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タイトルを分け合う馴れ合いはプロとしての疑問
気がつけば、ついに12月ですね。
今年は本当に忙しかった印象があり、その意味ではあっと言う間でした。

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   「帰りなば 釣瓶落としの 夕日かな」 梁庵平太

ということで、とにかく、今年は多忙だったということで拙稿もなかなか、時間がとれず、今頃・・・で恐縮ですが、今年のプロ野球回顧です。

まず、最終戦で巨人の長野選手と坂本選手が最多安打のタイトルを分けあいましたよね。
この試合で、3安打を放って坂本が長野選手に並ぶと、原監督は長野選手を引っ込め、結果、同僚2選手のタイトル獲得が確定的となったわけですが、思わず、昔、西鉄ライオンズでの首位打者を争いの時のことを思い出しました。
ここまで、主砲・中西太選手は既に本塁打王、打点王を確定的としており、残る首位打者を獲れば三冠王・・・、対して、ライバル・豊田泰光選手が獲れば初のタイトル・・・だっただけに、どちらも譲れず、結局、当時の三原脩監督の「チーム内にしこりを残すべきではない」という判断で両選手は最終戦を欠場し、豊田選手の首位打者が確定した・・・と。

でも、私はプロなんですから、最後の最後まで堂々と争うべきだと思うんですよ。
最後の最後まで争って敗れたのであれば、実力で敗れたわけですから、それで不平を言う人はいないでしょう。
今回の場合は引き分けで両者並列でタイトルが獲れたわけですから、本人たちとしては別にそれで良いのかもしれませんが、それでもプロなんですから、お山の上に大将はオレだけで良い!・・・くらいのプライドは見せて欲しかったですね。
それに、同じチーム内だから仲良し・・・ってつもりかもしれませんが、同一チーム内だからといって、ポジションが違うからといって、仲良しでいられると考えるのはおかしいんじゃないですか?
トレードだってあるわけだし、何より、相手がこれで自信をつけて、来季はタイトルを独占すると、相手の給料が上がり、ひいては自分の給料が下げるわけで。
かつての、川上哲治選手と与那嶺要選手のように、本来、そこには激しい競争があるべきですよ。

もっとも、中西・豊田のケースはちと、レアな、一概に言えないパターンではあり・・・。
というのも、中西選手の妻は三原監督の娘・・・、つまり、中西選手は三原監督の娘婿ということになるわけで、そうなると、三原監督としてはやりずらかったでしょうねぇ。
もし、中西選手がタイトルを獲ると、「意図的に身内にタイトルを獲らせた」という声が聞こえてくることを覚悟しないといけないでしょうし、少なくとも、「他人」の豊田選手がどう思うか・・・については配慮せざるを得なかったのではないでしょうか。
もっとも、三原監督の判断にその辺がどう影響したかは本当のところは知る由もないことですが。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-12-03 17:58 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

昔、男在りけり・・・、桜吹雪の天才打者・大下弘 その1
親愛なるアッティクスへ

福岡のRKBというローカル局で、深夜、「吉岡忍と見る RKBテレビ50選」という番組の中で昭和59年(1984年)制作の「むかし男ありけり」という番組と、平成元年(1989年)制作の「桜吹雪のホームラン~証言・天才打者 大下 弘~」というのがありました。
前者の方は、女優・壇 ふみさんの父で「火宅の人」で知られる直木賞作家・壇 一雄氏のドキュメンタリーで、それを、あの大俳優・高倉 健さんがなぞっていく・・・というものでした。
(当時の壇ふみさんもインタビューで出てましたが・・・、むちゃくちゃ綺麗でしたね。)
言うまでもなく、「昔男在りけり」とは伊勢物語の一節ですが、このドキュメンタリーの場合、壇 一雄という人の破天荒な生き方もあり、「昔、あるところに一人の男が居ました」という意味と同時に、「昔は本物の男がいた!」的なニュアンスも盛り込まれていたように感じます。

一方、後者は戦後、プロ野球の再開とともに颯爽とデビューし、西鉄ライオンズ時代の監督、三原 脩をして、「日本のプロ野球から打撃の達人を5人選ぶなら、川上哲治・大下 弘・中西 太・長嶋茂雄・王 貞治。このうち、天才3人と言われれば、大下・長嶋・中西。しかし、1人だけと言われたなら大下だ・・・」と言わしめた天才打者、大下 弘氏を描いた作品でしたが、私の感想を言えば、「昔、男在りけり」という言葉は、むしろ、この人にこそ相応しかったのではないか・・・と。
日本でもっとも遠くに打球を飛ばしたのは、西鉄ライオンズ時代の後輩・中西 太さんということになってますが、(私は元大洋のスチュアートの一発ではなかったかと思ってました。)同番組を見る限りでは、この大下さんだったということに疑いはないように感じましたね。
(目撃証言とはいえ、あそこまで明確に落下地点がわかっている以上、また、それがを裏付ける証言も多数あるわけで、加えて当時のボールの粗悪さを考えれば・・・。)

大下 弘という人は、大正11年(1922年)、花街に生まれたと聞いています。
複雑な生い立ちだったようで、母の手ひとつで育てられ、父親については後年まで語りたがらなかったとか。
台湾の高雄商業高校時代に野球の素質を認められ、明治大学に進学後、招集を受け、学徒出陣・・・。
復員後、敗戦の年の11月に行われたプロ野球東西対抗戦で華々しいデビューを飾り、翌昭和21年には20本塁打を放ち本塁打王。
その後、東急、急映などを経て、西鉄ライオンズに移籍し、中心打者として西鉄黄金時代に貢献するも、昭和34年(1959年)、現役引退。
昭和43年(1968年)、東映の監督に就任するも成績は振るわず、シーズン途中で辞任。
昭和54年(1979年)、脳血栓の療養中に睡眠薬自殺により56歳で逝去・・・。

同番組のコメントでは、「無類の浪費家人情に厚く、感激家ナルシスト、そして大の遊び好き」とありますが、彼を語るには当然、それだけでは足りないでしょう。

長くなりましたので、また、次回へ続きます。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-02-26 18:25 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

長嶋茂雄、その大いなる幻影・・・。
親愛なるアッティクスへ

私と同年の友人たちに「長嶋茂雄さんの現役バリバリの時代を覚えているか?」と問うと、まず、10人中10人が皆、「覚えている」と答えます。
でも、ご承知の通り、長嶋さんは昭和49年(1974年)に引退したのですが、私の記憶ではその前、昭和45年大スランプに陥り、「長嶋引退か!?」と騒がれ、翌昭和46年には何とかそれを跳ね返して、MVPを獲得し復活したものの、それ以降はもう成績は下降一途を辿り、引退に至ったと。
であれば、長嶋さんが現役バリバリ・・・でやっていたとなると、それ以前の昭和44年以前ということになるわけですが、昭和44年というと私はまだ小学校2年生・・・
当時、さすがに王・長嶋という名前は知っていたものの、野球のルールやセ・パの違いなどはよくわかっておらず、となれば、同年の人たちの多くが、「長嶋の現役時代のプレーに憧れた」と言うはどうしても私には腑に落ちない話であり、実際は、「長嶋茂雄」という、あまりにも大きすぎる巨星の幻影を見ていたのではないか・・・と思うのです。

実際、長嶋さんの現役時代の数字を拾ってみますと、昭和33年(1958年)の巨人入団から昭和39年までの7年間に爆発的な好成績が集中しているのがわかります。
中でも、特に昭和38年までの6年間は最多安打6回、首位打者4回、最多塁打5回、最多敬遠5回、最高長打率5回とタイトルに顕れる以上の数字を独占しており、如何に球界に置ける長嶋さんの存在が大きかったかがわかるかと思います。
ところが、昭和40年、打率こそ辛うじて3割(5位)を打ったものの、本塁打は17本と低迷しており、ここで、思い出すのが、この年から巨人に移籍してきた大投手・金田正一氏の「長嶋の体は俺が巨人に入団したときにはもう、崩壊しかけていた。俺が巨人に入って立て直した」というコメントです。
当時、長嶋さんはまだ29歳ですから、インタビューした記者氏も「まさか」と言ってましたが、でも、長嶋さんと並ぶ天才、中西 太さんの選手寿命は実質25歳までだったことを考えれば、あながち、有り得ない話でもなかったでしょうか。

事実、昭和40年以降はそれ以前のような集中豪雨的な活躍ではなく、昭和41年は首位打者を獲得してMVPに輝いたものの、昭和42年は.283と低迷。
翌、昭和43年は自己最多となる39本塁打、125打点で打点王と(打率も2位)MVP、昭和44年32本塁打、115打点で打点王(打率3位)を獲得、そして、長嶋限界説が唱えられ始めた昭和45年を迎えるわけですが、それでもこの年、打率こそ.269(10位)と低迷したものの、105打点で打点王に輝いており、翌、昭和46年は34本塁打を放ち首位打者とMVPのタイトルを獲得し、復活を遂げたと言われるも、その陰で看板の打点は86と低迷しており、そして、翌年から、打率は.266(21位)→.269(13位)→.244(24位)と低迷、本塁打は27本塁打→20本塁打→15本塁打下降を続け、ついに引退に至ったわけで、その意味でも、長嶋さんの全盛期は昭和30年代まで・・・、現役バリバリといえるのも昭和44年以前まで、長嶋らしい輝きを放っていたといえるのは打点92を記録した昭和47年まで・・・といえるのでしょうか。

ただ、この人の記録を見ていてむしろ痛感するのは、王 貞治氏などもそうですが、その出場試合数の多さ・・・です。
入団以来、実働17年で出場試合数が一番少なかったのは昭和42年の122試合であり、引退の年でさえ128試合に出場していたというのは、現在のプロ野球から考えれば「異常」なことでしょう。
この点は、伝説の骨接ぎ師の方の存在もあったように聞いておりますが、やはり、ある意味、巨人と言えども実態は王・長嶋一座だったということの裏返しだったのかもしれませねんね。
                                   平太独白
by heitaroh | 2008-12-17 18:21 | スポーツ | Trackback | Comments(6)

阿久悠物語に改めて想った昭和 その3
親愛なるアッティクスへ

昨日の続きです。

e0027240_10435868.jpg現在のように、プロ野球のオールスターも、レコード大賞も、「結果を残してりゃそれで良いさ・・・」的な基準で選んでいるということについては、私は、今でも違和感を感じています。
決して、年功序列が良いことだとは思いませんが、こういう物に選ばれるからには、選ばれるなりの「風格」というものが必要ではないのか・・・と。

アメリカオールスターは、誰でも出られるというものではないことは、本塁打王のタイトルを獲った選手が出られなかったり、イチローを除けば、松井松坂も簡単にでは出られない・・・ということでもわかるように、本当に敷居が高いですよね。

しかし、だからこそ、そこに選ばれるということを選手も誇りに思うし、喜んで出たがる・・・のに対し、日本のそれは、かつて、阪神の小山正明投手が球宴辞退を申し出たものの理由薄弱として却下されたように、球宴なんて、本音で言えば余計なだけのものなんですよね。

そう考えれば、もっと、「簡単には出させてあげないよ」的なものがあっても良いようにおもうんですよ。
(ちなみに、現在のベストナインダイヤモンドグラブ賞という物は、結構、現場を知らない管理職クラスの記者も一票を持っているそうで、その結果、今でも、ある程度、知名度実績がある選手でなくては選ばれないのだとか。)
まあ、そのことが果たして良いことなのかどうかはわかりませんが、この点でも、豊田泰光氏は独自の体験から興味深い話を展開されておられました。

曰く、『 その三年後、私は再び「民意」という名の壁にぶつかった。
 思い出すのは同じ西鉄勢で最優秀選手(MVP)を争った一九五六(昭和三十一)年のこと。当時は最高殊勲選手といっていたが、私は中西太さんに1票及ばず、敗れた。
 この年は自信があった。中西さんは本塁打打点二冠を取った。私はタイトルこそ首位打者のみだったが、中西さんより11試合多い148試合に出た。故障で欠場した中西さんに代わり、ペナントレースの勝負どころで働いたのが評価されると期待した。しかし結果は負け。「やっぱり、嫌われ者は損をする」と思ったものだ。(中略)
 数々の落選経験は生意気盛りの私にはいい薬になったが、ファン投票、記者投票の結果に失意を覚えた選手は枚挙にいとまがないだろう。日本人と外国人が同じょうな成績だと、MVP投票ではどうしても外国人に不利になるという傾向もある。
 ファンあっての商売だから「民意」は大事にしなければならないが、それにとらわれて窮屈に生きることはない。それが私の結論だ。他人の評価を気にしなくなったら、一気に肩が軽くなって、世の中がよくみえるようになった。

レコード大賞もまた然り。
その意味では、ピンク・レディ山口百恵を抑えてレコード大賞を受賞したということが、私には違和感として感じられましたが、ある意味、時代の変わり目だったのかもしれませんね。

なかなか、本論に行き着きませんが、次回へ続きます。
                             平太独白
by heitaroh | 2008-08-08 08:08 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

「男なら 眼光鋭く 豊田泰光!」
親愛なるアッティクスへ

先般も申し上げました豊田泰光という人の著書を読んで、色々と考えさせられるところがあったので、それについて、しばし、触れてみたいと思っているのですが、まずは、その前に、この、豊田泰光という人物自体について、少しふれておきたいと思います。

この人は、シーズン42勝鉄腕・稲尾和久や、最長不倒距離の本塁打をかっとばしたと言われる怪童・中西 太などとともに西鉄ライオンズ黄金時代を築いた人ですが、私が物心着いたときには、もう、西鉄にはいませんでしたので、その現役時代はまったく、存じ上げません。
が、その伝説は、我々の世代にはまだ息づいており、これは福岡だけの現象なのでしょうが、私と同世代のやつらの名前には、時々、「泰光」「和久」、「太」などというのがいたほどですから・・・。

で、その前に、そのライバルであった中西 太という人についてふれておきたいと思います。
かつて、氏が所属した西鉄ライオンズを率いた三原 脩監督は、「打撃の達人を5人挙げよと言われれば、王 貞治、長嶋茂雄、川上哲治、大下 弘、中西 太。そのうち、3人の天才を挙げるならば、長嶋、大下、中西。そのうち、誰か1人ということになれば、大下 弘」と言ったといいますが、私は川上・大下の両大御所については、世代的に語るだけの材料を持ちませんので置くとして、3人の天才のうちの残る2人である長嶋、中西ですが、長嶋を動物的直感と呼ばれた反射神経に象徴されるような「技」の天才としたならば、「力」の天才と言えたのが、中西だったでしょうか。
中西 太という人が、相撲取りさながらのその巨体から繰り出す打球は、遊撃手が飛びついた打球がそのまま本塁打になった・・・とか、中西が打つと打球から焦げた臭いがした・・・などという伝説からもわかるように、また、先述したように最長距離本塁打記録を有することからもわかるように、強力な怪力を想像しがちですが、実際には、巨体に似合わず、その体は柔軟で、打席に立つ前に柔軟体操を始めるとまるで軟体動物のようであったとか。
そして、また、一方で、巨体といかめしい面構えとは裏腹に、意外に気が弱く、好機を活かしきれないことも多かったとか。

そして、同一球団で好ライバルであった王・長嶋という二人が、何かにつけて、好対照であったように、中西 太と好対照であったのが豊田でした。
中西がその柔軟な体そのものに「柔」であったとしたなら、豊田はその剛直な視線さながらに、「剛」の人だったといえるでしょう。
新人時代、あまりにも守備が下手だったことから、激しい非難が巻き起こったとき、「エラーした分、打って返す!」と言ってのけ、その言葉どおり、この年、西武の清原和博選手に抜かれるまでの高卒新人の本塁打記録を作るほどの成績を残したことに象徴される、その気性の激しさは、驚くくらい好機に強かったといいます。

「男なら 眼光鋭く 豊田泰光」・・・とは、私が昔、何かに走り書きした一文でした。

その、彫りの深い顔立ちと相まって、昔の写真などを見ると、とにかく、格好良かったですよ。
                                 平太独白
by heitaroh | 2008-04-15 08:24 | スポーツ | Trackback | Comments(4)

野武士集団・西鉄ライオンズよ、永遠なれ その2
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14484647.jpgとにかく、この忙しいのに、まったく、ウィンドウズ・ビスタを使いこなせてませんので、どうにも、神経が行き届きませんことをお許しください。
ということで、どうにも、内容にまとまりがないようで、あいすいやせん。

ともあれ、昨日の続きです(笑)。

その、昭和30年代に一世を風靡した野武士集団、「西鉄ライオンズ」の「番組同窓会」ですが、ちなみに、昨日も言いましたように、西鉄ライオンズの黄金時代は、私が生まれる前で、私が子供のころは、すでに、西鉄は、それでなくとも決して強くはなかったのに、黒い霧事件が起こって、いよいよもって・・・って感じでした。

ただ、それでも、当時は、後の西武の大投手、東尾修さんや、後に、巨人で活躍した加藤初さんらが頭角を現し始めてましたが、後に、あれほどの制球力を誇った人たちも、平和台球場時代は、東尾さんも加藤さんも、カウントワンスリーになったら、絶対、四球でしたよ。
つまり、2球続けてストライクが取れないという(笑)。
「あーあ、ワンスリーになったけん、もう、フォアボールばい。」と言ってたら、案の定、絶対、フォアボールでした(笑)。
また、この点では、野武士の最後の生き残りだった東尾さんなんか、歌手の梓みちよさんと、普通に、中洲を歩いてましたよ。
私だって、二人の仲は当たり前のように知ってましたから、数年前に週刊誌に出た時は、「いまさら、何言ってるの?」って感じでした。
その「西鉄同窓会」でも、「俺たちは、隠したりしなかった」という発言が出てましたが、今の福岡ソフトバンク・ホークスの選手なんか、ほとんど、中洲で見かけないですね。
まあ、写真週刊誌がうるさい・・・というのもあるんでしょうが・・・。

ちなみに、西鉄ライオンズと言えば、「野武士」でしたが、往年のライバル、野村克也現楽天監督も、「飲み屋でばったり会ったら、盛り上がって、朝まで飲んでしまい、翌日、ダブルヘッダーがあったので、こっちは、あらー・・・と思っていたら、中西太なんか、「ヨッ」なんて言いながら、ホームラン2本打ったりしていた」と言ってました。

で、話を戻しますと、その「同窓会」では、他にも、今のプロ野球への苦言のようなことも言ってましたが、私がなるほど・・・と思ったのは、「日本のプロ野球アメリカのプロ野球というのは、まったく違う発展の仕方をしてきたのだから、必ずしも、すべて、アメリカ仕様にならなくてもいいじゃないか」という部分でした。
なるほど・・・と。

続きはまた明日・・・です。
                               平太独白
by heitaroh | 2007-02-27 17:49 | スポーツ | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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