人気ブログランキング |


タグ:大沢啓二 ( 3 ) タグの人気記事

大沢親分逝去に思う親分と後任・土橋正幸氏の思ひ出 2
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

土橋正幸投手は昭和33年(1958年)には、当時、全盛の西鉄ライオンズ相手に9連続を含む1試合16奪三振の日本記録(当時)を作ったほどの好投手でありながら、タイトルに恵まれなかった人という認識があります。
特に惜しかったのが私が生まれた昭和36年(1961年)のことで、この年、土橋投手は30勝16敗 奪三振298 防御率1.90という成績を残しながら、この年、同じパ・リーグには稲尾和久という42勝14敗 奪三振353 防御率1.69を記録した化け物みたいな投手がいたからで、この数字を見せつけられてはまったくもって、「不運」だったとしか言いようがないでしょう。

で、土橋氏の話はこれくらいにして、先頃逝去された「親分」こと、大沢啓二氏に話を戻したいと思います。
監督時代のことになるのですが、いくつか私なりに記憶に残っていることがあります。
まず、親分、唯一の優勝となった昭和56年(1981年)、前期優勝のロッテとのプレーオフに勝ってリーグ優勝を決めたものの、日本シリーズ開幕まで間がなかったことから、選手が体調を崩していけないということで、勝利に沸く選手らに対し、「日本シリーズに勝ってから大いに祝おう」と言って、祝賀を自粛させました。
ビールかけなどの祝賀らしい祝賀がなかったように記憶しております。)
でも、翌日がシリーズ開幕だったわけでもないので、私は「これは無いよ」と思いましたよ。
優勝という喜びはその時のことであり、何より、日本シリーズの相手は江川、西本を擁する巨人でしたから、「今、祝っておかないと日本シリーズに負けてから祝っても盛り上がらないだろう」・・・と。
そしたら、案の定、日本シリーズには巨人に完敗し、明らかに盛り上がらない祝賀会・・・。
でもって、以後、大沢監督の優勝は無かったわけで・・・。
この時、親分らしく、「先のことは先のことだ。今日は思いっきり、羽目を外して遊んでこい!」と言って送り出し、翌日から厳しく体調管理に臨むやり方でやっていれば、シリーズもまた、違う展開になっていたのではないかと思うんですけどね。

次に覚えているのが、当時は今よりも引き分けが多く、(年間、一球団当たり130試合中10試合くらい引き分けがあったんじゃないでしょうか。)味方の攻撃が無得点に終わって、これ以上の延長がないという場合、その裏の回の守備というのは、「引き分け負け」なわけで、見てる側も「何だ、引き分けかよ」みたいな感じがありましたから、当然、やってる方も同じだったのでしょう。
こういう場面で抑えて引き分けとしてマウンドから降りてきた、当時の日ハムのリリーフエース・江夏 豊投手が、誰からもねぎらいの言葉一つなく、首脳陣はさっさと引き揚げてしまっていたのを見て激怒した・・・と。
当時、私もこれを聞いてハッとしましたが、事実、一番、つまらない気持ちを抱いているのは、こういう場面で登板させられた投手であって、本音を言えば登板拒否したいくらいのところだったのではないでしょうか。
であれば、せめて、首脳陣くらいは「こんなつまらん仕事をさせてすまんなぁ」くらいの気持ちを抱いてもらわなければやってられないわけで、その意味では他の人ならともかく、「親分」と言われた人にしては随分、気配りのないことだな・・・と思いましたね。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-23 18:51 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

大沢親分逝去に思う親分と後任・土橋正幸氏の思ひ出 1
親愛なるアッティクスへ

先般、亡くなった「親分」こと、大沢啓二さんですが、私的には思ったより大きく採り上げられていたのが意外でした。
だって、選手としては見るべき成績は残してませんし、監督としてもリーグ優勝1度やってますが、それも日ハムを率いて6年目のことで、しかも、当時のパ・リーグは前期後期制でそのうちの後期を優勝しただけですからね。
私的には、大沢監督の手腕・・・というよりも、ここまで長期的な視点を持って球団経営に臨んでいた球団フロントにむしろ、感嘆しますよ。

その意味では、やはり、TBS系の「サンデーモーニング」に出演されていたことが大きかったのでしょうか。
逝去後、誰が後任として後釜(?)に座るのかな・・・と思っていたら、共演の張本 勲氏と同じ日ハムの前身である東映フライヤーズ出身の土橋正幸氏が出てましたね。
なぜ、横浜ではなく、日ハムの関係者ばかりが出るのかわかりませんが、(スポンサーでしたっけ?)土橋氏と言えば、軟式野球チーム出身で、友人の入団テストに付いていったら合格したので入団したという異色の経歴をお持ちと聞いております。
もう一つ、印象深いのが、当時の西鉄の強打者で今や、ご意見番として知られる豊田泰光翁が著書の中で語っていたことで、翁は、「現役の十七年で、私は一度も退場処分を受けたことがない」そうですが、実は一度「退場」と「言われたことがある」のだそうで、以下、抜粋してみますと、
----------------------------------------------------------------
 東映戦の守備だった。走者一塁で内野ゴロ、遊撃の私が二塁ベースカバーに入り、走者封殺というプレーがあった。ところが長谷川信義さんという二塁塁審は「セーフ」。ベースに足が触れていないという。
 頭にきて、両手でをすくい、長谷川さんのまっさらなシャツの胸にべたべたなすりつけた。こうも泥を塗られては向こうも黙っていられるはずがなく「退場」。
 ところがその声が蚊の泣くような小さな声だった。宣告が周りに届かないのをいいことに「さあ、行こう、行こう」と大声でかき消して、プレーを続けたら、処分はうやむやになった。
 困ったときはとにかく勢いよく振る舞ってみるとよい。威勢のいい方が正しいようにみえることも世の中では多いのだ。
(中略)長谷川さんはかつて大陽(のちの松竹、横浜の前身) の指揮も執ったほどの 「大物」だった。(中略)
 そういう審判がなぜ、私の退場処分を「執行」しなかったかと考えると、実は勢いに負けたばかりでもなかったかもしれない。むやみに「レッドカード」を出す審判がいい審判と限らないのはサッカーと同じだ。退場という球趣をそぐ事態に至らないようにするのがいい裁き。長谷川さんも、退場はあくまで最終手段と思っていて、声が弱くなったのかもしれない。
 とにかく、退場を免れた私だが、実はあの現場にもう一人「宣告」を聞いた証人がいた。
一塁走者の東映・土橋正幸投手だ。あの試合、延長でサヨナラ本塁打を放ったのが、そこにいてはいけない私だった。そりゃ、頭にくるだろう。
 引退後しばらくして、昔の仲間と山梨のぶどう棚でワインを、という飲み会があった。
 木漏れ日の下でうとうとしていると頭をガツンとやられた。顔を真っ赤にした土橋君が立っていた。「この野郎、本当は退場だったのに」
----------------------------------------------------------------
明日に続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-10-22 18:04 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(0)

混戦パ・リーグに想う「と思っていたら」のシーソーゲーム!
親愛なるアッティクスへ

e0027240_9594357.jpg遂に、パ・リーグ、西武ライオンズ、福岡ソフトバンクホークス、北海道日本ハムファイターズ3強がひしめき合う事態となりましたね。
残り、10試合前後・・・、これでプレーオフなんて余計な物さえ無ければ、もっと、盛り上がれるんですけど・・・。

まあ、主催者側からすれば、毎年、接戦になってくれるという保証はないわけで、であれば、プレーオフを・・・ってことになるんでしょうけどね。

で、本当は、今日は別の記事を書こうかと思っていたのですが、やはり、今日はこれだろうと・・・(笑)。

で、プレーオフというものについての私の意見は、これまでも、述べて参りましたので、ここでは置くとして、いつだったか、朝、テレビを付けたら、大沢親分がかなり顔を真っ赤にして、「言いたいことがある!パ・リーグはこういう凄いことやってんだから、スポーツ新聞ももっと取り上げてくれよ!一面に『松井が打撃練習を開始した』とかそんなことはどうだっていいんだ!」と言ってました。

これを見て、私も思ったことがあります。
実は、以前から、マスコミは、パ・リーグ、特にホークス(福岡?)を、「意図的に貶めているんじゃないの?」って感じがありました。
地方のひがみかもしれませんが、悪い話題は絶対にパ・リーグが標的にされるけど(黒い霧事件、サイン盗み事件、全部、福岡です。)、いい話題はどれほどのインパクトがあろうとも、巨人や阪神が絡んでない限り、殆ど、取り上げられない・・・。
(特に、ホークス。あれで、全国区王貞治氏がいなかったら、どういう扱いになっていたのか・・・、寒気さえします。)

で、それを端的に表す試合があります。
まだ、プレーオフが導入される前、2002年か、2003年の話だったと思うのですが、そのときも、今年と同じように、パ・リーグは終盤に来て、西武、近鉄、ダイエーの三球団が熾烈な三つどもえの首位争いを演じていました。
で、天王山とも言える大阪ドームでの近鉄対ダイエー戦・・・。
この試合は、凄いゲームになりました。

どちらがどちらか忘れましたが、先制して、突き放して、「あ、これで今日は勝ったかな。」と思っていたら、それがひっくり返されて、さらに突き放されて、「あーあ。これは負けだな。」と思っていたら、今度はまた、追いついて、突き放されて、「残りイニングを考えたら、もうだめだ。」と思っていたら、それをまた、追いついて、今度は逆転して、「ここまでくれば、このまま、1点差を守りきって決まりだろう!」と思っていたら、再び、土壇場でリリーフエースを打ち崩されて同点にされ、遂には、延長戦にまでもつれ込んで・・・。
結局、近鉄が勝ったと思うのですが、よくアメリカ映画などである、殴り倒されたら、その相手が、何事もなかったかのように、むくっと、起きあがってきて、相手を逆に殴り倒して、その相手がこれまた、何もなかったかのように起きあがってきて、そのまま、ノーガードで殴り合う・・・みたいな、もの凄い試合でした。

ところが、余韻さめやらぬ、その夜の、スポーツニュース
いくら何でも、これほどのゲームだったんだから、「いやあ、凄いゲームになりました。」とか何とか言うコメントと共に・・・と思っていたら、一向に流れない。
まあ、延長戦になったから、後回しになるのは仕方ないか・・・と思っていたら、ようやく「続いて、近鉄対ダイエー戦、大阪ドームからです。」と言って始まった・・・と思っていたら、チャッチャッチャ・・・どころか、チャッチャで進んで、最後に一言、「これでシーソーゲームはお終い。」のコメント・・・。
そのまま、「また、明日~!」で番組終了・・・。
「・・・・。え????うそ・・・。えええー、うっそー!これほどの好ゲームが、シーソーゲームの一言で終わりかい!」と・・・。

これには、マジで、結構、驚きました。
まあ、報道は商品ではあるんでしょうが、それにしても少し・・・。
意図的な物を感じるのは、やはり、私だけなんでしょうか・・・、御同輩。
                              平太独白
by heitaroh | 2006-09-13 10:03 | スポーツ | Trackback | Comments(19)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
> sakanoueno..
by heitaroh at 16:59
号外いいなぁ! 私は住..
by sakanoueno-kumo at 21:18
> sakanoueno..
by heitaroh at 11:00
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:57
「健安」はやめちゃたんで..
by sakanoueno-kumo at 21:02
無事是名馬、おっしゃると..
by sakanoueno-kumo at 20:59
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:55
遅ればせながら、40万ア..
by sakanoueno-kumo at 18:55
> sakanoueno..
by heitaroh at 01:18
スゴイじゃないですか! ..
by sakanoueno-kumo at 21:49
> sakanoueno..
by heitaroh at 17:08
明けましておめでとうござ..
by sakanoueno-kumo at 18:50
> sakanoueno..
by heitaroh at 18:10
心配ご無用。 間違いな..
by sakanoueno-kumo at 17:13
> sakanoueno..
by heitaroh at 10:53
検索
タグ
(65)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(31)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(21)
(21)
(21)
(21)
(20)
(20)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(14)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
太平記を歩く。 その69..
from 坂の上のサインボード
太平記を歩く。 その68..
from 坂の上のサインボード
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧