カテゴリ:社会全般( 158 )

子供が子供であることを許される世の幸せ
「海は広いな大きいな~♫」の歌の作詞作曲って海無し県の群馬県出身の方だったんだそうですね。
なるほど、言われてみれば、海を見なれている人よりはむしろ、ソッチのほうがこういう歌詞を書きそうだな・・・という気がします。
やはり、毎日、海を眺めている人はそこにあるのが当たり前でしょうから、海に思いを馳せたり感動したりということが無いわけで・・・。

ちなみに、群馬県と言っても新潟まで行けば海水浴くらい・・・と仰るなかれ。
それは交通網が発達した近年の話。
私の祖父は三方を海に囲まれた福岡県の中部域の出身でしたが、16歳で博多に出てくるまで海を見たことがなかった・・・と言ってました。
明治、大正の頃は交通機関だって発達してませんし、何より、汽車(電車ではありませんよ。)に乗って海まで遊びに行ってくるなんてこと自体、あり得ない話だったはずで、親に「ちょっと博多まで海水浴に行ってくるから汽車賃ちょうだい」なんて言った日にゃあ、おそらく、親は腰を抜かす以前に、「息子は気が狂った・・・」と思ったんじゃないですか。
親だって、よほどの旦那衆でもない限り、汽車なんて乗ったことなかったでしょうし、子供だって何かしら親の手伝いをするのが当たり前でしたから、殆どボーっとしているような時間はなかったんじゃないでしょうか。
今で言うなら、小学生が「ちょっとマイアミまで海水浴に行ってくるから飛行機代ちょうだい」って言うような感覚に近かったのかもしれません。

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この点で、子供は子供らしくあることを許されませんでした。

児童福祉法など無い時代であす。

子供は皆、程度の差はあったにしても、生きるために一刻も早く大人になることを求められた。

皆、早くから大人の間に入り、老成することを求められた。

「まだ子供なんだから」という悠長なことを言っていれば、他の大人に食い物にされて捨てられた。

南極のデビューしたばかりの若いオスペンギンが、大人たちから意地悪されて、海に落とされて死んでいる映像を見たことがあります。

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でも、それがいい悪いではなく、大自然の現実。

ライオンも熊も他のオスの子供は食い殺します。

いい悪いではなく、生物は多かれ少なかれ、そうやって長い時間を過ごしてきたわけです。


二宮尊徳(金次郎)の子供の頃のに話にも、 大人の仕事を割り振られたが出来ないので、懸命に他の大人たちが喜んでくれるようにフォローをやったという話がありますよね。

庇護者があれば別ですが、庇護者なくして、子供が海に落とされたくなければそうするより他に方法がないわけです。

極論すれば、皆、生まれ落ちた瞬間から一刻も早く大人になるべく、宿命づけられているのが自然の世界だとも言えるでしょう。

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事実、日本でも昭和30年代頃まで子供は子守や新聞配達、牛乳配達など、何かしら大人の仕事を手伝っていました。

そう考えれば、我々から下の世代は、そういう経験をした人がいないとは言いませんが、上の世代に比べると少ないのは事実。

今、良い時代に生きているんだということは実感しておくべきだと思います。

                       平太独白


by heitaroh | 2018-06-12 18:31 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

昭和を文字にして残す活動
今、訳あって、郷土史のほうのことを色々と調べており。
で、私、博多人でありながら、ずーっと、「東中洲」というのと、「西中洲」というのがわからなかったんですね。
よく、「西中洲で待ち合わせね」などと言われるのですが、「西中洲ってどこだっけ?」と思って、地図で調べたら、「ああ、ここね」と。
でも、「西中洲」はそもそも、中洲じゃないし。
「東中洲」に至っては、そういう名前のバス停があるだけで、そういう住所はどこを探してもないんですよ。

で、調べてて初めてわかったのですが、江戸時代に中洲が出来たとき、北端の早くから開けていた方を「中島町」とし、それ以外を「東中洲」としたと。
厳密に言えば、また、「浜新地」だ、「岡新地」だと出てくるのですが、それを言うとややこしくなるので、割愛しますが、ただ、それでも、なぜ、「東中洲」になったのかと、なぜ、隣の中洲じゃない部分を「西中洲」としたのかは結局のところ、わからないみたいです。
(東中洲の名前が初出するのは江戸時代で、西中洲は大正時代にはもう存在するみたいです。)

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で、私が言いたいのは、そういうローカルな話ではなく、こういう郷土史を調べていて、強く思うことがあったからで、それが、「高齢の方に今のうちに話を聞いておく活動をすべきだ」ということす。
もうすぐ、56歳になる私も、もう、語る側の人間になりつつあるのですが、それでも、もっと私の親の世代、昭和一桁に話を聞くべきだと。

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大正12年東中州大火というのがあったのですが、昭和の頃、某地銀が地域の歴史をまとめた小雑誌を発行しており、それを見ると、当時、80代だった明治生まれの方が、「あのときは」と語っておられる。
色々と郷土史家の方はいらっしゃるようですが、また、人間の記憶というのは結構、いい加減なところがあるものですが、それでも、やはり、そのとき、その場にいたというのは強いですよ。

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こういう人の話を今のうちに聞いて文字にしておく活動を始めようと。
つまり、「昭和を文字にして残す活動」ですね。
営利でなく、地元民としての「使命感」と言うことで。
誰か、一緒にやってくれる人はいませんかねえ。
                平太独白
by heitaroh | 2017-05-29 18:03 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

才人の母が言う「人生は長い、ゆっくり静養せよ」の理。
先日、取引先の若者が「体調不良のため静養しますので」と言って退職の挨拶に来ました。
あまり、多くは語りませんでしたが、彼を見ていて、ふと思ったことがあります。

フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長となった人に水野成夫がいます。
明治32年生まれ、旧制静岡中学(現・静岡県立静岡高等学校)から、旧制第一高等学校を経て、大正13年、東京帝国大学法学部卒業という経歴からわかるように、とにかく、才智の塊のような人でしたが、同時に、トップになったかと思えば最下位に沈むという学生時代の成績そのままに、その人生はきわめて毀誉褒貶の激しいもので、文学に凝ったかと思えば、一高時代は猛者として鳴らし、東大時代には共産主義運動に身を投じ、獄中で転向。
翻訳家・フランス文学者として「神々は渇く」でベストセラーとなったかと思えば、戦後は一転、経済同友会幹事、国策パルプ社長会長、フジテレビ社長、産経新聞社社長を歴任、財界四天王の一人とまで呼ばれるようになる・・・と。
でも、言いたいのはこの人の華麗なる遍歴・・・ではなく、そのお母さんの話。

水野が中学四年の時、例によって文学に耽溺した挙句、文学好きの友人らとともに五年生への進級試験をすっぽかして伊豆修善寺へ逃避・・・。
伊豆の自然に触れ、詩の朗読などをして過ごしていたが、元々が衝動的に思い立っての・・・、まあ、いつの時代にもある若者のノリで始めたこと。
あっという間に資金が底をついたことから背に腹は代えられず、やむなく水野が母に送金依頼の電報を打ったところ・・・、叱責の声が返ってくるかと思いきや、折り返し、母から多額の現金と共に「人生は長い、ゆっくり静養せよ」と書いた手紙が送られてきたとか。

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「甘い!」と言われるかもしれませんが、私も五十代も半ばになり、自分の三十代から五十代までがあっという間だったこともあって、若者らには、「人生は短い、ボーっとするな、あっという間に老人になるぞ、急げ急げ」と、つい尻を叩きがちだったことに気づきました。
でも、人生のゴールがぼちぼちちらつき始めたオヤジと、まだまだ、先が長い若者を一緒くたにする必要はないんですよね。
若いうちは、何も根詰めて走るばかりでなく、必要とあれば、「人生は長い、ゆっくり静養せよ」もありだと思うんですよ。
無為に過ごす日々も長い人生の間では大切なことなんじゃないかなと。

ちなみに水野は、母の手紙を見て、思うところがあったらしく、五年進級の追試を受けた上で、日本中の秀才という秀才が集まる一高受験にその後の人生すべてを賭けようと考え、そのため、受験後は山のような参考書を宿の女中にやると、さっさと帰郷。
ところが、自己採点の結果はあまり芳しくないものであったこらしく、母に「不合格の可能性が高い。その場合は進学を断念して船乗りになる」と話したところ、母は一言、「男がそうと決めた以上、最後までやり通しなさい」と言ったと。
この辺り、如何にも明治という時代の空気ですが、要は「若者には休息する権利がある」ということなのでしょうね。
                      平太独白
by heitaroh | 2016-04-14 18:08 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

電子書籍万能に首を傾げる今日このごろ。
先日、何かの雑誌に載っていたものです。
これ見てて、昔、CDが出て間もない頃、同じように「レコード派」「CD派」かという特集記事があったのを思い出しました。

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レコード派は今回の紙派とほぼ同じ主張で、当時、私はこれを見てレコードが淘汰されることを確信しました。
そこに書いてあったのはすべて、音楽・・・というか、音源というべきか、中身には関わりないことばかりだったからです。
ただ、今回の電子書籍はそれと一概に同じに扱うのは無理があると思いますね。
なぜなら、レコードとCDは同じ再生メディアという、言うならば、同じ土俵でしたが、紙と電子書籍は必ずしも同じ土俵にいるとは言えないからです。

平たく言えば、ここには、「電子書籍は充電が切れたら読めない」などというデメリットについてはまったく触れられてませんよね。
いい例が手帳で、私は未だに紙の手帳を使っています。
その一番の理由は「保存」です。
変色などはあったにしても、何年何十年と電池不要で放ったらかしにしておけますよね。
さらに、意外に困るのが何十年も経つと再生機械が無くなってしまうこと。

私、結構、画像や資料なんかはMOで保存しているんですが、もう、今ではMOって機械自体、作ってないんですよね。
結構、これって冗談じゃないですよ。(CDだって、10年が保存期限とか言いますしね。)
以前、講演原稿をMOに入れてて、MOはまだ辛うじて1台持ってますので動いたのですが、今度はソフトが対応してなかったりで、また、一から原稿を起こさなければならなかったという苦い記憶があり・・・。
以来、原稿もすべて紙で保存してますよ。

結論を言えば、一度読んだら二度とは読まないというような週刊誌なんかは電子書籍でいいでしょうが、長く保存しておこうと思う物などは・・・ということですね。
by heitaroh | 2015-02-24 19:32 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

仕事始めに思う日本から正月は無くなるかもしれないの理
前回、今年の正月にちょっと着物のまま出かけたら、40代の方から「いつも、そういう格好ですか?」などと聞かれたことで、ふと、「この方は、たぶん、着物を知らないのではないか」と思った・・・ということを申し上げましたよね。
で、最近では、初詣に着物で行くと、若い人の中には奇異な目で見る人もいる・・・ということも申し上げました。
つまり、明らかに着物を知らない・・・、見たことがない人たちが増えてるんですよ。
おそらく、親も着物を着たことがない世代でしょうが、ここでふと思ったことがあります。
やがて、そう遠くないうちに、日本から正月は無くなる、少なくとも今の正月という物が形を留めるということはなくなるだろうと。

(↑「ものぐさは 出るまで待てぬ 初日の出」 梁庵平太

その意味では、昭和日本の正月がどういう物だったかを書き残しておく必要がある・・・と。
大げさではなく、もう、そういう所まで来ているんですよ。
まず、昭和の正月にあって既に、消えてしまった物として「羽子板」「凧揚げ」「独楽」「獅子舞」と並んで「年始回り」があります。
昔は、年が明けたら、お得意様やお世話になった方のお宅などに挨拶に行いってました。
子どもとしてはそれだけお年玉がもらえるので嬉しかったのですが、大人は行く方も迎える方も大変だったと思いますよ。
我が家などは昔は親戚も多かったし、入れ替わり立ち代り、誰か来てましたね。
母や祖母などは前日の大晦日の夜から、「おせち料理」(これも今は家では作らなくなりましたから、ある意味、絶滅危惧種です。)の仕込みに入り、三ヶ日の来客に備えます。

だから、1月2日の夜は風呂は休み。
これなんかも、若い方たちは「は?風呂?」でしょうが、なぜかというと、働き詰めの女性を休ませるためです。
今と違って、風呂は薪で沸かす重労働でしたからね。
さらに、今、急速に淘汰されようとしている物は何も着物だけではないんですよ。
「門松」「しめ縄」などの他にも、絶滅危惧種になっている物で「年賀状」がありますが、同様に「初詣」もかなり存続が危ぶまれます。

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うちの子供達はまったく年賀状は書きませんし、初詣にも行こうとしません。
かくいう私も、行っても行列してたら、並んでまで参拝はしません。
まあ、元々、年賀状も初詣も明治以降になっての習俗ですから、消えゆくのは元の姿に返るだけとも言えるわけですが・・・。
たぶん、今のままでも残るのは「お年玉」だけだと思いますよ。
                                 平太独白                 

by heitaroh | 2014-01-07 18:24 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

三十年一昔で今頃見る世界の「おしん」 その3
先日の続きです。

「おしん」の劇中、終盤の部分で、乙羽信子演じる老年のおしんと渡瀬恒彦演じる老人とが、会話の中で、「豊かさに慣れてしまうと本当の幸せがわからないから不幸」と言うシーンが有りました。
曰く、「私たちは白いごはん1杯にも、コッペパン1つにも幸せになれた時があった」・・・と。
大正生まれの老漫画家、水木しげる翁も同じようなことを言ってましたね。
「今の人は自分は不幸だと嘆くけど、私に言わせれば幸せのレベルが高すぎるんじゃないか」・・・と。
悲惨な戦場の中で隻腕となりながらも帰還を果たした人だけに「生きていられるだけで幸せ」という言葉には何とも説得力があります。

この点で、「世界全体が幸福にならないかぎりは、 個人の幸福はありえない」とは宮沢賢治の言葉だそうですが、人は生まれながらの幸福を最低限の幸福としてとらえる生き物であるとすれば、世界全体が幸福になるためには、世界大戦などで一斉に世界中で幸福のハードルが下げられる必要があるといえるのでしょうか・・・。
で、このおしんの会話ですが、実はその前段には、「子どもや孫らが贅沢な暮らしをしているのを見ていると、一度、どん底に落ちてみるのも悪いことではない」という台詞がありました。
おしんが言う「孫」とは、紛れもなく、当時、大学生だった私の世代でして、当時は、こう言われると、すぐに「そんなの知るかよ!」と反発してましたが、ところが、これは今、私が自分の家族に思うことでもあるんですよ。

思えば、私の世代は、おしん放送終了と同時に大学を卒業し、社会に出たものの、何年も経たないうちにバブルに踊り、バブル崩壊後は、世の中が悪いと嘆いては、ただただ右往左往するばかりで萎縮していくに任せていたわけじゃないですか。
つまり、おしんに指摘されてた通りの事態であり、これで息子たちの世代に対し、果たして「無気力」「ゆとり」「草食」などと批判する資格があるのか・・・と。
結局、日本を今のような状況にしてしまったのは他ならぬ我々の世代なんじゃないか・・・と。

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とういうことで、このシリーズ、これまでと致したいと思うのですが、実は画像はすべて、ある共通点を持ってました。
まあ、地元以外、わかるはずもないことでしょうが、成年期のおしんの舞台となった佐賀県の物でした。
放送当時、佐賀県の回では嫁姑の確執が描かれたことから、「県のイメージダウンになる」とNHK佐賀放送局に抗議の電話が殺到したとか・・・。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2013-02-16 18:15 | 社会全般 | Trackback | Comments(4)

ようちえん川柳に思わず膝を打った期日前投票の冬の日
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「潮風に 負けぬススキの 居場所かな」 梁庵平太

来週末よりちと、出張の予定が入っており、為に、今朝ほど衆議院選挙期日前投票とやらに行ってきました。
その人が任期中、何をやったかまったく知りませんが、船が沈みそうだとなった途端、後ろ足で砂かけて逃げ出すような輩が多かったことに辟易してましたので、まあ、船から逃げ出さなかっただけ立派だ・・・と。
江戸っ子風に言えば、「おめえさん、えれぇよ。てえしたもんだ。おしさまは見ているよ」ってところでしょうか(笑)。
どうも、年取ってくると、政策の良し悪しなどよりも、こういうところにばかり目が行くようです。

ちなみに、ようちえん川柳というのがあるそうですね。
その第4回ママ大賞に選ばれた句というのを聞いて、思わず膝を打ちました。

「天才だ!」 ちがうよ ぼくは 5さいだよ』(東京都武蔵村山市 男児のママ)。

偉い!!

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-12-07 12:49 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

ハロウィンの定着化に順応しない「昭和ど真ん中世代」命名
唐突ですが、「ハロウィン」って何ですか?
私の周囲では特に何の変化もないんですけど、至る所で「ハロウィン」って言葉を耳にするようになりました。
これって、もしかして「クリスマス」みたいに定着化していくのでしょうか?
知人に聞いたら、「特に若いコ達は、そうみたいですyo」という返事で、思わず、「クリスマスって何だ?」と言っていたであろう、戦後の明治生まれを思い浮かべました。
まあ、お祭りが増えるのは平和な証拠ですが、一方で、「冗談じゃねえ」という気持ちもある辺りが、老人に近づきつつある昭和ど真ん中世代の哀しさでしょうが。

ちなみに、昭和ど真ん中世代」というのは今、私が勝手に命名しました(笑)。

「昭和」は全部で64年あり、正確には64年度と元年度が共に1週間だったと記憶しておりますので、実際は62年と2週間でしょうが、まあ、そういうマイノリティも切り捨てることなく、温かく昭和に入れてあげて64・・・と(笑)。
で、64を2で割ると、ちょうど真ん中は昭和32年となるわけですね。
つまり、ここを境に昭和は前期と後期にわかれるわけですが、奇しくも、この前年、昭和31年には、あの有名な「もはや戦後ではない」という白書が出ているわけで、この頃がそれ以前の昭和と以降の昭和との大きな分水嶺にあったことは間違いないのではないでしょうか。

e0027240_1295752.jpg一方で、大変革期である終戦を境に前期と後期に分ける説もあるようですが、世界歴代最長の元号である「昭和」を最初の20年で分けてしまうと、その後が44年もあるわけで、45年あった「明治」でも、実質、3世代入っていたことを考えれば、いくら寿命が伸びたと言っても、「明治」に匹敵するような時間の流れを一括りにしてしまうのは如何にもバランスが悪いように思えます。
ならばと、3分割したならば21.3となり、昭和21年から42年までがこれに該当する・・・と。

この昭和21年生まれ以降というのは、まさしく「戦争を知らない子供たち」で、分水嶺として考えるのは間違っていないのでしょうが、「大正生まれ」「昭和ヒトケタ」などの延長線上に意識すれば、やはり、21年は長すぎるように思えます。
そう考えれば、その昭和中期の中でも、「もはや戦後ではない」と言われた昭和31年から東京オリンピックの昭和39年までの、「昭和30年代生まれ」こそが、昭和の、ちょうどど真ん中世代に当たると思うわけで、敢えて、そう命名しました。
「同世代」の方は支持をお願いします(笑)。

親愛なるアッティクスへ
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-11-01 07:42 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

紳助の直感力の妙と事情を知る識者ほど判断を誤るの自慢
親愛なるアッティクスへ

昨日は連休でもあり、久々に読書三昧を思い立ちました。

e0027240_16591399.jpg本当はせっかくなら、小難しいことを考えずに、もっと楽しめる物を・・・とも思ったのですが、どういうわけか、どれを見てもどうにも食傷気味に思え・・・。
結局、大量の積ん読の中から引っ張りだしてきたのが、
佐々淳行著、「後藤田正晴と十二人の総理たち―もう鳴らない“ゴット・フォン”」でした。

佐々という人は私もたびたび、講演などを拝聴しており、確かになかなかに傾聴に値する人なのでしょうが・・・・・・・、同時に、とにかく自慢が多い(笑)。

謙譲を美徳とする日本人的には「もう、立派な人だとはわかってるんだから言わなきゃいいのに・・・」と苦笑するところもナキニシモアラズ・・・ではありますが、まあ、あれが欧米流なのでしょう。
ただ、そうは言っても、私は結構、講演がある時には足を運んでおりますので、意外に、控えめな私(?)とは馬が合う(?)人なのかもしれません(笑)。
で、まだ、読み終えたわけではありませんが、一点だけ、湾岸戦争の時、外務省の主流派を含め、政官財の識者は皆、「開戦は無い」と言っていたという件について。
(例によって、この著書の中にもこれでもか・・・というくらい自慢が出てきます(笑)。ここまで来ると、英雄の稚気・・・という気も。)
この時、著者だけが直接、アメリカに飛び、米政府の要職にある知己を訪ね、開戦間違いなしとの情報を得ていたとか。

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そんな中、出演したテレビ番組の放送開始前に、著者を含め少数派の開戦ある論者が、多数派の開戦ない論者から冷笑されるというやりとりをじっと聞いていた副司会者・島田紳助さんが、放送開始と同時に、いきなり、「この番組の放送中にも戦争が始まるかもしれません」と言ったことに、さすがの佐々御大もびっくりした・・・と。
おそらく、紳助さんの判断は複雑な情勢分析の結果・・・ではなく、識者らの談話を見ていて、何かを感じ取ったのだと思います。
恐るべし直感力・・・ですね。
(以前、橋下徹氏がまだタレント弁護士だった時代、クイズ番組で、「カナダの首都は?」という問いに、「橋下はモントリオールと書いとるはずや!」と喝破し、その通りだったことを思い出しました。)

ただ、湾岸戦争開戦は私でもわかりましたよ。(←自慢?(笑)。)
私は当然、イラクにも行ったことはありませんが、私が開戦必至と思った根拠は「武力で成り立っている政権は一旦、内弁慶であるということを国内に知られると立ち行かなくなる」ということで、だとすれば、フセインの方から撤兵するということは有り得ないし、アメリカ側も派兵する前にならともかく、派兵した以上、撤兵ということもありえないだろうと思った次第でした。
この点は、徳川幕府がペリーに頭を下げた途端に反幕府勢力が勢いづいたことを考えればわかりやすいでしょうか。
この点は、かえって、現地の実情などを知悉している方が本質を見誤るようなところがあるのかもしれません。
                                         平太独白
by heitaroh | 2012-09-23 17:30 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)

市川染五郎さん転落事故で厳しい行政処分がない不思議
親愛なるアッティクスへ

先日、歌舞伎俳優の市川染五郎さんが公演中に舞台から約3メートル下の奈落に転落し、大けがをした・・・という報道がありましたよね。
父の松本幸四郎さんは「染五郎は舞台に立つと、踊りや歌舞伎に見境がなくなる。無我夢中の中で起きた事故です。舞台機構や裏方さんには何の落ち度もありません」と語ったと言いますが、この業界は良いですねぇ・・・。
こんな大事故が起きて、「誰も落ち度はありません」で済むんですから。
普通は、使用者責任だの安全管理体制違反だの労働者死傷病報告だのから、労働基準監督署の調査警察の事情聴取に、果ては「営業停止命令」なんぞ出た日にはもう死活問題にまでなりますよ。

また、舞台の状況については、染五郎さんは共演者と「セリが開いているから気をつけようね」と何度も確認し合っていたとか。
こういうのは昔からの伝統かもしれませんが、そこに普通に穴が開いている様な状態を放置するべきではありませんよ。
私はまだ、歌舞伎というのを見たことがありませんから、奈落というのがどういう構造になっているかとか、セリと奈落がどう違うのかなどはまったく知らないのですが、こういうのは安全対策に配慮して改善しようと思えば、100%は無理にしてもまだ、何とかなるものだと思っています。

この点は、以前も言ったことだと思いますが、建設業界での安全大会なるものに一度だけ出席したことがあるのですが、その折、講師の先生が、「『事故は防げなかったんだろうか?』というと、『いやあ、もう、これは必要な物なので無理ですね』などという話が返ってくるが、『では皆で考えてみましょう』と言って、時間をかけて意見を出させると、避けるのは不可能と思われたような事故が、これでもかというくらい、色々な防止策が出てくる・・・と。

要は安全対策をするつもりがあるのかどうか・・・ということですよ。
何もなければ、とかく、「バカヤロー!こんなチマチマしたことやってて職人が務まるか!大体、俺達の若い頃にはなぁ・・・」なんてことになりがちですが、一旦、事故が起きて、指名停止だの営業停止命令だの、監督署からの呼び出しだの、禁錮刑だのということになれば、彼らも否応なしにデメリットの大きさを認識せざるを得ないわけで、歌舞伎業界でもそうなんじゃないですか?
「セリなんて物は開いてるものだ。そこへ落ちないようにするのが役者ってもんだ。」で、むしろ、それが良いことだとさえ思っている傾向がありはしませんか?

でも、それで終わらせちゃいけないんですよ。
やはり、その為には伝統芸能だろうが親が何と言おうがファンの声があろうが、ひとたび、こういう事故が起きれば、厳しい処分を下すべきだと思うんです。
場合によっては、半年間の公演差し止め命令なんてのも良いんじゃないですか?
そしたら、業界も目が覚め、転落事故防止策なんてこれでもかっていうくらい出てきますよ。
                                平太独白
by heitaroh | 2012-09-10 18:47 | 社会全般 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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