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男の子は男の子だが女の子は女の理に男世界の崩壊を嘆く
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1924181.jpg←先日、たまたま、道を歩いていて見つけました。

「女心融資」・・・だそうです。
私は、こちらの方は、物心付いたときから慢性的に欠乏しているようですので、是非、御願いしたいのですが(笑)。
・・・などと、あまり言っていると、ご婦人方の視線が一層、冷ややかになりそうですので、一応、説明しておきますと、言うまでもなく一番上のうかんむりが雨風で潰れちゃってるだけで、正確には「安心融資」ですね。
でも、思わず、何とか珍百景というやつに、出そうかと思いましたよ・・・。
ちなみに、横には、「女性のひも大歓迎」と書いてあります(笑)。
私ではダメでしょうねぇ。

で、本日のお題です。
先日、テレビのバラエティ番組で、郷土の先輩・タモリさんが「女の人と違って、男は元々は何も無いんだ。教育で、段々と男になっていくんだ」という内容のことを言っておられました。
なるほど、確かに、うちの子供たちを見ていても思い当たることがあります。
私も以前、友人に言ったことがあるのですが、「男の子は男の子だけど、女の子はなんだ」・・・と。

その上で、最近、良く、草食性男子という事が言われますよね。
これは、以前、畜産学の権威の先生に聞いたのですが、「生物の世界でも、外敵の脅威が無くなると、段々と雄と雌が同化してくる」のだそうです。
その意味では、今の日本は間違いなく平和なんでしょう。

ただ、生物は本来、「平和」を前提に体が作られていない・・・ということを考えると、いささか、複雑なものを感じます。
(戦前の日本を顧みれば、その差は理不尽なまでに際だっていたわけで・・・。)
そう考えれば、男の子は昔から、多かれ少なかれ、男だけの独自の「大人になるための」システムという物が存在してきましたよね。
若衆宿然り、青年団、消防団然り、博多祗園山笠などの祭り然りでしょう。
あるいは、徴兵などというものも乱暴な言い方をすればその範疇に入るのかもしれません。
一定年齢に達すると、本人の意思に関わりなく、むりやりでもそこに入れられ、良いことも嫌なことも含めて、「男」になっていく・・・と。
それが今、見事に崩壊してますよね。
(男の習性の一番の好例が、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の祝勝会で、田中将大投手が胴上げされると見せかけて、皆から足で踏んづけられていた光景です(笑)。さすがの、まーくんもダルビッシュさんや松坂大輔さんたちには何も言えないでしょう。変な話ですが、私的には、もの凄く感動的なシーンでした。)
だから、引きこもりなどという現象が起きてしまうのではないか・・・と。
(勉強不足で申し訳ないのですが、あんまり、女性の引きこもりというのは聞かないもので・・・。)

ただ、そうは言っても、では、女性は子供の時から成熟した思考法を持っているか・・・と言えば、当然、そんなことはないわけで、それはやはり、男女の別ということではなく、教育とか、経験などによって、段々と「人」としての完成度を高めていくものだのと思います。
ただ、スタート地点が無か有かの違いであって・・・。
                                         平太独白
by heitaroh | 2009-11-10 19:03 | 教育 | Trackback | Comments(6)

球史に残る大投手、稲尾和久氏の急逝に弔意を表す
親愛なるアッティクスへ

e0027240_10582670.jpg本未明の13日午前1時21分、元西鉄ライオンズ投手・監督であった稲尾和久氏が悪性腫瘍のため福岡市内の病院で死去された・・・というニュースを耳にしました。
享年70歳。

謹んでご冥福をお祈りする次第です。

この時間というのは、奇しくも、昨夜、私がちょうど帰宅した時間だったのですが、当然、今朝は、二日酔いで、朝起きてからも、満足にニュースも見ることも出来ず、今朝、車のラジオでこのニュースを聞いて初めて知った次第でした、
で、本日は混迷を深めるパキスタン情勢について書くつもりだったのですが、この方がご逝去されたと言われれば、福岡人としては弔意を表さねばならず、急遽、変更させていただきます。

稲尾さんと言えば、たびたび、拙稿でも採り上げさせて頂きましたが、改めて言うまでもなく、プロ野球・西鉄ライオンズのエースとして黄金時代を築いた大投手です。
大分県別府市出身、別府緑丘高から昭和31年(1956年)に西鉄入りし、無名だったにもかかわらず、その年、いきなり、新人王を獲得、その後、5年連続30勝、20連勝、シーズン42勝、最多勝 4回、通算 276勝、通算防御率 1.98という大記録を樹立・・・するなど、球史に残る、まさしく、大投手でしたが、この人が、もっとも、博多の人々の記憶に焼き付いたのが、昭和33年の巨人との日本シリーズだったでしょう。

この年、稲尾は7試合中6試合に登板、特に、3連敗して以降の4試合は、すべてに投げて4連投、さらに、第5戦では自らサヨナラ本塁打も放つなど、西鉄の3連敗4連勝の奇跡の逆転優勝の原動力となり、「神様、仏様、稲尾様」の名文句を生みました。

この当時、私はまだ、生まれていませんが、うちでは、父がまだ20代半ばで、西鉄の奇跡に熱狂し、毎晩のように、平和台球場に足を運び、「勝ったら勝ったで祝い酒、負けたら負けたでやけ酒」で、野球などよくわからない祖母は、稲尾投手のことを言うときだけは、「稲尾さん」とさん付けで呼び、そのたびに、祖父が、「稲尾さんやら言うな!稲尾でよかと!」と怒鳴っていたといいます(笑)。

そういえば、福岡出身のタレントのタモリさんは、「私は野球が嫌いなんじゃない。西鉄が好きだったんだ。西鉄がなくなった段階で野球ファンを辞めたんだ」ということを言っておられましたが、思えば、それほど熱狂していたうちの父も、西鉄がボロボロになっていた私の子供の頃は、殆ど、野球の話をしませんでしたね。
若い頃に、あまりに良い物を味わいすぎると、その後の物がすべて物足りなく感じるようなものなのでしょうか。
この点では、いみじくも、今朝のラジオでアナウンサーが言いましたが、「稲尾さんの現役時代を知っておられる方は、もう、皆さん、かなり、ご高齢でしょうが、それを見られたということが大変、羨ましく思えます」と。

この人のことを書くと、とても、一日では終わりそうにありませんので、続きはまた、いずれ書きたいと思いますが、雰囲気はこんな感じだったのでしょうか。
戯れに書いた短編です。よろしければ、ご参照ください。
    ↓
平太郎独白録 : 眼精疲労の為、開店休業・・・。
 
まずは、合掌・・・。

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by heitaroh | 2007-11-13 08:09 | スポーツ | Trackback(2) | Comments(6)

野武士集団・西鉄ライオンズよ、永遠なれ その3
今日で2月も終わりですね。
ちなみに、私の従兄は2月29日生まれでした。
やつは、私より年上なのに、まだ、10回ちょっとしか誕生日を迎えていません(笑)。
でも、ある意味、うらやましかったですよ。
誕生日が四年に一回ですから、その四年に一回の時は、盛大に祝ってもらってましたから・・・。

ということで、またまた、昨日の続きです。

確かに、稲尾さんや豊田さんたちが言われるように、「日本の野球とアメリカの野球というのは、もともと、まったく別の発展過程を経てきたのだから、すべて、アメリカ仕様にならなくてもいいじゃないか」という部分には、なるほど・・・と思うところもあります。
これに対する答えは、愚鈍なわが身では、すぐに答えも出かねるので、また、後日・・・としても、ただ、言われてみれば、今の日本のプロ野球は、なんだか、アメリカの野球こそが、最終到達点・・・、もっといえば、アメリカの野球に呑み込まれてしまうことが、絶対無二の道になっているような雰囲気が醸成されているような観もありますよね。

e0027240_18161245.jpgで、この西鉄ライオンズについてですが、同じ福岡出身で、西鉄時代を知る人と言えば、あの、タモリさんがいますが、彼が西鉄ライオンズについて言っていた言葉があります。
「俺はよく、野球が嫌いだと言われるけど、野球が嫌いなんじゃない。西鉄ライオンズが好きだったんだ。西鉄がいなくなった野球というものに興味がないだけなんだ」と。
でも、同時に、「でも、あの頃の福岡のファンはせこかったねー。『タダ券もっとらんや?』、『タダ券、手に入らんかいな?』ばかりだった・・・。」とも。

そう言えば、ダイエー・ホークスが来た最初の頃も、そんな雰囲気有りましたね。
「あんなもんは、タダでいくもんだ。」みたいな。
まあ、貧しい時代だったとは言え、広島では、広島カープの存続が立ちゆかなくなったとき、広島市民が皆、僅かづつ、お金を持ち寄って球団を存続したなどという話もあります。
以前、平太郎独白録 「負けてたら、すぐに席を立つ博多のファン!」でも申し上げましたが、とにかく、この辺が、何とも福岡人の県民性でして・・・。

この点で、以前も、一度、紹介したことのある江戸時代の地元の名僧、仙崖さんの話があります。
仙崖さんは絵と書の名手として、すでに当時から有名だったようで、この点で、福岡人の悪い癖で、「タダより安いものはない」とばかり、我も我もと描いてもらったようで、辟易した和尚の言葉が残っています。
「うらめしや、わが隠れ家は雪隠(便所)か、来る人ごとに紙おいていく」
最近では、福岡人も、衣食足りて礼節を知るようになったのですが・・・。
今度、おごってください・・・、御同輩。
                  平太独白
by heitaroh | 2007-02-28 09:06 | スポーツ | Trackback(1) | Comments(2)

続・博多うどん考察 かろのうどんと中世博多うどん!
先日申し上げました平太郎独白録 「七百年前の港湾都市の現実にみる年越しそばの起源!」の続編なのですが、私は実は、うどんが大好きでして・・・、そばは最近、食うようになりましたが、昔は、まったく・・・。
大阪万博のとき、会場内の食堂には、うどんが売ってなくって、他に子供が食べられそうな物は、そばしかなかったという・・・。
それも、ざるそばなら、まだ、何とか・・・って思ったんですが、メニューにあったのは、汁そばのみ・・・。
まるで、私に「好き嫌いしないで我慢して食べなさい!」と万博が言っていたようで・・・。
でも、「東京はそば、大阪はうどん・・・」だったんじゃないんですか???
あの当時から、もう、大阪は東京に呑み込まれ始めてましたね・・・(怒)。

って、そういう私事はさておき、昭和40年代後半に、永六輔さんがやっていた浅田飴のCMを覚えておられますでしょうか?
永さんの独特の口調で「行った先々で語る・・・」というCMだったのですが、その中の一つに、「大変美味しいうどん屋さんを見つけました。店の名前は『かろのうろん』。この地方では、だぢづでどが訛ってらりるれろになるそうです。だから、『角のうどん』が訛って、かろのうろん。浅らあめ。」というのをやってたことがあります。
当時、小学校高学年だったと思うのですが、私はそれを聞いて、「へえー、『だぢづでど』が『らりるれろ』になるなんて、日本には、変わったところもあるもんだな・・・。」と思ってたのですが、それからしばらくして、うちから歩いて15分くらいの所に、この「かろのうろん」が有るのを見つけました。
「おお!かろのうろんもCMで有名になって、ついに福岡にも支店ば出したばいな!」と思っていたら、それは、支店ではなく、本店でした・・・。

つまり、「変わったところ・・・」というのはうちの近所だったわけで・・・(汗!)。
だって、博多弁に、そんな訛りがあるなんて、初めて聞いたんだもん・・・。
思えば、博多には「博多にわか」という伝統芸能・・・、つまり、博多弁の漫才があるのですが、おそらく、うちの祖父だったら、大笑いしたのかもしれませんが、私には、何を言っているのかがさっぱりわからない・・・。
方言も、時代と共に変わっていくものなんでしょうね・・・。

ちなみに、以前、大河ドラマ「北条時宗」があったときに、元寇のシーンを実際に博多湾で収録したのですが(と言っても、もろ、福岡タワーの近くですから、当然、他にも商業施設はたくさんあり・・・。まあ、今は、編集の際にいくらでも消せますからね・・・。)、その際、収録後に、そのまま、セットを一般に開放して、北条時宗展というのをやっていました。

e0027240_1049134.jpgそのとき、そこで、伝来当時のうどんを再現した「中世博多うどん」というのをやってまたのですが、当然、新しもの好きの私としては、食べてみたのですが、まるで記憶にありません(笑)。

で、詳しい定義は忘れましたが、当時のうどんというのは、麵が赤みがかったうどんだったと言います。
で、その後、しばらく経ってから、その「中世博多うどん」を売り出した店が出来ました。
(←これですね。少し、麵が赤みがかっているのがおわかり頂けるでしょうか?)
で、話を戻しますと、タモリさん曰く、「博多のうどんは、元来、歯ぐきで嚙めるうどん」だと。
(「讃岐うどんなんてアゴがくたびれるだけだ」・・・とも(笑)。)
確かに、最近でこそ、博多にも、手打ちうどんなどが出てきましたが、昔は、博多のうどんと言えば、「歯ぐきで嚙める」ような、ふにゃふにゃした、まったく腰がないうどんでしたね。
私も、30年くらい前に、初めて博多に出来た本格的な手打ちうどん食って、「美味い!」と思いましたからね・・・。
(それまでは、看板には手打ちうどんと書いてあっても、実際にはまったく、手打ちではなかったですね。)
でも、タモリさんの話には続きがありまして、曰く、「讃岐うどんなどの手打ちうどんは、歯ごたえを楽しむのであって、博多のうどんは、歯ぐきで嚙めるうどんだけど、それは喉ごしを味わううどんなんだ。 」と。
喉ごし・・・ってのは、私にはイマイチ、わかりませんが・・・。
                              平太独白

by heitaroh | 2006-04-22 08:06 | 地域 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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