先日、亡父の遺品を整理していたら、なぜか高校の物と思われる日本史の教科書がでてきました。
当然、私のではないし、誰か家族の物でも無いように思われるのですが、しかし、今見ると、教科書とはなぜこんなに面白くないように書いてあるのですかね。
わざと、そういうふうに無味乾燥に作っているとしか思えません。
私が見ても、知らず知らずに気分が憂鬱になってきますよ。
結局は、事実の羅列ばかり・・・ということなのでしょうが、でも、わざわざ、こんな不味い状態にして、人の口に供さなくても良いような気もします。
あるいは、皆が面白いように、興味を持つように作ってしまうと、受験というふるいに掛けられなくなるからというのが、本当のところなのでは・・・とさえ思えます。
(明治の頃は、限られた予算で急いで人材を育成しなければなりませんでしたから、あながち、的はずれでもないかも・・・。)
つまりは、興味がない物、面白くもない物でも、何の違和感もなく、取り組める人材を求めたと言い換えても良いのかもしれませんが、ま、つまりは、それくらい、わざと面白くなく作ってあると言うことですね。
そう考えれば、一事が万事、教科書というのはそういう風に作ってありますよね。
まあ、最近は小学生などにはやさしく、わかりやすい物が作られているようですが、私たちの頃は、そんな「配慮」なんてありませんでしたよ。
私などは、「これは間違いない」と確信を持たないと、次に進まない子供だったんで、だから、ある日突然、
九九を暗記しなさいと言われたたときには、もの凄く、
抵抗がありましたね。
3X3は9で覚えて間違いはないのか?・・・と。
間違いないという根拠を教えてくれ・・・と。
どこかで、これは暗記してしまって間違いない物だ・・・と確信が持てれば取り組んだのでしょうが、先生からは納得のいく答えはありませんでした。
「良いから、黙って、暗記すれば良いんです」・・・って感じで。
まあ、つまり、この時点で、私は
「明治の基準」というふるいにかけられて、落とされていたんでしょうね。
以来、
十把一絡げ・・・と(笑)。
平太独白