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外務省が外務省であることの弊害
親愛なるアッティクスへ

高級官僚の堕落という問題は、やはり教育というものを抜きにして考えられないのでしょうが、ひとつには、戦前のように「何のために高級官僚になるのか?」という命題が、今や国家自体になく(明治から戦前までは、何も言わないでも、「坂の上の雲」を目指すという命題が国家にはあったわけで)、その点、現代の日本はアメリカにおんぶに抱っこをされていることで、親方日の丸ならぬ、親方星条旗の意識から抜け出せないことが、官僚の志を低くさせているのだと思います。
極論すれば、大学に入るまでが、すべての命題となっており、なぜ官僚となるのか、官僚となって何をするのかが、はっきりしないままに官僚となることが問題なのではないでしょうか?

しかし、それにしても、日本の外交は何故に、こうも貧困になってしまったんでしょうか?
戦前は山座円次郎、吉田茂、重光葵、松岡洋右、幣原喜重郎と綺羅星のごとく人材を輩出したのに、(草葉の陰で陸奥宗光は泣いていると思います。)これは時代と制度とマスコミが外務省を霞ませただけで、太陽が隠れれば星は輝き出すのかと思っていましたが、どうもそうではないようですね・・・。
愚考するに、外務省の停滞、これこそ、「外務省が外務省であることの弊害」なのだと思います。

これ即ち、外務省外務省ではなく、外務庁であることこそが、あるべき姿だということです。
以前、友人にそう言ったら、「それはあなたの勘違いだ。外交というのは大事な物であって・・・。」と言われました。
では、その論で言うならば「防衛はどうなの?」と私は言いたいです。
防衛庁防衛庁であり防衛省ではない。
防衛は必要ではないの?重視されなくていいの?
これ即ち、防衛が大事だと国民認識していないからにほかならず、一方で、外交は大事だと国民認識していないにも関わらず、外務省であり続ける・・・。
そこのところのねじれこそが、外務省の質の低下をもたらしている一因なのではないでしょうか・・・。
直接、国民の生活に関係ない外交であるから、誰からも注目も賞賛も浴びない。
それが、外交官の覇気も失せさせ、気位が高いだけの官庁にしてしまったと言えなくないでしょうか?
財務省経済産業省の役人などからは、「政治音痴」と揶揄される外務省ゆえに、一層、自分を高止まりさせる、ある意味、哀しい体質でしょうか・・・。

戦後、ある外務官僚の言葉です。
「いやしくもキャリアたるこのに、移民ごとき賤民の取扱をさせるとは何事か!」
・・・やっぱり、外務庁でいいんじゃないですか?

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by heitaroh | 2005-06-15 17:26 | 政治 | Trackback(1) | Comments(4)

江藤新平の蹉跌にみる論理と力のパラドックス
親愛なるアッティクスへ

e0027240_1710895.jpg九州データブックというのが本屋にあったので、つい買ってしまいました。
笑ってしまったのが県民性の欄で、福岡県は「真実曲げても面白ければそれでいい」と書いてありました(笑!)。
マジですよ。
ちなみに佐賀県は、「普段の生活を切り詰めて、お金や財産を残したい。」が全国で二番目に多かったそうです。て言うか、あの佐賀が二番目って、一位はどこ???

で、先日、友人の秋田在住横浜人が来たので、その佐賀まで観光に行ってきました。

吉野ヶ里遺跡から大隈重信記念館へ行き、その後、佐賀城に行ったところ、佐賀城では、中に入ると、ボランティアのガイドとして初老の方がおられ、色々と説明を受けるうち、私が「江藤新平が打ち首になったところはどの辺りだったんですか?」と聞くと、その方は、「あの城門の前のNHKの辺りですよ」と懇切に教えてくださいました。
帰途、城門を出て、江藤新平が斬首されたという辺りを横目に見て、駐車場に向かっていると、私にはある感慨が湧いてきました。
それは、他ならぬ、その江藤新平という人物についてです。

江藤新平とは、明治初期の佐賀藩出身の政治家で、明治日本の法律関係を殆ど一人で整備したと言われている人ですが、江藤は自分が作っただけに、「法律」というものを誰よりも知悉していたわけで、それだけに、最大の政敵、大久保利通に対してさえも「大久保は(自分から見れば)子供よ!」と言い放ったといいます。
ところが、実際には揺籃期にあった明治政府は、まだまだ、法律よりも特定の個人の意向が反映される部分が大きく、絶大なる権限を握る大久保は、開戦挑発の後、反乱の口実を得るや、自ら軍隊を率いて乗り込み、力でもって佐賀の乱を鎮圧し、「たとえ、罪人でも法廷で裁かれるはずだ!」と主張する江藤をお構いなしにさらし首にしてしまいました。
これが、江藤と大久保という論理のパラドックスの結果です。
論理の上で正しい江藤が逆に「子供のような」結果になってしまったわけです。
でも、こういうことというのは、往々にしてあることなんですよね。
完璧に理論武装していても、相手の強大な力によって押しつぶされてしまうということが・・・。

これらの話は、少々、法治国家を過信している現代の日本人には、まさしく警鐘なのではと思えてならないのですが、如何でしょうか?

      ・・・・平太独白
by heitaroh | 2005-06-14 18:03 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

最後の将軍、德川慶喜と女たちにとっての幕末維新。
親愛なるアッティクスへ

私は元々、大河ドラマは結構、好きだったのですが、以前に比べ、最近は何か視聴者にすり寄ってるよなーって感じを強くしています。
本来、すり寄らないからNHKなんでしょうが・・・。
で、最近の作品の中で一番よかったのは、モックンがやってた「德川慶喜」でした。
あれで「正座って格好いい!」と思い、ヒザを悪くしてしまいました(笑)。

その徳川慶喜ですが、彼の養母高級公家の出身であり、逆に慶喜の伯母さんは公家に嫁いでおり、関白は従兄・・・という、德川家と朝廷とは幾重にも張り巡らされた縁戚関係にあったわです。
それから、先代将軍の未亡人は孝明天皇の妹、和宮であり、彼女が嫁ぐときに運動したのが岩倉具視であり、さらに、先々代将軍の未亡人は薩摩島津家の出身、天璋院篤姫であり、彼女が嫁ぐときに主君、成彬の命を受け、一切の世話をしたのが西鄕隆盛・・・。

よくこれで、明治維新ができたなと思います。
(この辺は、第一次大戦の時のヨーロッパの王室もしかりですよね。カイザーツァーリハプスブルグ家も皆、親戚であり、まさか、これらの王室がいっぺんになくなるとは、当時は誰も思わなかったのではないでしょうか?歴史というモノは、動くときには実にあっさりと動きますね。たとえ、どれほど歯止めが打ってあっても・・・。)

孝明天皇なき後の慶喜にとっては、幕軍10万よりも、これらの人間関係のほうが、はるかに強力な援軍だったのではないでしょうか?
特に「慶喜追討」の際には、先代、先々代のこの二人の将軍家未亡人から言われたら、西郷も岩倉も何も言えなかったんじゃないですか?
「岩倉、今度はこなたが私の願いを聞く番ではごじゃらぬか。」
「吉之助、そなたは亡き成彬公の命により嫁して参った私に兵を向けると申されまするのか!」

共に主筋であり・・・、輿入れには自分たちが深く関わったわけですから、もう、「ははー」しか言えないでしょう。
改めて、幕末維新というのは、女たちの戦いでもあったのだと思いました・・・。

さておき、慶喜に対する歴史の評価は賛否あると思いますが、少なくとも普通の王様は自らの王朝が滅亡するなら、国も国民も道連れにしてやろうと思ってもおかしくはないわけですし、実際、オスマン帝国スルタンなどには、そういう動きがあったと聞いてますから、それらを考えたなら、自らが汚名を受けながらも、それをしなかったわけで、だったら、私はもっと、高い評価をされてもいいと思いますけどね・・・。
「德川慶喜」・・・、本当にいいドラマでした。
DVD出たら、買うんですけどね・・・。

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by heitaroh | 2005-06-13 23:02 | 歴史 | Trackback(5) | Comments(6)

日本の最大の問題点は行立未分離に在りと見つけたり!
暇に任せて、以前からの私見をまとめてみました。
見識高い貴兄の御批評をお待ち申し上げております。

-------------------------------------
今の日本の最大の問題点は、ひとえに「行立未分離」にあると思います。

一般に三権分立と言われていますが、その実態は議院内閣制による行政と立法との未分離に有り、本来、立法を司るはずの国会議員が、地元への利益誘導(自分の再選のために)をはかるために行政に走ってしまう。
(また、地元も利益を持ってきてくれる人で有れば、立法能力あるなしに関わらず当選させてしまう。)
それでは誰が立法を担当するかというと、本来行政の一機関にすぎないはずの官僚がこれを担当する。

これにより、まず第一に行政と立法がそれぞれにお互いをチェックする、チェック機能がはたらかないことになり、もし、これがきちんと機能していたならば、昨今の特殊法人の問題や、住専問題、厚生省の薬害事件などの諸問題などは、これだけで相当防げたのではないでしょうか?
(極論すれば封建制民主制の違いは、そのチェック機能がちゃんと機能しているかどうかが全てだと。)
これはつきつめれば、法律を実行する者が自分たちに運用しやすい法律をつくっているという(まさしく封建制)ことであり、だから、官僚の逮捕者はあまり出ない・・・ということにも繋がるのかもしれません。

次に行政のトップである総理大臣選挙区があるということがそもそもおかしいと思います。
これでは総理になったら何をするか?少なくとも再選ということを考えたら、地元への利益誘導をするなと言う方が無理なのではないでしょうか?
田中角栄という総理大臣がいましたが、あのひとは新潟県の一部の人が選んだ総理大臣であり、それを考えれば、現在の日本では直接選挙制の方が無難ではないでしょうか?
(直接選挙制も、それはそれで、いろいろと問題点はあるでしょうが・・・。)
さらに、直接選挙で選ばれた総理大臣は、任期さえはっきりしておけば、その権限をもっと与えていいと思います。

又、国会議員も全国区であるべきで、かつて全国区は残酷区だといって、比例代表制に改められた経緯がありますが、アメリカ国会議員たちは、日本の国土と変わらない選挙区を飛び回っていることを考えれば、その程度の体力しかない人は、そもそもが、国会議員に立候補するべきではないと思います。
もっとも大選挙区制になるということは、政教分離にもっとシビアになり、あらゆる圧力団体排除することが大前提ではありますが。

国政に選挙区をなくせば、「外交は票にならない」などという、極端な外交軽視(戦前の帝国主義からのいきすぎた反動だと思いますが)という、見過ごされがちだった国政の重要な歯車もまわりだすのではないでしょうか。
そもそも、この選挙区への利益誘導による勢力拡大という手法は、原 敬政友会総裁時代に作り上げた手法であり、この問題点ゆえに原は悪玉扱いされ暗殺されたのに、いまもってこれが通用していること自体、ある意味では異常かもしれません。
また、日本の場合、まだ封建制の名残で、地方に行けば行くほどその地域の排他性、あるいは地域の利権やボスが出てくる。
これにより、自由な人や物資の移動を妨げ、逆にその地域の発展を阻害する傾向があると思います。
これには、道州制を導入し、行政体の単位の大型化を目指す必要があり、これなくして地方に自治の大権を与えるのは、子供に大人の財布を預けるようなもので、非常に危険だと思います。
-------------------------------------

以上、ざーっと、かいつまんでの愚説でした。

                               平太独白

by heitaroh | 2005-06-11 08:50 | 政治 | Trackback | Comments(2)

黒澤明の最高傑作「七人の侍」 続編
昨日の続きです。

「七人の侍」では、決戦前夜の木村功津島恵子のラブシーンも印象的でしたネ。
私は、あれを見てフランスミッテラン元大統領を思い出しました。
ミッテランとその夫人は、第二次大戦中、共にナチス・ドイツに対するレジスタンスとして戦っていたそうで、知り合って一週間結婚したそうです。そのことについて、「何故、そんなに早く結婚を決めたの?」とインタビューされた夫人は、「だって、お互い、明日生きているかどうかもわからないんですもの・・・」と答えていました。
これこそが男女が結ばれるときの姿の原型のような気がします。

でも、その名匠、黒澤明にも「らしからぬ」ところが2カ所。
一つめは雨の中、火縄銃をむき出しで持ってきて、「家の中からなら撃てる」というのはないと思います。
あの時代までは、湿気があっただけで、火縄に点火できなかったと言いますから、仮に油紙に包んで運んだとしても、あの豪雨の中では役にたたなかったのでは・・・。
二つめは、ラストのほうで宮口精二扮する久蔵が撃たれ、その敵を倒そうと、すぐに三船敏郎扮する菊千代が飛び込んでまた撃たれる。
あの時代に、あの短時間で連射はないですよ(苦笑)。

当時の鉄砲では、一発撃ったら、どんな熟練者でも、 三船敏郎が飛び込むまでには二発目を準備できないはず。
ましてや、一発発射すれば、敵が飛び込んでくると言うことは、むしろ飛び込まれる方がはっきりと認識することであって、そんな焦りまくった状態の中で、筒掃除して、火薬詰めて、弾込めて・・・の連射。
まあ、その時間を短縮できるようなセット商品があったとは言いますが、それを使ったとしてもちょっと・・・。
もっとも、野武士が当時の最新兵器の火縄銃を持っているというのは、何となく現代でも、その気になれば、暴力団のほうが、警察よりいい兵器を持てたりするのと似ているような・・・。

又、建設現場上がりである私としては、あの作品に出てくる、幾多の戦場をくぐり抜けた志村喬らのベテラン侍たちの仕事ぶりを見ていると、上棟式のときのベテラン大工たちの姿そのものに思えました。
何も言わないでもわかるし、言わなくてもすでに誰かがとりかかっている。
皆、長年の共通の体験があり、暗黙の慣習があり、いつものように、手慣れた手つきで眈々と段取りを進めるだけというもの。
あそこに出てくる侍たちは、戦後のあの時代にたくさんいた職人という人種たちなんですね・・・。
                             平太独白

by heitaroh | 2005-06-10 19:47 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

黒澤明の最高傑作「七人の侍」
親愛なるアッティクスへ

以前、一回り上の人から、「おたくの親父さん達の世代まで、少し戦前の教育の色が残っているが、これが、うちの親父達の世代になると、もうまさしく七人の侍に出てくる百姓そのもの!」と言われたことがあります。
思えばこれは、うちの祖父には何となく思い当たる気がしますネ・・・。
以前、何度かこの作品は見たことがあったのですが、そういう目で改めてこの作品を見ると、又違った感慨があります。

百姓(庶民)とは、臆病でずるがしこく、全体のことなど見ようともせず、自分のことしか考えないし、オカミを恐れ、それでいて信用しない。

e0027240_16121151.jpg
  「麦秋が 黄金の色と 知りし今」
                     梁庵平太

(野武士は実った収穫を奪いに来たのではなく、この気高いまでの美しさが許せなかったのでは・・・とさえ思えるような景色でした。哀しいかなこの年になって麦秋の言葉の意味を初めて実感しました。)
搾取されるから、何もないと言っても自分の分だけはしっかり確保している・・・。
まさしく、これは我々の祖父たちの世代の姿であり、ここまで極端ではないにしても父の世代にもその傾向をみてとれるように思います。
こういう世代が今の日本を動かしている以上、この国が傾くのは当然の帰結かもしれませんね・・・。

さておき、以前、この作品を見たときは、思わず、黒澤明という人は、この時代に生きていたのではないか?と思いました。
しかし、あの作品からは同時に昭和29年という(収録時は27~28年ですかね)、祖父の時代の空気を感じました。
出ている俳優やエキストラも、あれはまさしく戦後の、1960年代までのだと思います。
今、あの作品を誰かに撮れと言っても、わらの中に潜り込んで寝たことのある役者(三船敏郎ですね。)なんていないでしょうし、黒澤作品はやはり、今となってはもう、誰も作り得ないあの時代だけの物なんでしょうね・・・。
平太独白
by heitaroh | 2005-06-09 21:48 | 文学芸術 | Trackback | Comments(2)

親には親の都合が御座るが、子には子の事情が御座る。
親愛なるアッティクスへ

今年初め、週刊誌の見出しに「(小林)幸子!衣装にクレーム!」と書いてありました。
「からこ??」と読んで、しばらくしてじゃないことに気づきました。
昨日、脳のテレビがあってましたが、私は相当、呆けてきているようです。

e0027240_14375662.jpg

以前、当時、巨人の二軍監督だった淡口氏が、広告代理店勤務の息子と二人でラジオのトーク番組に出ていました。
息子:「野球をやっていたときは辛かったなー。」
父:「そうなの?」
息子:「努力し七割のプレイが出来たときに、普通の人は誉められるんだけど、俺は『あの淡口の息子なんだから、これくらいは出来て当たり前だろう』で終わったから・・・。」
父:「そんなことがあったのかー。知らなかったなー」
息子:「親父が野球できても、息子も出来るわけじゃないじゃないのにね。」
父:「そうなんだよな。長島(茂雄)さんちの息子(一茂)に対しても、俺達は、『あの長島さんの息子なんだから、これくらい出来て当たり前だろう。』と、思っていたけど、そうじゃないんだよなー。」
・・・って、ウッソつけー!
親父が出来たからって、息子が出来るとは限らないって知っていたくせに・・・。

オヤジは息子は違うんだと、理屈の上では知っているくせに、こういう事を言うという人が世の中いますよね。
「知らなかった・・・。」って、知っていて見ようとはしないだけでで、結局は、二代目というものに対する嫉妬が根底にあるんでしょう。
淡口も自分の息子がそういう目にあっていたことを知って、初めて、「あ、俺は被害者じゃなくて加害者だったんだ・・・。」と、気づいたというのが真相だったのでは?
親が出来ても、子も出来るとは限らないんですよね・・・。

「親には親の都合が御座るが、子には子の事情が御座る。」
三代将軍徳川家光が大河ドラマの中で言った言葉です。
若貴・・・じゃなかった花田兄弟!
親としては我が子には仲良くして欲しいと思う。
だけど、君たちには君たちの事情がある!
                               平太独白
by heitaroh | 2005-06-08 17:59 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

現代中国論 その3
以下、数年前、私が初めて中国へ行ったときに当時、知人に書き送った物です。
e0027240_11551080.jpg
-------------------------------------
中国・・・、それは、一言で言い表すなら、「巨大な不安定さ」、あるいは、「不確実さ」と言い換えてもいいように思えます。
何をやるにしても、とにかく、巨大で、それでいて、「雑」
この辺は、アメリカにも共通することなのかもしれませんが、中国の場合、それが不安定なまま、漠然と存在しているように感じられました。
何でもかんでもトラックの荷台に放り込み、とにかく上からシートを被せて、ロープでしばったと言う状態。
その意味で、この国を「中国」とひとくくりに呼ぶのは、大変、危険なように思えます。

富裕層と貧困層、都市部と地方、漢民族と異民族という以前に、古来からこの国では、貴族階級は庶民階級を同じ人間としてさえ見ていなかったのではないでしょうか?
なぜか私にはそう思えました。
その意味で、この国に、本来、共産主義は似合わない
絶対多数の貧困層の支持を集め、多様で、不安定な国民を一つの枠の中に押し込めておく為の手段として、指導者層が選択しただけのことのように思えました。
指導者層にとっては、有無を言わさずタガを締めることが出来る共産主義の方がこの国をまとめやすいということでしょう。

元々、この国は流民の国であり、その巨大な人口を養うには、どうしても、慢性的に食料が不足する傾向があり、王朝が若々しさを保ち、善政を施しているうちはともかく、やがて、組織が動脈硬化を起こし、役人が私服を肥やすことに汲々としてくると、すぐにそのツケは、底辺に及び、すると、庶民は流民と化し、瞬く間にそれが膨大な人数に膨れ上がる。
そうすると、それが農民蜂起に繋がり、やがて、既存の王朝を揺るがし、自分たちのを確保してくれる新たな王朝の成立として結実する。
漢の高祖以来、明末の李自成まで、それを一つの方程式として繰り返す事で、中国は常に新陳代謝を繰り返してきたのでしょうし、その最後の実践者が、長征を率いた毛沢東だったと言えるのかもしれません。

そして、ある意味、これがこの国に一番合った活性化の仕方のように思えます。
これがこの国、ひいては、東アジアに民主主義が芽生えなかった、いや、根付かなかった一因のように思えます。

-------------------------------------
       平太独白

by heitaroh | 2005-06-07 17:42 | 国際問題 | Trackback | Comments(0)

今、日本が選択すべき社会
親愛なるアッティクスへ

ちょっと前になるのですが、堺屋太一さんの本を読んでいて、なるほどと思ったのは、 「バブルの時代は経営者はを見られた。バブルがはじけて、調子に乗っていた連中が次々に破綻していくのを見て、 人々は夢を見てはいけないんだ。と、思い始めた。堅実という名のに閉じこもっているようになった。」というくだりでした。
逆に言えば、夢を見ることが出来なくなっているところに、この国の寂寥感があったのではないでしょうか。
さすがに、最近では、いい加減にバブルというモノの呪縛から解き放たれ、夢を見ることができる人たちが出てきたがゆえに、経済に以前ほどのペシミズムはなくなった・・・ということかと。

e0027240_10503674.jpgもうひとつ、同書の中に、これからの時代を選択するならば(指導者として頂くなら)、信長型家康型かというのもありましたが、「信長型は非常な発展と躍動感をもつが、同時に過剰な競争と容赦ない粛清がともない、家康型は安定と秩序が保たれるが、永い停滞を余儀なくされる。」というのがありました。
そしてこれからの時代、そのどちらをも選択できる希有なところへ、今、日本人はいる。ともありました。
しかし・・・、どちらも嫌ですよね(笑)。
(ていうか、本当に日本人にそんな選択肢があるんでしょうか?家康の時代は外国という物が前提にない「家康に全権(選択権)があることが前提」でしょう?今は日本人が安定型をと望んでも、アメリカなどの外国がそれを許さないでしょうし・・・。)

今日、奇しくも、所得格差の拡大が問題になってますが、もう、日本はどちらかを選択する時期に来たのではないでしょうか?
すなわち、所得格差拡大是認するのか、それとも、有能な人材の海外流出に目をつぶり、その結果、国際競争力を失い、不況に喘ぎつつも、かつてのような一億総中流社会維持していくのか・・・。
はたまた、そのどちらでもない第三の道を切り拓けるのか・・・。
国民投票でもやって、とっとと、どちらかに決めて欲しい・・・という気もします。
決まれば、それならそれで、そちらに向けて、皆、歩みを進めていくわけですから・・・。
                            平太独白
by heitaroh | 2005-06-06 20:50 | 歴史 | Trackback | Comments(2)

長嶋茂雄選手に見る中年の意地!
親愛なるアッティクスへ

私も、過日、無事(?)誕生日を迎え、また、ひとつ年を取りました。
しっかり、中年にさしかかろうとしておりますが(はい、まだ中年にさしかったところです(笑)。何か・・・?)、この点で思い出したことがあります。

e0027240_14233692.jpg

昭和40年代の終わり頃だったと記憶しているのですが、巨人VS阪神戦で、当時の巨人の看板選手だった長嶋茂雄氏は選手としては既に晩年の引退間際であり、力の衰えは明らかだった・・・と。
で、場面は九回裏、巨人サヨナラ勝ちのチャンス、阪神にとってはサヨナラ負けのピンチが巡ってきたのですが、ここで迎える打者は、三番打者・王 貞治・・・。
しかし、ここで、阪神ベンチは王を敬遠しての四番・長嶋との勝負!を指示。
当時、長嶋さんはもう、シュートにまるでついて行けてなかったそうで、そのため、阪神はこの大事な場面で満を持して、投手に若くてシュートに切れがある谷村智啓投手を当ててきた・・・と。

この阪神ベンチの作戦に対し、長嶋選手は「燃える男」の謳い文句そのままに、谷村投手のシュートをどん詰まりながらもフルスイング・・・。
顔はレフトスタンドを向いていたのに反して、打球は反対方向の一二塁間にコロコロと転がり、懸命に追う二塁手のグラブのわずかに先を抜け、まさしく、意地でボテボテのサヨナラヒットを打ったことがありました。
で、長嶋選手はそのときのヒーローインタビューで、「いやあ、世の中に中年の意地ほど怖い物はないですよ」と上機嫌で語ったことがありましたっけ。

当時、長島選手は30代の後半。
思えば、私は今、その長島選手の年を遙かに超えてしまっているわけですね。
まあ、そもそもが、「中年」という意識はあまりありませんが、当時は、三十代後半は立派な中年だったように記憶しております。
そう言えば、最近では、「中年」という言葉自体、あまり、耳にしないような気がしますね。

あ、話が顔とは違う方向に・・・(笑)。
                                  平太独白
by heitaroh | 2005-06-04 18:15 | スポーツ | Trackback | Comments(3)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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