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ドラマ「半沢直樹」のラストシーンに思う小林一三の名言
実は私・・・、今流行の「あまちゃん」「半沢直樹」「ショムニ」も、どれも見てませんで、まったく流行についていけておりません。
唯一、見ているのは「八重の桜」だけですが、これも最近は単なる同志社の宣伝動画みたいになってきてますので(企業のHP内にありそうな創業物語動画みたいな・・・。)、西南戦争の回も終わっちゃったし、このままの流れなら見なくなるでしょうね。
この点で、以前、「歴史ドラマは中央の有名人が絡まないと、単なる地方の郷土史になってしまう。それだと関係ない地方の人には興味が持てない」と言った人がいましたが、確かにそういう傾向はあるんでしょうね。
そう考えれば、良い悪いではなく、明治の頃に地方の学校に在籍していた人が誰かなんて、普通はなかなか興味を維持してもらうのは難しいですよ。
何かしらスパイスを活かさないと・・・。

e0027240_14481036.jpg

ただ、そうは言っても、家族は見てますので、時々、私の意志には関わりなく点いている時があり・・・。
従って細切れには見ているので、何となくストーリーは頭に入っております。
で、昨日もたまたま、食卓でドラマ「半沢直樹」が点いており、最終回だけ、別に見るともなしに見てしまいました。

で、その最終回の最後のラストシーンですが、これを見たうちのガキが「何で?さっぱりわからん」を連発しておりました。
でも、私的にはバレバレでしたよ。
ドラマ特有のどんでん返し・・・という観点から言えば、少し引っ張りすぎましたね。
もう少し、前振りなしに、いきなり結論のシーンに飛んでも良かったんじゃないですか?

で、そのことはさて置いて、このラストの展開、他にも結構、「なぜ、こうなるのかわからない」という声がありましたので、少し解説しますと、こういう人事は昭和の財界人事では実際にあったことのようですよ。
つまり、主人公の半沢くんは非常に良くやったんですが・・・(やり過ぎた?まあ、ドラマですからね(笑)。)、その行為はある意味、スタンドプレーでもあり、追い落とされる側はもとより、それ以外の人たちの中にも快く思わない人も多いわけです。
となれば、仮に彼を取り立てるにしても一度、冷や飯を食わせてからでないと周囲が納得しないし、何より、本人も増長する・・・と。
その人が左遷先で懸命にやれば、戻されて出世コースに乗ることもあるでしょうが、「何で俺が」とか、「話が違う」などと言って腐ってれば、それまでなわけです。
阪急の創始者・小林一三翁の言葉に「下足番を命じられたら、 日本一の下足番になってみろ。 そうしたら、 誰も君を下足番にしておかぬ」という物がありますが、早く、それに気づくかどうかでしょうね。

つまり、半沢くんは上から見られているわけで、後は「半沢直樹2」で述べられるんじゃないですか。
最終回しか見てない私が偉そうなに言うことではいんですけどね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-09-23 07:44 | 経済・マネジメント | Trackback(1) | Comments(2)

早速、大丈夫か博多阪急・・・。
親愛なるアッティクスへ

e0027240_198253.jpg

先日、ちと、買い物があったので、新・博多駅に新たにお目見えした博多阪急(↑)に行ってきたのですが、さっそく、いきなり「大丈夫かぁ?」という危機感を持ってしまいました。
まず、いくら買い物しても駐車場は1時間まで・・・ということ。
これはまあ、まだ、場内に駐車場が完成してませんから、外部駐車場と契約を結ぶしかないようで、理解出来ないことではないのですが、でも、1時間といえば、売り場まで行って帰る時間を考えれば、商品を選んだらすぐに帰らないといけないということを意味しており、これでは勿体ないんじゃないですか?
もっと、ぶらぶらさせて、購買意欲を高めなければ・・・。

次に思ったのが、会計時にポイントカードを出し忘れたら、もう一度、処理を取り消してやり直さなければならないそうで、ていうか、普通、今時、どこでも、「当店のポイントカードはお持ちではありませんか?」って聞きますよね。
でもって、ポイントがどれだけ付いたか見てみたら、何と、購入代金の1%なんですよ。
すぐ隣のヨドバシカメラで買うと10%付いてきますから、(駐車場は5千円以上で2時間無料です。)この瞬間、「おいおい、阪急、大丈夫か?」と・・・。
思わず、せっかく出来た阪急の将来性に極めて、危ない物を感じましたよ。

でもって、帰り際、1階に降りて、足早に店を出ようとして、ふと、見ると、「今なら、OO円以上で抽選で海外旅行プレゼント」などと書いてあるじゃないですか・・・。
で、レシートを持っていって、「これ、出来ますか?」と聞いたら、「はい、できます」・・・と。売り場の人も、一言、「今、1階でこういうサービスをやっております」とか何とか言えよ・・・と。
私が気づかなければ、そのまま、知らずに立ち去っていたわけですよね。
e0027240_198535.jpg(←博多駅プレオープンの時の招待状です。)

まあ、運命的なまでにくじ運が悪い私は当然、はずれで、「30ポイント(つまり、30円です(笑)。)付きました」と言われましたが、その辺は良いんですよ。
元々、はずれなんですから・・・。

でも、そこに至る前のことはすべて、ちょっとした気配りで解消出来ることであり、思わず、出来たばかりなのにセクショナリズムのようなものを感じましたね。
こんなの、伝説的な名経営者であった阪急創始者・小林一三翁が見たら、絶句するんじゃないかな・・・と。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-04-04 19:57 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)

ホームでの突き落とし殺人に思う鉄道会社の責任の是非
親愛なるアッティクスへ

e0027240_13435297.jpg←最近、色々あって・・・、昨日は、珍しく独りで飲ってました。
隣はカップルでしょうか・・・。
私がいる間は、この上に物が並べられることはありませんでしたが・・・。

ところで、先日からの、相次ぐ少年の凶悪犯罪についてですが、今朝も「少年の心の闇」・・・などという、いかにもワイドショーが喜びそうな視点から、例によって張り切って採り上げられてましたが、ただ、私は、特にそのうちのJR岡山駅の事件については少し思うことがありました。
即ち、この事件に関しては、こういった「背景」以前に、鉄道会社の責任を云々する声があっても良いのではないかということです。

事実、岡山県警の調べによると、「少年は、当初、ナイフで事件を起こそうとしたが怖くてできず、結局、ホームから人を突き落とすことにした可能性がある」とのことで、だとすれば、もし、電車のホームが安易に突き落とせる構造になってなかったら・・・、もしくは、そこにいる人がこの状況の危険性を十二分に認識できるような啓蒙を受けていたら・・・、かなりの可能性で、この事件は防げたのではないかと思うのです。

まず、ナイフで人を殺す・・・ということですが、これは、実は、それほど簡単なことでもありません。
なぜなら、相手も抵抗する・・・というこの難しさもながら、刺した経験の無い人は、「さあ、刺せ」と言われても、「はい、そうですか」と刺せるものではない・・・ということがあります。
料理をしたことのない人が、「さあ、この鶏を捌きなさい」と言われても、なかなか出来ないくらいですから、ましてや、万物の霊長である人間は簡単には刺せないでしょう。
ところが、電車のホームというのは、例外的に、それが極めて簡単にできる状況にあるわけですから、本来、運営者側は、この点に十分に配慮する必要があったのではないでしょうか。
鉄道会社は、一刻も早く、これに対応しないと、この事件は、「安易に人が殺せる」方法があることを満天下に示したわけですから、次もある可能性もありますよ。

この点では、阪急の創始者・小林一三翁だったかが、最初に鉄道事業に乗り出したときに、経営の師匠であった北浜銀行岩下清周頭取だったかから、「駅のホームにはを付けるべきだ。そうでないと、上客は乗車を危険視して、その電鉄会社を敬遠するようになる」と強く要求されたことを思い出しました。
小林翁は、岩下頭取の要求にも頑として従わず、そのまま、開業したのですが、 それが、今日、電車のホームには柵がないことが一般的な形となったことで、これを翁の先見性だというような評価が為されている向きもあるようです。
ただ、このとき、翁が柵を設けなかった本当の理由は資金不足であり、そのときに口にしたのが、「欧米でも柵がないのが一般的だ」というものだったのですが、それを日本の電鉄会社は、安易に、「欧米でもそうなんだから・・・」という神話として受け入れすぎて来たのではないか・・・と思えるのです。
昭和の通勤ラッシュの時代など、よく、あれで責任が問われなかったものだな・・・という気もしますが、ちなみに、福岡市営地下鉄では、最近では、自動開閉式の柵が設けられています。

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by heitaroh | 2008-03-27 17:25 | 時事問題 | Trackback | Comments(7)

犬丸徹三青年がみた一流のガラス拭きの誇りの論理
親愛なるアッティクスへ

犬丸徹三と言う人物が居ます。
あの、帝国ホテル社長にして、日本のホテル業界を一流に引き上げたと言っても過言ではない人物です。

明治20年(1887年)石川県に生まれた犬丸翁は、旧制小松中学校(現・石川県立小松高等学校)を経て、東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業。
しかし、在学中、読書政治演説に力を入れ過ぎたことから、ビリから三番目の成績での卒業であったそうで、この為、就職先はなかなか見つからず、やっと、満鉄経営の長春ヤマトホテルに入ったものの、与えられた仕事は、ドアボーイだったとか。
このとき翁は、客に揉み手をして頭を下げる自分の姿が、何とも惨めに思えてしかたがなかった上に、さらに、母校の同窓生からは、「今、君がやっているような仕事は、わが栄光ある母校の名前を汚すものである!」という苦情を言われ、何とも忸怩たる想いを隠せなかったとか。

しかし、この中傷があったことで、翁は、敢然、一流のホテルマンにならんとすることを決意し、さらなる武者修行の場として、大正3年(1914年)8月、ロンドンに飛びます。
しかし、当てがあって、ロンドンに向かったわけでもないことから、なかなか、仕事は見つからず、ようやく、フェンチャーチ停車場近くの鉄道ホテルに勤務することになったものの、与えられた仕事は窓ガラス拭きだったとか・・・。
やがて、翁は、このくだらない仕事に段々と空しさを覚えるようになっていたそうで、あるとき、作業中に、相棒の老ガラス拭きに、「君は毎日、こんな仕事で満足しているのか?」とこぼしたところ、その老ガラス拭きは、黙って窓を指差し、「イヌマル!見たまえ、私が拭いたガラスには一点の曇りもない。窓ガラスは拭けばきれいになる。きれいになれば、私はそれだけで限りない満足を覚える。私は、この仕事を一生の仕事として選んだことを、少しも後悔していない」と言い切ったと・・・。

27歳の犬丸青年は、この老ガラス拭きの言葉に大変強い衝撃を受けたといいます。
「イギリス人は、己の仕事に、これほどまでに誇りをもっている・・・。それに比べて俺は何だ!」と。
阪急グループ創業者小林一三氏は、「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ!」と言ったといいますが、犬丸青年のこのときの心境は、まさしく、これだったでしょうか。
「与えられた仕事に懸命に取り組まずして、何が一流のホテルマンになる・・・だ!」と。

犬丸翁は、これ以後、どんな職場に移っても、「この心で貫こう」と決めたのだとか。
やがて、その仕事ぶりを認められ、帝国ホテル常務支配人だった林 愛作氏に招かれ、帝国ホテルの犬丸としての活躍が始まったわけですね。
後年、犬丸翁は、こうも言っています。
「一流と言われる会社にいる人が一流なのではない。一流の人間が働いている会社こそ一流なのである」と・・・。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-01-30 08:56 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(10)

徳川無声日記に見る遊びをせむ的小林一三の卓見
親愛なるアッティクスへ

まだ、私が二十代の頃だったと思うのですが、阪急の創始者にして、天才的なアイデアマン社長と言われた小林一三翁の伝記を読んだことがあります。
(翁については、以前から、平太郎独白録 : 松下電器のマネシタをやらない床屋の怠慢。などでも述べてきたように、その独創的な事業の多くは、当時としては驚くほど斬新なものであり、駅のターミナルデパート、鉄道沿線での住宅分譲など、今となっては当たり前の事業になっている話も、この人が始めるまでは誰も思いもつかなかったわけですから、その力量のほどがわかると思います。)
で、その中で、小林翁の卓見がどうしても、理解できない箇所がありました。

それは、世界恐慌の頃だったか、世の中が絶望的なまでの不況どん底にあるときに、娯楽産業に進出したことでした。
曰く、「人々は、不況になればなるほど、娯楽を求めるようになる」ということだったのですが、私の考え的には、「不況になればなるほど、娯楽など、生活に関係のない部分は真っ先に切りつめられる」・・・というものでした。
飯は「金がないから食うのをやめよう」というわけにはいきませんから、人々は、金がなくなれば娯楽を削ってでも衣食住などの最低限の出費に当てようとするはずだ・・・と。
しかし、史実は、やはり、当然ながら、小林翁の方を支持したようで、ふたを開けてみれば、このとき、宝塚東映など、翁が手がけた娯楽産業は大不況にもかかわらず大盛況だったとか。

このことは、長く私の中に引っかかっていたのですが、最近、そのことを思い出させる一文に出会いました。
先般読み終えた、渡邊行男「緒方竹虎 リベラルを貫く」という本の中で、太平洋戦争直後について記した部分です。
曰く、
『九月二日朝、重光・梅津の両全権はミズーリ号に至り、歴史的な降伏文書に署名した。重光 葵は命を賭す思いの短歌を残している。
「ながらへて 甲斐ある命 今日はしも しこの御楯と 我ならましを」。
だが、当時の庶民の感覚とは違うようである。
徳川夢声の日記によると、「降伏調印式の、東京上空を無数の米軍機が飛んだ。威圧のためだろうが壮観だったので、子供らを呼んで二階で眺めた。
新宿はどの劇場も満員、殊に 『太閤記』を上映している帝都座の入りは大変らしい。角を曲って一丁ぐらい列が続いている。私の出演している松竹館も、三階まで人が詰まった。…観客は殆んど全部、若い男である。落語を聴き、私の漫談を聴いて、朗らかに笑っている」 と庶民は終戦直後から平和を楽しんでいる姿を伝えている。 』と・・・。

生活が厳しいからこそ、人々は娯楽を求める・・・。
この一見すると、矛盾するような世相が起こるということは、即ち、「遊びをせむと生まれける」ではないですが、つまりは、人は何のために生きているのか・・・という、人だけが持つ生きることに対する目的意識の是非にまで踏み込むことなのかもしれません。
平太独白
by heitaroh | 2008-01-16 08:01 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

地下鉄にみる柵という物に行政は興味を持たないの謎。
親愛なるアッティクスへ

先週の日曜は、イカで有名な佐賀県の呼子に行ってきましたが、ガキどもは半袖でしたよ。
それが、昨日今日と、真冬に戻ったかのような寒さですね。
今週一杯は寒いようですが、でも、春二番が吹いているんですから、おそらく、この寒さも、今週が最後ではないでしょうか。
ということで、この冬、あまり、袖を通さなかった真冬モノの衣服も、今日は、ここぞとばかり、着込んできました(笑)。

ところで、板橋区で踏切内に入った女性を助けようとして、警察官殉職した記憶も覚めやらぬ中、先日も、地下鉄で、携帯に気を取られていて線路に転落した女性を、地下鉄職員が救助したというニュースがありましたよね。

e0027240_1148798.jpg福岡市営地下鉄も、昔は、柵などなかったのですが、最近では、やはり、危ないということになったのでしょうか、ホームには、柵が付いていて、電車が到着したときだけ、乗降口の部分だけが開くようになっています。

(←画像参照。)

が、この点で、どうして、電車には、これまで、転落防止の為の柵がなかったのか・・・と、今更ながらに疑問に思うんですよ。
だって、どう考えても、ラッシュ時なんか危ないですよね。

この点で、私鉄の草創期に、阪急の創始者、小林一三翁だったか(あるいは、早川徳次氏だったか?いつもながら、あやふやな話でスミマセン(笑)。)が、鉄道経営にタッチすることになったとき、師の岩下清周氏(だったか?)が、「ホームに柵をつけろ!柵をつけないと、乗降客は不安がって、利用が減る」と進言したのを、敢えて、拒絶して、柵を付けなかったという話を聞いたことがあります。
翁の言い分としては、「欧米のホームには、柵なんてない」というものだったと記憶しておりますが、ただ、それは、利用者も運行数も格段に違う大正時代の話であって、まず、現在と当時とでは、電車が来たら、自動で柵が開くなどの「柵の機能」自体の技術的向上度が違うわけですし、何より、転落死した場合の人間の値段、電車が動かない間の損害を考えたら、どう考えても付けた方が安いわけですよね。
それに、何より、この、「過保護」とさえ言っていい、この国の行政が、よくぞ、今まで、柵を付けないことに対して、何も言わなかったもんだな・・・と。

思えば、昨年、福岡市で起きた飲酒運転による市職員追突事故で、幼い子供たちが車のまま、海中転落し、死亡するという事故がありましたよね。
私も、あの場所は、日曜などに子供を連れて、よく、通る場所なのですが、あの事故でも、あの場所には、柵は付いていたものの、車の衝撃に耐えられるほどの柵ではなく、その意味では気休め程度の強度でしかなかったようで、あの事故直後は、福岡市では、あちらこちらの橋で、一斉に、手すりの補強工事が為されていましたよ。
これも、責任問題にされるのを一番恐れる行政にしては、珍しいくらいに無頓着だったように思えますが、どうやら、行政というのは、意外に、「柵」というものには、無頓着なもののようで・・・。

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by heitaroh | 2007-03-07 08:38 | 時事問題 | Trackback | Comments(12)

松下電器のマネシタをやらない床屋の怠慢。
親愛なるアッティクスへ

あ ろんぐろんぐ あごー な話で恐縮すが、当時、まだ私が学生の頃だったと思うのですが、近所の床屋のオヤジが、「自分の髪は他所で切ることなく職人たちの練習台にさせている。俺は、ここまで、経営努力をしている」と言うのを聞いて、内心、「あほか!」と思ったことがあります。

以前、平太郎独白録 「幻の都 安土をゆく その2 SAGA滋賀♪って違うか・・・。」の中でも触れたことですが、かつて、高崎達之助翁(元通産大臣)が大阪に赴任してきたとき、阪急の小林一三氏の知遇を得たことから、折角だから・・・ということで、職場の近くで阪急が分譲していた住宅の購入を申し出たところ、氏から、「君は存外バカだね。」と言いわれたと。

曰く、「初めて大阪で仕事をするからには、大阪の空気を知らなければならん。それなのに、大阪の北郊に住み、北区の工場に通勤していて大阪がわかるかね?君の仕事場が大阪の北なら、君の住居は南におき、朝夕の通勤に大阪を知るくらいの頭がなくては仕事ができないよ」というものでしたが、その論で行けば、この床屋も、自分の髪は、勿体ないなどと言ってないで、他所の床屋に行け・・・と。
行って、他所の床屋がどういうことをやっているか、技術的なことはもとより、店の作り、気配り、システムなど、しっかり見てこいと。
組合などで、が割れているのであれば、電車賃使ってでも知らない町の床屋に行くべきであり、あまりにジロジロ見るのもおかしいなら、商売人なんだから、目をつぶっていてもわかるだろうと・・・。
要は、参考にしたいと思うテーマを持って臨んでいればいいだけの話であって・・・。

ついでにいえば、視察旅行なども、ただ、漠然と行くのではなく、具体的に、「こういうところはどうしているのだろうか?」というテーマを持って行くべきだといいますよね。
思えば、戦後、高度成長を支えたのは、「どうしてもここから先がわからない」と苦しんだ挙げ句に視察に行った経営者たちだったわけで、本田宗一郞さんなどは、ポケットに、思い切り、ビスなどの部品を詰め込んで帰ってきた為、現地の空港で、重量オーバーを指摘されたとか。
(当時は、まだ、ハイジャックが起きる前で、金属探知器などはない代わりに、一人当たりの重量制限があったようですね・・・。)
本田さんは、このとき、太ったおばさんを指さし、「あのおばさんは、荷物を持って無くても俺より重い!」と主張し、無事、日本にそれらの部品を持ち帰ることに成功したといい、このとき、持ち帰った部品が、その後のホンダ発展に大きく寄与したといわれています。

で、話を本題に戻すならば、昔、ソニーなどが新製品を出すと、松下幸之助率いる松下電器は、すぐに、これを入手し、すかさず、分解して、どういう技術を使っているかを解明し、自社の製品に応用したといいます。
マスコミなどは、 この松下電器の姿勢を「マネシタ電器」と揶揄しましたが、しかし、これは、むしろ、やるべきことの最低限のことをやっていたというべきで、むしろ、それさえもやらないことの方が怠慢だと思います。
私に言わせれば、自社にはない他社製品が出れば、特許の絡みなどがない限り、松下電器のように、すぐに自社製品に反映するのが当たり前であり、「よそがどういうサービをやっているのか知りません」というのは、どこやらの床屋と変わらぬ怠慢レベルだなと思いますが、如何でしょうか、御同輩。
                              平太独白
by heitaroh | 2006-11-22 08:02 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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