9.11の日に思う大谷翔平選手見に行きたかったイチローで9.11
右肘靭帯再負傷が発見され、球団からは靭帯再建手術を推奨されている大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手。
一応、本人は現時点では手術をするかは決断しておらず、今季は打者としてシーズン終了まで出場を続けるのだとか。
実は開幕間もない頃、大谷選手の活躍につい、ふらふらと「大谷、見に行きたいな」という気が。
で、英語が話せない私は、誰か友達と一緒に行かなきゃ毎日、ハンバーガー・オンリーになってしまうので、友人を誘ったところ・・・、秋口だったらという返事。

e0027240_16404653.jpg

で、すっかりその気になっていたのですが、その後、
6月6日、大谷に右肘内側側副靱帯損傷が判明。
そのときの話では「今季絶望かも!」ということだったので、まあ、元々が突然、思い立った話でもあり、ホームゲームの良い席などは既にほとんど埋まってしまってたこともあり、「やっぱ無理だったか」で結局、断念しました。
ただ、結局、このときは、大谷選手は手術をすることなく、血小板血漿注射と幹細胞注射の治療のみで、打者としての出場はOKとなり、その後の活躍に繋がっていったので、やっぱ行けばよかったかと思っていたところ・・・でした。
e0027240_16390735.jpg
で、私はメジャーリーグの試合は一度、行ってみたいなと思っているのですがまだ機会が無く。
実は一度、行こうとしたことがあるんですよ。
それはイチローがメジャーデビューした年。(確か、2001年のはず。)
今年の大谷と同じく、イチローが開幕から面目躍如の大活躍をするのを見て、「一度も行ったこと無いし、行ってみたいな」と。
で、そのときも友人を誘ったら、今回同様、「いいですよ。9月中旬に向こうで展示会があるのでそれを兼ねて」という返事。
これで、すっかりその気になっていたところ、その日に野暮用が福岡で開催されることになり、「あなたはいてくれなきゃ」と言われ、渋々断念・・・。
で、その前日、帰宅してテレビをつけたところ、ビルに飛行機が突っ込む映像・・・。
・・・ん?煙草のCMか何かか?と思っていたら、その日が9月11日。
つまり、9.11の発生でした。
e0027240_16422717.jpg

ちなみに、その日、ニューヨークから羽田について、翌日、福岡で合流するはずだった人たちもいたのですが、彼らは全員、帰って来れず、キャンセル。
数日後、無事、帰国しましたが、そのときの話では、「日本に向かって飛行機は飛ぶが日本のどこに着くかは言えない。そこからは自力で帰ってくれ」と言われたそうです。
まあ、私の場合、ニューヨークではなく、イチローが当時、ホームグラウンドにしていたシアトルだったでしょうから、ニューヨークほどではなかったでしょうが、それでも、私も帰って来られなかったかもしれないわけで・・・。

で、こんなこと言うのも何ですが、なーんかあのときと似てる気がするんですよね。
あのときも、今のトランプと同様、ブッシュ・ジュニアという父に似ぬ暗愚の大統領で、彼らにとっては求心力を保つためにも、外国の脅威というのは歓迎すべき事態だったわけで。
何もないことを祈って止みません。
                      平太独白

# by heitaroh | 2018-09-11 17:24 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

「西郷どん」にみる主人公中心史観の弊は必要なのかの疑問
今年の大河ドラマ「西郷どん」
ちまたでは、「言葉がわからない」などいろいろと不評もあるようですが、私的には結構、面白かったですね。
今世紀になってからの大河ドラマでは一番面白かったかも。
ただ、「面白かった」という過去形になっているように、後半になって何だかなあって感じになってきました。
まあ、一橋慶喜を悪者にするのもドラマの演出上仕方ないかなぁと思いますが、島津久光はすっかりバカ殿扱いですし・・・。
何より、見ててひっかかるのが、「西郷・大久保」と並び立つ両巨塔のもう一人、大久保利通まで低く貶めるのはいかがなものかと。

e0027240_12374096.jpg
西郷が得意とした単身、敵地へ乗り込んでの体当たり交渉。
西郷はこれを朝鮮でやろうとして征韓論政変に繋がるのですが(ていうか、このままだと征韓論政変も西郷の主張が正しかったということになるのでは?)、しかしこれが出来たのはやはり、「万一、斃れても後には大久保がいる」という安心感があったからではないでしょうか。
リリーフがしっかりしていいればこそ先発も安心して全力投球が出来る。
つまり、大久保の実力を誰より認めていたのが西郷ではなかったかと。
そのことは維新後の両者の足跡を見れば、何より雄弁に語っているように思います。

e0027240_12425863.jpg
(↑島津久光という人物は必ずしも暗君というわけではなかったでしょうが、どうにも舞台運に恵まれない人物であったことだけは間違いないでしょうね。名君の兄と比べられ、さらにその流れに連なる不仲の西郷隆盛が明治維新の立役者となったがために、「賢兄愚弟の田舎者」の構図が出来てしまった・・・と。)

e0027240_12480907.jpg
日本に総理大臣という制度ができる前なので、大久保を総理大臣に数えることはできませんが、日本に「政府」というものが確立してい以降、最初にその舵取りを担ったのが大久保であったことを考えれば、大久保こそ、日本で最初にして最高の「初代宰相」だったと思っています。
                      平太独白

# by heitaroh | 2018-08-21 08:13 | 歴史 | Trackback | Comments(4)

太平記をスピンオフで歩く。 その8 「兵どもが夢の跡」 福岡市東区

先日からの続きです。

実はすっかり忘れてました。


松崎台地に置いて、敵の大軍を目の前にした足利方。

自軍はとかえりみれば、寡兵は言うに及ばず、満足な武装すらしていない・・・。

「自害する」という主将・足利尊氏を説得し、とりあえず、自害は思いとどまらせたものの、それでも、尊氏を出陣させるまでには至らず、「とりあえず、ここで見ておいてください」で実弟・足利直義少弐頼尚ら一部の部下だけで出撃。

ずらりと対岸に布陣した菊池武敏率いる宮方と交戦すべく、川を渡ろうと押し出したと。


「断固として血を流すことを辞さない者にはすべてが敗れる」とのプロイセンの参謀、クラウゼヴィッツの言ですが、本来、先に川を渡るのは大軍を有する宮方でなければならないのに、足利方は寡兵で、かつ、満足な武装すらしていないのに川を押し渡ってくる。

宮方の将兵らは正直、感動すらしたのではないでしょうか。

上杉謙信前田利家が、敵に囲まれ、落城寸前の味方の城へ単身入城した際には、敵は誰も手出しすることなくこれを見送ったと言いますが、命のやりとりをする戦場では、こういう群を抜いた勇気には誰もが問答無用で感動するもののようです。

ある意味、勝敗の行方は、足利方の馬が川に乗り入れた瞬間に決まったと言っても良いのでは無いかと。


e0027240_14100326.jpg
(↑立花山山頂からの景。第一次と第二次、ここでは戦場絵巻が繰り広げられていた。)


一説によると、強風により、砂塵が宮方へ吹きつけたと言う話もありますが、運も実力のうち。

砂塵が吹いたから渡河しようということではなく、敢然として渡河しようとした足利方に運も味方したということだったのでしょう。

現在の一帯の気候風土を見る限り、砂塵が舞うような感じには思えません。

まあ、今は護岸とアスファルトに覆われていますから、往時と重ねるのは無理があるのでしょうが、あるいは、その実は攻撃を命じられた宮方将兵のサボタージュの口実だったのかもしれません。


足利方は、多々良川を渡り、敵の大軍が見守る中、敵前に上陸したわけですが、しかし、有象無象に戦意は無いと言っても、さすがに敵主力である菊池隊は戦意旺盛で敢然と反撃に討って出ます。

となれば、寡兵の足利方はあっという間に押し戻され、激戦となったと。

この激戦に決着をつけたは、最期を期した直義が、松崎台地に在って未だに放心状態の主将尊氏の下へ、形見と称し、自らの右袖に着いていた錦の直垂届けさせたことによると言われています。


e0027240_14261627.jpg
(↑後年、小早川隆景が築城する名島城跡より見た多々良川。多々良川が海に出た所に位置するが、現在では住宅が建ち込んで川の位置がすぐにはわからなくなっている。)


さすがに、これを見て、尊氏も奮い立ち、自ら台地を降り川を渡って激戦の中へ突撃。

主将自らが戦線に加わったことで足利方の将兵が力を得たのと対照的に、宮方のほうでは最後尾を守っていた松浦勢が寝返ったことで、自壊の連鎖が発生。

結局、いつの時代も、数を頼りとする方は烏合の衆、大半は宮方有利の情勢を見て、菊池に同心しただけのこと。

(確かに、内心では足利氏方と思っていても、バカ正直にそれを言えば、少弐貞経のようになっていたわけで・・・。面従腹背はやむを得ない選択だったでしょう。)

結果、ついに、菊池勢は総崩れで敗走し、阿蘇大宮司惟直は戦死。


現地説明書きによると、「諸書によれば、この合戦の犠牲者は数千人に及んだと」言うが、昭和46年(1971年)に、この地に福岡流通センターが建設された際、一帯の発掘調査が行われたが、特に合戦を示す物は見つからなかったという。

この戦いの結果、九州のほぼ全域が足利方につくこととなり、完全に体勢を整え直した尊氏は一色範氏仁木義長などを九州の抑えとして残し、再び東上。

e0027240_14034291.jpg

摂津国湊川の戦いで、難敵・楠木正成を破り、室町幕府を開きますが、一方、この戦いで一敗地に塗れたとは言え、菊池氏はこの後も頑強に抵抗を続け、さらにそこへ、観応の擾乱による足利直冬の参戦でさらに九州戦線は混迷深くなっていくと。


まだ、書くことが無いわけでは無いのだけど、一応、これにておしまい。

                   平太独白


# by heitaroh | 2018-07-07 14:29 | 歴史 | Trackback | Comments(0)

子供が子供であることを許される世の幸せ
「海は広いな大きいな~♫」の歌の作詞作曲って海無し県の群馬県出身の方だったんだそうですね。
なるほど、言われてみれば、海を見なれている人よりはむしろ、ソッチのほうがこういう歌詞を書きそうだな・・・という気がします。
やはり、毎日、海を眺めている人はそこにあるのが当たり前でしょうから、海に思いを馳せたり感動したりということが無いわけで・・・。

ちなみに、群馬県と言っても新潟まで行けば海水浴くらい・・・と仰るなかれ。
それは交通網が発達した近年の話。
私の祖父は三方を海に囲まれた福岡県の中部域の出身でしたが、16歳で博多に出てくるまで海を見たことがなかった・・・と言ってました。
明治、大正の頃は交通機関だって発達してませんし、何より、汽車(電車ではありませんよ。)に乗って海まで遊びに行ってくるなんてこと自体、あり得ない話だったはずで、親に「ちょっと博多まで海水浴に行ってくるから汽車賃ちょうだい」なんて言った日にゃあ、おそらく、親は腰を抜かす以前に、「息子は気が狂った・・・」と思ったんじゃないですか。
親だって、よほどの旦那衆でもない限り、汽車なんて乗ったことなかったでしょうし、子供だって何かしら親の手伝いをするのが当たり前でしたから、殆どボーっとしているような時間はなかったんじゃないでしょうか。
今で言うなら、小学生が「ちょっとマイアミまで海水浴に行ってくるから飛行機代ちょうだい」って言うような感覚に近かったのかもしれません。

e0027240_16311586.jpg
この点で、子供は子供らしくあることを許されませんでした。

児童福祉法など無い時代であす。

子供は皆、程度の差はあったにしても、生きるために一刻も早く大人になることを求められた。

皆、早くから大人の間に入り、老成することを求められた。

「まだ子供なんだから」という悠長なことを言っていれば、他の大人に食い物にされて捨てられた。

南極のデビューしたばかりの若いオスペンギンが、大人たちから意地悪されて、海に落とされて死んでいる映像を見たことがあります。

e0027240_16130367.jpg

でも、それがいい悪いではなく、大自然の現実。

ライオンも熊も他のオスの子供は食い殺します。

いい悪いではなく、生物は多かれ少なかれ、そうやって長い時間を過ごしてきたわけです。


二宮尊徳(金次郎)の子供の頃のに話にも、 大人の仕事を割り振られたが出来ないので、懸命に他の大人たちが喜んでくれるようにフォローをやったという話がありますよね。

庇護者があれば別ですが、庇護者なくして、子供が海に落とされたくなければそうするより他に方法がないわけです。

極論すれば、皆、生まれ落ちた瞬間から一刻も早く大人になるべく、宿命づけられているのが自然の世界だとも言えるでしょう。

e0027240_16285020.jpg

事実、日本でも昭和30年代頃まで子供は子守や新聞配達、牛乳配達など、何かしら大人の仕事を手伝っていました。

そう考えれば、我々から下の世代は、そういう経験をした人がいないとは言いませんが、上の世代に比べると少ないのは事実。

今、良い時代に生きているんだということは実感しておくべきだと思います。

                       平太独白


# by heitaroh | 2018-06-12 18:31 | 社会全般 | Trackback | Comments(2)

太平記をスピンオフで歩く。 その7 「続・激突、多々良浜」 福岡市東区

先日の続きです。


すっかり、余談が長くなりましたが、ここでようやく話を元に戻しますと・・・の前に、立花道雪こと戸次鑑連の墓(↓)です

e0027240_18042836.jpg

で、本題。

まだ要塞化される前の松崎台地に登った足利尊氏が敵のあまりの大軍に絶望し、自害を口走り、弟の直義に止められた・・・という件ですが、実はこの話には伏線があります。


まず、尊氏一行は上方から落ち延びてきたとき、満足な武装すらしていなかったらしく、出迎えた肥前国守護の少弐頼尚の父、貞経が装備品の調達をしていたものの、菊池武敏らに率いられた宮方の軍勢が少弐の本拠大宰府を襲撃したことから、貞経は自害、尊氏一行の為に用意されていた武具もすべて焼失してしまったと。

つまり、尊氏が松崎台地の上に立ち、「もうダメだ」と嘆いたとき、その彼我の兵力差もながら、満足な武装すらしていなかったわけで、素手で完全武装した10万の軍隊に立ち向かうような気分だったでしょうか。

なるほど、確かに、尊氏ならずとも、「こりゃだめだ」という気になるでしょうね。

惨めに辱めを受けるくらいなら・・・と思うのもわかるような気がします。

さらに、自害するという尊氏を諫めたのも実弟直義ではなく、足利軍に加わっていた少弐頼尚だったという話もあります。

頼尚は、既に父を討たれているのみならず、敵軍を主導する菊池武敏とは仇敵の間柄、降伏という選択肢はなかったでしょう。


両者の確執は建武の新政の直前、一足早く決起した菊池一族が鎌倉方の鎮西探題館を襲撃した際、少弐、大友も誘ったにもかかわらず、彼らは裏切り探題側について菊池氏を攻撃。

結果、菊池一族は敗退して、多くが館の一角で首を切られました。


e0027240_18165250.jpg
(↑昭和の地下鉄工事の際に大量の頭骨が出土した所。識者により、この時に処刑された菊池一族の物では無いかと。)


なのに、ほどなく、中央で足利尊氏によって六波羅探題が陥落との情報が届くと一転、少弐、大友は鎮西探題を攻め、これを陥落せしめています。

菊池一族からすれば、「あいつらだけは絶対に許さん!」だったでしょうね。


e0027240_18320811.jpg
(↑尊氏はこの状態のまま、宗像大社に戦勝を祈願。筑前国宗像を本拠とする宗像氏範らの支援を受けて筑前国の多々良浜に進出します。この期に及んでも尊氏に味方しようとする勢力があったということは注目すべきかと。)


ということで、次回に続きます。

                 平太独白

# by heitaroh | 2018-05-13 17:26 | 歴史 | Trackback | Comments(2)


国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
ライフログ
最新のコメント
>非公開コメントさん ..
by heitaroh at 13:46
> sakanoueno..
by heitaroh at 19:17
もう長いこと鹿児島には行..
by sakanoueno-kumo at 17:47
> sakanoueno..
by heitaroh at 15:40
わたしも、西郷より大久保..
by sakanoueno-kumo at 21:37
> sakanoueno..
by heitaroh at 11:36
おっしゃるとおりで、いま..
by sakanoueno-kumo at 20:42
>PPさん 遅くな..
by heitaroh at 19:48
虎の門ニュースで青山繁晴..
by PP at 00:31
> sakanoueno..
by heitaroh at 20:19
尊氏は、戦に負けたり劣勢..
by sakanoueno-kumo at 23:13
>非公開コメントさん ..
by heitaroh at 16:51
>非公開コメントさん ..
by heitaroh at 15:44
>sakanoueno..
by heitaroh at 11:58
13周年おめでとうござい..
by sakanoueno-kumo at 00:36
検索
タグ
(65)
(54)
(54)
(51)
(50)
(46)
(42)
(41)
(41)
(36)
(32)
(31)
(31)
(30)
(29)
(28)
(26)
(26)
(25)
(25)
(24)
(24)
(24)
(24)
(24)
(23)
(21)
(21)
(21)
(20)
(20)
(19)
(19)
(18)
(18)
(18)
(17)
(16)
(16)
(16)
(16)
(16)
(15)
(15)
(15)
(14)
(14)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(13)
(12)
(12)
(12)
(11)
(11)
(11)
(11)
(11)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(10)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
(9)
カテゴリ
以前の記事
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 04月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 06月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
2006年 08月
2006年 07月
2006年 06月
2006年 05月
2006年 04月
2006年 03月
2006年 02月
2006年 01月
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 09月
2005年 08月
2005年 07月
2005年 06月
2005年 05月
2005年 04月
2005年 03月
最新のトラックバック
太平記を歩く。 その69..
from 坂の上のサインボード
太平記を歩く。 その68..
from 坂の上のサインボード
八犬傳(上・下)
from 天竺堂の本棚
2016年NHK大河ドラ..
from <徳島早苗の間>
明治日本の産業革命遺産の..
from 坂の上のサインボード
フォロー中のブログ
ブログパーツ
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧