせようとしたわけですね。
中には、家康の意にそぐわないことになってしまったケースもあったでしょう。
しかし、家康は、その場合でも素知らぬ顔で、何も言わず、我慢したわけですね。
徳川三百年の基礎を作った徳川武士団というものは、こういった、家康の辛抱強い社員教育あってのことだったということがおわかりいただけると思います。

この点では、明治の元勲、大久保利通伊藤博文大隈重信ら、辣腕の若い部下から非常に人気があり、同じく明治の元勲の一人、木戸孝允は、あまり人気がなかったとか。
彼らが、木戸の元に行くと、事細かに指示されるのに対し、大久保は上申書に目を通すと、「これだけか?」と問い、「はい。」と答えると、「わかった。」とだけ言って、自由にやらせたとか。
彼らにとっては、まさしく、理想の上司だったでしょう。

もう一つ、太平洋戦争の名将・山本五十六元帥は、残業しないことで有名だったそうで、夕方、自室に戻ってくると、机の上に山と積まれた書類に、秘書官曰く、「スタンピング・マシーン」と呼ばれるほどのもの凄いスピードで決済印を押していくのだそうです。
でも、いいかげんな押印なのかと思えば、そうではなく、問題がありそうな箇所はピクッと止まって、じっと読み、また、もの凄いスピードで押印を始めるのだとか。
で、終わってみれば、きちんと振り分けは出来ているそうで、しかも、それで、殆ど問題も起き無かったと言います。
このマジックの種、それは、「どうやら、提出者の名前で見ていた」ようで、つまり、「こいつなら、任せておいていいだろう。」という人と、「こいつは、ちょっと。」という人を分けていた・・・と。
                             平太独白
by heitaroh | 2006-02-21 18:03 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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