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太平記をスピンオフで歩く。 その6 「激突、多々良浜」 福岡市東区

先日の続きです。


戸次鑑連(立花道雪)の奮戦により、小早川隆景が守る多々良川防衛線の一端が突破されたことにより、毛利軍は立花山城に撤退。


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(↑戸次隊が渡河したのがどの辺りだったのかはわかりませんが、おそらく、このもっと向こうなんだろうと思います。)


毛利としては背後の立花山城の防衛が目的なのであって、無理してここで損害を出してまで決戦を挑む必要もない・・・ということだったのでしょうが、でも、それは机上で物を考えるほど簡単では無かったはずですよ。

「敵の一隊が川を渡ってこちらに向かっている」という報せを受けての撤退ですから、ある意味、敵前撤退に近く、一歩間違えば潰走に繋がりかねないわけで・・・。

こういう記述を見ていると、いつも、「戦いに次ぐ戦いで鍛え抜かれた戦国武士団」という言葉を思い起こします。

さすが、武勇に優れた吉川元春・・・。

かつて、敗走しているフランス軍の前に白馬に乗ったナポレオンが現れると、兵士たちはUターンして敵に向かっていったといいますが、そこまではないにしても、これもまた、見事な統率力だったと言わざるを得ないでしょう。


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(↑松崎台地から見る多々良川上流方向。右が多々良川、後方が河口。毛利兵が大友軍が姿を現すであろうと睨みし景かと。)


もっとも、多々良川の防衛線を突破したとはいえ、大友軍の損害も多く、この状態で、堅城・立花山城に籠もる手つかずの毛利軍主力を攻略できるはずもなく、双方とも再び、手詰まりとなってのにらみ合いとなったと。

ここで、後方にいる主将・大友宗麟が動く。

毛利が中国統一の過程で追った周防の前国主・大内の一族である大内輝弘に兵を与えて周防に送り、旧領回復の兵を挙げさせ、さらに、毛利の仇敵である山陰の尼子勝久山中鹿之助幸盛らが旧臣に奉じられて挙兵、山陽の浦上とも連携し、一気に毛利包囲網を形成した。

こうなると形勢逆転。

孫の毛利輝元とともに後方にいた元就毛利軍主力を呼び戻すこととし、吉川、小早川の両川は「一戦した後の撤退」を主張したが、元就は譲らず、やむなく、敵前撤退を開始。

少なくない被害を出しながらの撤退となり、以後、元就の死と、それに続く、織田信長の台頭の前に九州を顧みる余裕を無くしていく・・・と。


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(↑松崎台地より後方の立花山を望む。狼煙通信でも簡単な意思疎通は出来たであろうが、目が良い者であれば肉眼でも見えたのでは無いか。私も20歳くらいのとき、このくらいの距離で山麓を行く車の運転手が見えた。)


ということで、すっかり余談が長くなりましたが、次回より原点回帰(?)ということで。


                    平太独白


by heitaroh | 2018-04-07 07:56 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

何も決まらないのは選択を誤るより弊害が大きい
親愛なるアッティクスへ

かつて、小泉純一郎総理は、政権担当中の最優先課題を自ら「郵政民営化」を掲げましたが、私はこれはこれで有りだったかなと思っています。
それは政策の是非ではなく、総理大臣にならん欲するほどの政治家は、政権をとってから国民の要望を聞いて政策を考えるのではなく、総理になる前から国家百年の計に鑑み、何がしかの持論の一つくらいはあってしかるべしだと思うからです。
ただ、一方で、あの時は「郵政民営化外国陰謀説」まで含め、色々な人が色々な立場で色々なことを言うのに少々、閉口気味でした。

この点で、私としては思い当たることがあります。
幕末薩摩藩維新主役となったのと対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れましたが、その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西鄕隆盛)を担げばその人に一切を預ける」のに対して「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった」ことが大きいと言われています。

無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
しかし、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西鄕軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもないという・・・。
(その意味で、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えないという。)

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい。」 というのはナポレオン戦役当時プロシアの参謀・クラウゼウィッツの言葉ではなかったかと記憶しておりますが、戦争中、プロシアはフランス軍と反仏連合軍の戦闘においてキャスティングボードを握る立場となったそうで、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句に、連合国側として出兵したときには、既に連合国軍敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと言います。
「決まらないのは、間違った選択をするより弊害が大きい」・・・。
改革も大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・、如何でしょうか?
                                 平太独白
by heitaroh | 2012-09-11 07:00 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

決まらないのは間違った策を選択するより弊害が大きい
親愛なるアッティクスへ

ご承知の通り、幕末、薩摩藩維新主役となりましたが、それとは対照的に、隣の肥後熊本藩は大幅に出遅れました。
その要因として、「薩摩人は一旦、上に信頼する人(西郷隆盛)を担げばその人に一切を預ける」のに対して、「肥後人は一人一党主義で、それぞれがそれぞれに主張し、最後までまとまらなかった」ことが大きいと言われています。
(ちなみに、誰か有望な人が出たら、薩摩人は「皆でその人を応援し、自分たちも引っ張り上げてもらおうと考える」のに対し、熊本人は、「皆でその人の足を引っ張って、引きずり降ろそうとする」・・・とも聞いたことがあります(笑)。)

ただ、無論、私も薩摩方式がベストだとは言いません。
もし、一旦、上に立つ人間がおかしくなれば、ネズミの集団自殺のようなことに成りかねないからです。
西南戦争もある意味、同種の物だと言えるように思えます。)
しかし、一方で、肥後方式最悪の選択肢だということは言い切れると思います。
肥後熊本藩士たちは、維新後、西南戦争においても、同様の軌跡を繰り返します。
それぞれに、それぞれの主張をしたことで、熊本県士族を挙げての行動には至らず、さらに、西郷軍に加わった者たちも、それぞれにそれぞれの主張と思惑の元、少人数単位で参戦しており、これでは勝っても評価は小さく、負ければ抵抗のしようもないという・・・。
(その意味では、一番、ベターなのは長州方式でしょうか。それまで、散々、議論はしながらも、一旦、決定したことには異を唱えないという。)

「何も決まらないのは、下策を採るより弊害が大きい」
これはナポレオン戦役当時プロシアの参謀・クラウゼウィッツの言葉ではなかったかと記憶しております。
戦争中、プロシアは戦場となったことで、眼下で戦うフランス連合国に対して、キャスティングボードを握る立場となったそうですが、にもかかわらず、ナポレオンに付くか連合国に付くかで、散々、紛糾した挙げ句に、連合国側として出兵したときには、既に連合国軍は敗走しており、結果、ナポレオンからは出兵したことを咎められ、連合国側からは「あいつが間に合わなかったばかりに負けた!」として軽蔑の対象となったと・・・。

「決まらないのは間違った策を選択するより弊害が大きい」・・・。
改革も、大英帝国衰退のプロセスを見るまでもなく、皆がそれぞれの主張をすれば、結局、何も決まらずに終わる・・・と。
他所の国の話であることを祈るばかりです。
                                    平太独白
by heitaroh | 2011-06-13 19:05 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

続・祝う気になれないけど一応、6周年・・・です
親愛なるアッティクスへ

まあ、時節柄、特に目出度いという気にはなりませんが、例年、一回では終わってないもので、惰性で昨日の続きです。

e0027240_1818676.jpgかつて、ナポレオン陸軍幼年学校時代、コルシカ訛りが酷く、これを馬鹿にされたことから、周囲に馴染むことなく、独り、読書に明け暮れたと言いますが、このときに得た知識が後のナポレオンの躍進の源となった・・・という話を聞いたことがあります。

(←私が初めて、店でラーメンを食ったのは中学生の時だと、過去の周年の時に申し上げたと思いますが、これがその時に食べた店のラーメンです。あれから、35年・・・、未だに残っているというのが凄い・・・です。その時は、内心、「えー、ラーメンかよー」と思ったのですが、食べたら、「うんめー」で、「店のラーメンがこれほど美味いのか!」と本当にびっくりしました(笑)。)

で、なぜ、こういう話をしたかと申しますと、実は私にも似たような経験がありまして、私は物心着いた頃から本が好きで、文学少年だったのですが、かと言って、決して学校の成績は良くなかったもので、いきなり、親から、ヤンキーの学校に入れさせられました・・・。
当然、右を向いても左を向いても、見事なそり込みのお兄さんばかりでして、初日は胃がひっくり返るかというような思いで家に帰りましたが、その後も、当然、まったくこれに馴染めませんで、やむなく、昼休みになると、独り、図書館へ行ってました。
で、そこで出会ったのが司馬遼太郎さんの代表作、「竜馬がゆく」・・・です。

e0027240_18322240.jpg(←博多では当たり前の替え玉ですが、この店では、替え玉9杯食べたら無料だそうです。で、なぜか、こちらでは、ラーメンは半煮えの「堅麺」が主流ですが、私は圧倒的少数派の「柔麺」です。コシがあるというのと、堅いのとは違うだろう・・・と思うのですが、最近では、「堅麺」をさらに極端にした「粉落とし」とか、「ハリガネ」などというのもあるようで・・・。
私にはどうしても理解できません。
ちなみに、「しょうゆラーメンを柔麺で」などと頼むと、時々、店の人から、「あんた、どこの人ね?珍しかね」などと言われることがありますが、さすがに、この時は、「きさん!大概にしとけ!俺が柔麺食うたらいかんとか!」とわかりやすい方法で紳士的に抗議します(笑)。)

元々、中学生時代から、山岡荘八吉川英治などの伝統的正統派歴史小説は読んではいたものの、司馬作品には、ちょっとはエッチな場面が出てくるからか、なぜか、中学の図書館には置いてませんで、ここで初めて相見えたのですが、いやあ、とにかく、はまりましたね(笑)。
当時、私はまだ、16歳の誕生日を迎える前だったのですが、15歳のうちに全5巻を読破しまして、以来、司馬作品の殆どは多分、10代のうちに読んでしまったと思います。
まあ、だからどうだと言われれば私がナポレオンになるはずもなく、馬の耳に念仏・・・だったんでしょうけどね(笑)。
                                         平太独白
by heitaroh | 2011-03-23 19:08 | その他 | Trackback | Comments(8)

決して絶望する事なかれ
親愛なるアッティクスへ

昭和時代、極道和尚と呼ばれ一時代を築いた今 東光という人物がいます。
この人は、その豪放磊落な人柄もあり、まあ、良いにつけ悪いに付けエピソードには事欠かない人でしたが、中でも私が忘れられない話に「絶望するなかれ」というものがあります。

大正3年(1914年)、16歳の今 東光は、女性問題を咎められたことで教師を殴り、学校を退学処分になったことにより、町にいられなくなった彼は、上京すべく、独り、駅のホームに立ちます。
当然、一人の見送りもなく、他には人もまばらで、がらーんとしたホームで、不意に、誰かが隣に立つ・・・。
フロックコート山高帽という出で立ちで身を固めたその人物は、よく見ると何と、退学になった学校の校長先生だったそうです。
校長と言っても、当時の校長は今とは比べものにならないくらいステイタスが高い時代ですから、怪訝な顔をしていると、突然、「絶望するなかれ」と一言・・・。
さらに、困惑する少年に構わず、校長は前を見つめたまま、「君にこの言葉を贈ろう」と言い、こう続けたと言います。
「絶望したときがすべての終わりである。絶望さえしていなければ、まだ、事は終わったわけではない。決して絶望するなかれ」
うろ覚えで書いてますので、言葉の詳細は違うかもしれませんが、ニュアンス的には大筋はこのようなものだったと思います。

「敗戦とは、司令官負けを認めた瞬間決定する」と言う定義があります。
つまり、司令官が負けを認めてないうちは、どれほど苦戦していても、当然、撤退命令も出ないわけで、まだ、負けてないわけです。
フランスの英雄ナポレオンロシアとの激戦の際、ロシア軍の猛攻の前に、「もうだめだ。負けた。明日の朝になったら撤退を発令しよう・・・」と思っていたところ、夜が明けたらロシア軍の方が撤退していた・・・という話があります。
ロシア軍はロシア軍で、フランス軍の敢闘の前に「負けた」と思ったということなのでしょうが、世の中とはとかく、こういうことが起こり得るもので、この校長が言ったのも、そういう意味だったのでしょう。
けだし名言ですね。
絶望して、投げやりになったときに終わりが始まる・・・と。

しかし、この言葉の意味もながら、さらにこの言葉を効果的にしているのが、このシチュエーションでしょう。
地域の名士である校長が、これまた、退学処分になるなどというとんでもない問題児を独り、見送りに来た・・・と。
あるいは、校長は駅まで来て、もし、見送りの生徒が数人でもいたら、一言も声をかけず、その場を立ち去ったのかもしれません。
なぜか、そんな気がします。
                                         平太独白
by heitaroh | 2010-11-18 19:26 | 思想哲学 | Trackback | Comments(2)

名前は人を識別するためにあるが通じない世界の名前
親愛なるアッティクスへ

私、以前から疑問に思っていたことがあります。
我々は、よく一口に、フランスの英雄・ナポレオンのことを、フルネームで、「ナポレオン・ボナパルト」・・・と言いますが、これって、どっちが名字でどっちが名前なのかな・・・と。
普通、日本などアジア諸国では名字で、名前に来るのに対し、欧米諸国では名前が名字の前に来るわけで、であれば、西洋人の名前を日本の書籍などが使う場合、日本風に名字を先にして名前を後にする方式にしているのか、それとも、そのまま西洋風に使っているのか・・・。

ナポレオン王朝ナポレオン家、ナポレオン一世などと言いますから、ナポレオンが名字なのでしょうが、ナポレオンの甥のナポレオン三世の名は「ルイ・ナポレオン」・・・。
じゃあ、やっぱり、ボナパルトが名字で、「ボナパルト・ナポレオン」が正しいのか・・・と思うと、ナポレオン三世こと、ルイ・ナポレオンの兄の名前は「ナポレオン・ルイ」だったりするわけで・・・、もう、ややこしいったら仕方がないわけです(笑)。
さらに言えば、ジョン・F・ケネディなどというのは、明らかにケネディが名字ですよね。
ついでに言うと、ブッシュ前大統領の名前はジョージ・ウォーカー・ブッシュ・・・なのに、その父で、同じく元大統領の父の名はジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュなわけで、これまた、何ともややこしい・・・と。

私は、「名前というものは人を識別するためにある」という考えから、自分の子供たちには、私と父に共通していた一文字を使わずに、敢えて、皆、まるで違う名前にしたのですが、そんな私からすれば、これらナポレオン一族やブッシュ父子などに見られる西洋人の名付けに関する考え方というのはどうにも理解に苦しむわけです。
この辺は日本でも伊達政宗などは祖先にあやかって同姓同名としたような例もあるわけですが、もっと言えば、古代ローマの英雄・ユリウス=カエサルは、主に英語読みの「シーザー」で知られており、一方で、ロシアの女帝・エカテリーナは英語読みで「キャサリン」、フランス語では「カトリーヌ」であり、イングランドの王妃にはやたらと「キャサリン」がいるし、おまけにフランス王シャルル6世の娘カトリーヌはイングランド王ヘンリー5世に嫁いでキャサリンになっているし・・・で、もう、こうなると本当にややこしいったらありゃしないです。

ちなみに、他の地域はどうか・・・というと、西洋と東洋の中間に位置する中東地域では、基本的に名字という物は存在せず、名前だけしかないのだそうです。
となれば、当然、同じ名前の人はたくさん存在するはずで、ではどうやって、それらの人を識別しているのか・・・というと、自分の名前だけでは誰だかわからない場合、その上にの名前を付け、それでもわからないときには、さらにその上に祖父の名前を付けるのだとか。
サッダーム・フセインという人物を例に取ると、彼は正式にはサッダーム・フセイン・アブドゥル=マジード・アッ=ティクリーティーであって、そのうち、サッダームが自分の名前、フセイン・アブドゥル=マジードが父の名前、アッ=ティクリーティーは祖父の名前なわけです。
従って、我々、日本人は良く、「フセイン大統領」などと言ってましたが、死んだ父の名前で彼を呼んでいたわけですから、本当はこれはおかしな話なわけです。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-12-11 08:58 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

万里の長城に佇む大統領にヒートテックは寒いの理 前編
親愛なるアッティクスへ

e0027240_14313531.jpgここ数日、めっきり寒くなってきましたね。
(←シベリアです(笑)。)

で、私、昨年、周囲から「ユニクロヒートテック暖かい」と聞かされていましたので、それならば今年は買ってみようかな・・・と思っていたところ、家人から、「アナタ以外の分はすでに全員買ったよ」と平然とした顔で告げられました・・・。
で、先日、たまたま、通りかかったら改装成った博多デイトス(博多駅の中にある名店街みたいなものです。)にユニクロが入っているのを見つけ、「どうせ、俺は生まれたときから独りだぁーー」という思いを噛み殺しながら、シャツと靴下を自分の分だけ買いました。

で、ユニクロがCMでやってるじゃないですか。
「東京3℃」「ニューヨーク0℃」なんつって、モデルさんが薄着で歩いてるやつ・・・。
さぞかし暖かいんだろうな・・・と思って、いつもより薄着で外出したところ・・・、寒い寒い!
見事に風邪をひいたようで、本日、鼻水をすすりながら活動しております。

などという、くだらない話はさておき、今朝の新聞を見たら、昨日、アメリカオバマ大統領中国を訪問し、万里の長城に行って、寒い中、一人で城楼まで歩き、しばし、冬景色の山々に見入った・・・ということが書いてありました。
曰く、「神秘的だ。悠久の中国の歴史を思い起こさせてくれる」と・・・。

思えば、ナポレオンエジプト遠征の折、戦闘前に兵士に向かい演説し、「兵士諸君!四千年の悠久の歳月がピラミッドの頂上から諸君の戦いぶりを見つめているぞ!」と言ったといいますよね。
同様のことを、私が師と仰ぐ、元帝国陸軍参謀で兵法評論家の大橋武夫氏は「大東亜戦争において、万里の長城付近で戦った我々もそんな心境だった」とその著書の中で語っておられました。
壮大な歴史遺産というものが、人に何かを感じさせるとしたならば、昨今、子供にまで、「どうして、あなたは皆から嫌われるようになったの?」となどと言われるほどに、あまり芳しい評判が聞かれなくなった私と同級のアメリカ大統領は一人きりで、しばし、万里の長城の寒風の中に佇み、一体、何を考えたのか・・・。
意外に、「何だ、ヒートテックは寒いじゃないか」・・・とか(笑)。
「もっと、厚いやつにチェンジ」・・・とか言ったりして(笑)。

まあ、冗談はさておき、私が見る限り、彼は今、惑いの中にいるように思います。
同年の誼で、オバマくんのために言わせていただくと、「まず、軸となる自分の考えを持ったならば、後はもう、あまり、人の言うことを聞くな」・・・とアドバイスしたいですね。
この政策を実行することによって、この方面の人々の支持を失う・・・ということは、反面、実行することにより支持してくれる人もいる・・・というでもあるんですよね。
それが、今はどちらにも思い切って重心を傾けない状態が続いているから、結局、どちら側の人も不満を持ってしまう・・・という一番、最悪の結果になっているように思います。

明日に続く・・・と思います。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-19 08:13 | 国際問題 | Trackback | Comments(2)

さすがに商売人は見切りが早い
親愛なるアッティクスへ

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8月になったばかりで、まだ、梅雨も明けてないのに、もう、「夏物一掃売りつくし」だそうです。
店側は「今年は冷夏」と踏んだのでしょうが、それにしても、随分と思い切ったもんだな・・・と。
まあ、こういうところは、こうでないといけないのでしょうが。

ナポレオンは、「戦争に必要なのは時間と場所であり、場所は取り戻せるが時間は取り戻せない」と言いましたが、まさしく、それを彷彿とさせますね。

                                         平太独白
by heitaroh | 2009-08-02 13:16 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

幻の映画「ナポレオン」にフランス貴族の粋な死に様を見た
親愛なるアッティクスへ

昭和57年(1982年)・・・、この年、巨匠アベル・ガンス映画草創期に制作した「ナポレオン」という幻の無声映画が発見されたとかで、それをコッポラだったかの親父の指揮の下、オーケストラで彩りを添え、上映しようという試みがありました。
で、当時、一般の書店では信長・秀吉・家康などについての本は腐るほどあるのに、ナポレオンチンギスハン、カエサルといった世界的な英雄に関する本は殆どなかったこともあり、私は映画そのものよりも、ナポレオンそのものについて知りたいという欲求を押さえきれず、何としてもこの映画を見るべく、一人で前売り券を買って(サミシー!!)見に行きました。
それが、先日、ケーブルテレビでやっていたので四半世紀ぶりに見たのですが、内容自体への寸評はまたの機会に譲るとして、この、見た映画の中で印象に残ったシーンがありました。

ご承知の通り、フランス革命狂騒のさなか、多くの人が断頭台・・・、つまり、ギロチンに送られたわけですが(毎日、300人が殺されたといいます。)、その場面は、それら囚われた上流階級の人々が、処刑の呼び出しを受けるまで待機しする一室でのシーンでした。

刑務官から名前を読み上げられた人たちは、そのまま、刑場に引き出されていく・・・。
その先に待っているのは、言うまでもなく「死」・・・。
次から次へ名前を読み上げられていく人々・・・。
そして、刑務官が、「ボーアルネ!」と呼み上げだとき、一人の女性が悲鳴を上げる。
この女性こそ、後に、ナポレオンの妻となるジョセフィーヌその人であり、「ボーアルネ」というのは彼女の離婚した夫の姓であり、彼女はボーアルネという名前で、ここへ収容されていたのである・・・と。

すると、そこには、たまたま、同じ名前で、別れた夫の「ボーアルネ子爵」も収容されており、「ボーアルネ」が二人になったことで、刑務官は、「二人も首は必要ない。どちらか話し合って決めろ!」と無造作に告げます。
「あなた・・・どうする・・・?」というジョセフィーヌの辛うじて聞き取れるようなかすれた声・・。
無声映画なんですけどね(笑)。)

元夫である子爵が何と言うか・・・。
ラブラブ・カップルならともかく、別れた、それでなくとも浮気性の強い元嫁である・・・。
泥試合になるのか・・・と思っていると、子爵は胸を張ってこう言う。
 「優先権は私が頂きたい!」
そして、元妻に近づき、その手に口づけをすると、「子供たちによろしく」と言い残し、悠然刑場に去る・・・と。

本当の話かどうかは知りませんが、ま、フランス貴族「粋な死に様」ってのを見せつけられたような気がしましたね・・・。
                       平太独白
by heitaroh | 2008-05-12 08:32 | 文学芸術 | Trackback(2) | Comments(6)

「季布の一諾」その2、偉大なる大ハーン、チンギス・ハーン!
先週の続きです。

一諾を守る・・・ということの持つ、信用というものの力。
もっとも、それは、いくら最終決定権を持つ権力者とは言え、そう簡単な事ではありません。
一諾とは、一面、実行力という面も持っているからです。
あるいは、「決定権者になりさえすれば、そんなの簡単だ・・・。」と言われるかもしれませんが、過日、申し上げました大久保利通にしても、田中角栄にしても、権力の座に着く前から一諾を守ってきたがゆえに、権力の座についてからは、権力と信用というものが相乗効果を得て、それが誰にも打倒することが出来なかったという点では、まさに、運命的にまで強い「権威」というものを持ち得ることに繋がったのだろうと思います。
「今日から、決定権者になったから、約束を守るよ!」と宣言しても、信用という物は一朝一夕につくものではないからです。

一方で、そうは言いながらも、歴史上の英雄と言われた人たちを見てみると、どなたも、多かれ少なかれ梟雄的なところが有るようです。
必要と有れば、約束など破るのに、それほどの躊躇は持たない。
あるいは、約束など破っても、自分が強くなれば、相手は付いてこざるを得ない・・・という判断があったのかもしれません。
が、それらの古今東西、英雄と呼ばれる人の中で、一人だけ、信用という点で、異彩を放っている人物がいます。
それこそが、偉大なる大ハーン、チンギス・ハーンです。

チンギス・ハーンについては、今更、言うこともないでしょうが、彼の創設したモンゴル帝国は、旧ソ連に次ぐと言われる、空前の版図を獲得したことでも知られてます。
晩年、幽閉中のナポレオンをして、「余の為したる事は、彼の偉業の前には児戯に等しいものであった・・・。」と言わしめたとか。
もっとも、モンゴル帝国の版図が最大になったのは、彼の死後であり、また、そのときには、事実上、帝国は分裂しており、厳密な意味での彼の帝国は、もっと、小さかったとは思いますが・・・。
で、そのチンギス・ハーンですが、彼だけは、どういうわけか、どのような苦境にあっても、どれほどに被害が大きくなっても、まさに、綸言汗の如し・・・で、一度、口にした言葉は絶対に実行したといいます。

「この城を落とす!」と宣言した後、攻城戦がうまくいかなかったときも、どれほどの犠牲を出してでも攻略したと言いますし、彼が「許す」と言った人間は、絶対に「許された」といいます。

さらに、この人物の尋常成らざるところは、自分もそれほどに一諾を守るものの、同時に、他人にも、その一諾を強制したことです。
1221年、バーミヤン攻略の折、ハーンの可愛がっていた孫が戦死したことで、激怒したハーンは、「この都市のすべての生き物を抹殺せよ!」と将軍に命令したと言います。
その将軍は、命令通り、住民はおろか馬も犬も皆殺しにした後で、ハーンの入城を待って復命しているときに、その足許をネズミが一匹、駆け抜けていったことで、「命令違反」として殺されたか・・・。

また、逆に、戦いに敗れて帰ってきた将軍が、「今回は、装備が不十分で、雪と寒さに負けたのであって・・・」と弁明しようとすると、ハーンは、「わかった。では、次回は春になって出撃しろ」と言って、前回より多い兵を付けて送り出したとか・・・。
その将軍は、もう、死にものぐるいで戦ったそうですね。
それはそうでしょう。
彼の主君は、自ら、どれほどのことがあっても、一諾を守るということを見せつけている人間なのですから・・・。
これで、負けて帰ったら、彼は「約束を守らなかった人間」ということになり、その後に、何が自分を待っているかは、火を見るよりも明らかだったでしょう。

自らが、一旦、口にしたことは、どんなことでも守る代わりに、部下にも、それを遵守することを要求する・・・。
モンゴル軍が強かったはずです。
自分のところの大将が、戦争前に、「撤退しない」と言ったのであれば、この戦いには、「撤退」はないわけですから・・・。
                         平太独白

by heitaroh | 2008-01-26 08:52 | 歴史 | Trackback(1) | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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