唐津くんち行ってきました!
唐津くんち行ってきました。
佐賀県唐津市の祭りです。
以前から行ってみたかったんですが、今回ようやく念願叶い。

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朝、祭りの前。
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勢揃いしたところですね。

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で、これがこんな感じで練り歩くわけです。
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漆塗りでほとんどが江戸時代に出来た物だとか。
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夜はこんな感じで疾走します。
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なかなか、見応えがありました。
で、最後にお土産はこれ。
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「唐津焼陶片せんべい」だそうです。
以前から興味あったのですが、唐津でしか売っておらず、ようやく念願叶い。
当然、日持ちもしますし、このときとばかり、思いっきり大人買いしました(笑)。
ちなみに味の方も、なかなかに美味でした。
(早速、ペロリと8個くらい食べてしまいました・・・。)
                  平太独白

# by heitaroh | 2018-11-03 17:52 | 地域 | Trackback | Comments(0)

安易に構造不況というなかれの大河ドラマ「西郷どん」の企業努力
世の中に構造不況という言葉がありますよね。
業界全体が業種の構造的な問題で不況なんだというやつ。
でも、往々にして、構造不況と言いながら、その前にやるべき企業努力を怠っていたりということもあるようです。
かつて、第一次焼酎ブームの頃、日本酒業界は税率で焼酎より高率に置かれていたので、「値段的に敵わない構造不況」だと言ってました。

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それはまあ、そうなんだろうなと私も漠然と思っていたのですが、このとき、当時の日本マクドナルド藤田田社長が日本酒業界の講演に招かれ、「皆さんは構造不況だと嘆いておられるが、その前にやるべき企業努力をやってますか?」と言ったという記事を目にしました。
曰く、「この酒は熱燗が美味いのか、冷やが美味いのか、何の表示もない。紙パックに、サーモラベルを貼って、その酒が一番、美味しく飲める温度になると色が変わるようなことの一つもやったらどうですか?」と。
私も思わず、これには「なるほど」と思いましたね。
なるほど、確かに言われてみれば、「やれること、やるべきことがまだ結構あるなあ」と。
これと同じで、その後も「これは絶対構造不況だろう」と思うような業界が案外、その前にまだやれることをやっていなかったりするのを見てきました。

「今時、こんな店はもう流行らんから閉めようと思う」と小料理屋の親父が言ってましたが、口には出さなかったけど、その前に「もう少し、気が利いた物を出せよ」と。
この程度の物しか出してないから流行らないんじゃないかと。

その上で・・・、テレビドラマでは時代劇が凋落傾向・・・どころか、もはや、役目を終えた観が強いのは事実ですよね。
でも、それって果たして本当に構造不況でしょうか?
その前に、本当に顧客のニーズに合った物を提供しているか一度、再点検したほうがいいのでは?

もちろん、本当にどうにもならない構造不況というものが存在するのは事実でしょう。
ただ、その前にやるべきことをやっているのか?ということです。

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で、大河ドラマ「西郷どん」
私が見ていて、前半は面白かったのですが、後半に入ると・・・・。
視聴者は本当にあんなに西郷さんだけが素晴らしく、後はみんなバカばっかり・・・みたいな展開を望んでいるのでしょうか?
売れないから、確実に売れる物を・・・と考えることはよくある構図でしょう。
が、それが果たして、顧客のニーズに合致しているかと言えばそうでもないような気がします。

昭和の大河ドラマの登場人物はそんなにいい人ばかりでもなかったですよ。
国盗り物語高橋英樹演じる織田信長の暴君としての顔と裏腹の孤高、近藤正臣演じる明智光秀の組織人としての苦衷と怒り。
今、それをやったら、非難が殺到するのかもしれませんが。
                 平太独白

# by heitaroh | 2018-10-01 06:33 | 経済・マネジメント | Trackback | Comments(2)

9.11の日に思う大谷翔平選手見に行きたかったイチローで9.11
右肘靭帯再負傷が発見され、球団からは靭帯再建手術を推奨されている大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手。
一応、本人は現時点では手術をするかは決断しておらず、今季は打者としてシーズン終了まで出場を続けるのだとか。
実は開幕間もない頃、大谷選手の活躍につい、ふらふらと「大谷、見に行きたいな」という気が。
で、英語が話せない私は、誰か友達と一緒に行かなきゃ毎日、ハンバーガー・オンリーになってしまうので、友人を誘ったところ・・・、秋口だったらという返事。

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で、すっかりその気になっていたのですが、その後、
6月6日、大谷に右肘内側側副靱帯損傷が判明。
そのときの話では「今季絶望かも!」ということだったので、まあ、元々が突然、思い立った話でもあり、ホームゲームの良い席などは既にほとんど埋まってしまってたこともあり、「やっぱ無理だったか」で結局、断念しました。
ただ、結局、このときは、大谷選手は手術をすることなく、血小板血漿注射と幹細胞注射の治療のみで、打者としての出場はOKとなり、その後の活躍に繋がっていったので、やっぱ行けばよかったかと思っていたところ・・・でした。
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で、私はメジャーリーグの試合は一度、行ってみたいなと思っているのですがまだ機会が無く。
実は一度、行こうとしたことがあるんですよ。
それはイチローがメジャーデビューした年。(確か、2001年のはず。)
今年の大谷と同じく、イチローが開幕から面目躍如の大活躍をするのを見て、「一度も行ったこと無いし、行ってみたいな」と。
で、そのときも友人を誘ったら、今回同様、「いいですよ。9月中旬に向こうで展示会があるのでそれを兼ねて」という返事。
これで、すっかりその気になっていたところ、その日に野暮用が福岡で開催されることになり、「あなたはいてくれなきゃ」と言われ、渋々断念・・・。
で、その前日、帰宅してテレビをつけたところ、ビルに飛行機が突っ込む映像・・・。
・・・ん?煙草のCMか何かか?と思っていたら、その日が9月11日。
つまり、9.11の発生でした。
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ちなみに、その日、ニューヨークから羽田について、翌日、福岡で合流するはずだった人たちもいたのですが、彼らは全員、帰って来れず、キャンセル。
数日後、無事、帰国しましたが、そのときの話では、「日本に向かって飛行機は飛ぶが日本のどこに着くかは言えない。そこからは自力で帰ってくれ」と言われたそうです。
まあ、私の場合、ニューヨークではなく、イチローが当時、ホームグラウンドにしていたシアトルだったでしょうから、ニューヨークほどではなかったでしょうが、それでも、私も帰って来られなかったかもしれないわけで・・・。

で、こんなこと言うのも何ですが、なーんかあのときと似てる気がするんですよね。
あのときも、今のトランプと同様、ブッシュ・ジュニアという父に似ぬ暗愚の大統領で、彼らにとっては求心力を保つためにも、外国の脅威というのは歓迎すべき事態だったわけで。
何もないことを祈って止みません。
                      平太独白

# by heitaroh | 2018-09-11 17:24 | スポーツ | Trackback | Comments(2)

「西郷どん」にみる主人公中心史観の弊は必要なのかの疑問
今年の大河ドラマ「西郷どん」
ちまたでは、「言葉がわからない」などいろいろと不評もあるようですが、私的には結構、面白かったですね。
今世紀になってからの大河ドラマでは一番面白かったかも。
ただ、「面白かった」という過去形になっているように、後半になって何だかなあって感じになってきました。
まあ、一橋慶喜を悪者にするのもドラマの演出上仕方ないかなぁと思いますが、島津久光はすっかりバカ殿扱いですし・・・。
何より、見ててひっかかるのが、「西郷・大久保」と並び立つ両巨塔のもう一人、大久保利通まで低く貶めるのはいかがなものかと。

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西郷が得意とした単身、敵地へ乗り込んでの体当たり交渉。
西郷はこれを朝鮮でやろうとして征韓論政変に繋がるのですが(ていうか、このままだと征韓論政変も西郷の主張が正しかったということになるのでは?)、しかしこれが出来たのはやはり、「万一、斃れても後には大久保がいる」という安心感があったからではないでしょうか。
リリーフがしっかりしていいればこそ先発も安心して全力投球が出来る。
つまり、大久保の実力を誰より認めていたのが西郷ではなかったかと。
そのことは維新後の両者の足跡を見れば、何より雄弁に語っているように思います。

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(↑島津久光という人物は必ずしも暗君というわけではなかったでしょうが、どうにも舞台運に恵まれない人物であったことだけは間違いないでしょうね。名君の兄と比べられ、さらにその流れに連なる不仲の西郷隆盛が明治維新の立役者となったがために、「賢兄愚弟の田舎者」の構図が出来てしまった・・・と。)

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日本に総理大臣という制度ができる前なので、大久保を総理大臣に数えることはできませんが、日本に「政府」というものが確立してい以降、最初にその舵取りを担ったのが大久保であったことを考えれば、大久保こそ、日本で最初にして最高の「初代宰相」だったと思っています。
                      平太独白

# by heitaroh | 2018-08-21 08:13 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

太平記をスピンオフで歩く。 その8 「兵どもが夢の跡」 福岡市東区

先日からの続きです。

実はすっかり忘れてました。


松崎台地に置いて、敵の大軍を目の前にした足利方。

自軍はとかえりみれば、寡兵は言うに及ばず、満足な武装すらしていない・・・。

「自害する」という主将・足利尊氏を説得し、とりあえず、自害は思いとどまらせたものの、それでも、尊氏を出陣させるまでには至らず、「とりあえず、ここで見ておいてください」で実弟・足利直義少弐頼尚ら一部の部下だけで出撃。

ずらりと対岸に布陣した菊池武敏率いる宮方と交戦すべく、川を渡ろうと押し出したと。


「断固として血を流すことを辞さない者にはすべてが敗れる」とのプロイセンの参謀、クラウゼヴィッツの言ですが、本来、先に川を渡るのは大軍を有する宮方でなければならないのに、足利方は寡兵で、かつ、満足な武装すらしていないのに川を押し渡ってくる。

宮方の将兵らは正直、感動すらしたのではないでしょうか。

上杉謙信前田利家が、敵に囲まれ、落城寸前の味方の城へ単身入城した際には、敵は誰も手出しすることなくこれを見送ったと言いますが、命のやりとりをする戦場では、こういう群を抜いた勇気には誰もが問答無用で感動するもののようです。

ある意味、勝敗の行方は、足利方の馬が川に乗り入れた瞬間に決まったと言っても良いのでは無いかと。


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(↑立花山山頂からの景。第一次と第二次、ここでは戦場絵巻が繰り広げられていた。)


一説によると、強風により、砂塵が宮方へ吹きつけたと言う話もありますが、運も実力のうち。

砂塵が吹いたから渡河しようということではなく、敢然として渡河しようとした足利方に運も味方したということだったのでしょう。

現在の一帯の気候風土を見る限り、砂塵が舞うような感じには思えません。

まあ、今は護岸とアスファルトに覆われていますから、往時と重ねるのは無理があるのでしょうが、あるいは、その実は攻撃を命じられた宮方将兵のサボタージュの口実だったのかもしれません。


足利方は、多々良川を渡り、敵の大軍が見守る中、敵前に上陸したわけですが、しかし、有象無象に戦意は無いと言っても、さすがに敵主力である菊池隊は戦意旺盛で敢然と反撃に討って出ます。

となれば、寡兵の足利方はあっという間に押し戻され、激戦となったと。

この激戦に決着をつけたは、最期を期した直義が、松崎台地に在って未だに放心状態の主将尊氏の下へ、形見と称し、自らの右袖に着いていた錦の直垂届けさせたことによると言われています。


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(↑後年、小早川隆景が築城する名島城跡より見た多々良川。多々良川が海に出た所に位置するが、現在では住宅が建ち込んで川の位置がすぐにはわからなくなっている。)


さすがに、これを見て、尊氏も奮い立ち、自ら台地を降り川を渡って激戦の中へ突撃。

主将自らが戦線に加わったことで足利方の将兵が力を得たのと対照的に、宮方のほうでは最後尾を守っていた松浦勢が寝返ったことで、自壊の連鎖が発生。

結局、いつの時代も、数を頼りとする方は烏合の衆、大半は宮方有利の情勢を見て、菊池に同心しただけのこと。

(確かに、内心では足利氏方と思っていても、バカ正直にそれを言えば、少弐貞経のようになっていたわけで・・・。面従腹背はやむを得ない選択だったでしょう。)

結果、ついに、菊池勢は総崩れで敗走し、阿蘇大宮司惟直は戦死。


現地説明書きによると、「諸書によれば、この合戦の犠牲者は数千人に及んだと」言うが、昭和46年(1971年)に、この地に福岡流通センターが建設された際、一帯の発掘調査が行われたが、特に合戦を示す物は見つからなかったという。

この戦いの結果、九州のほぼ全域が足利方につくこととなり、完全に体勢を整え直した尊氏は一色範氏仁木義長などを九州の抑えとして残し、再び東上。

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摂津国湊川の戦いで、難敵・楠木正成を破り、室町幕府を開きますが、一方、この戦いで一敗地に塗れたとは言え、菊池氏はこの後も頑強に抵抗を続け、さらにそこへ、観応の擾乱による足利直冬の参戦でさらに九州戦線は混迷深くなっていくと。


まだ、書くことが無いわけでは無いのだけど、一応、これにておしまい。

                   平太独白


# by heitaroh | 2018-07-07 14:29 | 歴史 | Trackback | Comments(0)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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