平太郎独白録 親愛なるアッティクスへ
2024-03-06T13:25:59+09:00
heitaroh
国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
Excite Blog
暴君より暗君の弊害と早いもんだの19周年!
http://heitaroh.exblog.jp/30842383/
2024-03-06T07:16:00+09:00
2024-03-06T13:25:59+09:00
2024-03-06T13:06:05+09:00
heitaroh
その他
(↑過日の芸予国境付近。平たく言うと、しまなみ海道ですね(笑)。)
で、お尋ねです。
「悪人と愚者、権力の座に就けるなら、どちらを選ぶか?」
もちろん、どちらも歓迎はできませんが、でも、選択肢はこの二つだけ、必ず、どちらかを選ばなくてはならない・・・としたら。
・・・答えは「悪人」です。
もちろん、誤解のないように申し上げておきますと、「悪人が良い」と言っているわけでも、「悪人こそふさわしい」と言っているわけでもありません。
「悪人のほうが愚者より弊害が少ない」と言っているだけです。
そのことは、迂闊に悪人を選べば、ヒトラーのようなことになることが雄弁に物語っているでしょう。
(ベルリン・オリンピックのとき、日本人が、ドイツ人の案内者に「素晴らしい指導者ですね」と言ったら、「あんな成り上がり者に国を任せていたら、大変なことになりますよ」と答えたとか。)
(↑桜も満開でした。)
指導者としては、「問題がある人間」より「無能」であることのほうが罪深いというのが、残念ながら現実のようです。
つまり、暗君より暴君のほうがマシということでしょうか。
さて、アメリカ大統領選挙ですが、前任のときは、特に大きな戦争は起こらなかったのに対し、現職になったら、ウクライナとガザで戦争が起きたことは、残念ながら、紛れもない事実です。
(↑ラーメン食ってる間に日が落ちました。)
これについては、以前から言っている通りですので、もう、繰り返しませんが、ただし、今回は注意しなければならないことがあります。
それは、トランプもバイデンも、どちらも最終任期だということです。
まず、トランプは、前回の時は、まだ、「再選がある」と思っていたので、多少、遠慮はあったでしょう。
が、今回はもう、遠慮がないわけで、まさか、カエサルのように終身独裁官を宣言することはないでしょうが、本当に何をしてくるかわかりません。
一方、バイデンですが、こっちはこっちで、また、あのフラフラした状態で4年間、そもそも、任期中もつの?と。
超大国の指導者が機能不全に陥る危険は、第四次中東戦争のとき、ウォーターゲート事件に揺れていたニクソンが如実に示しているでしょう。
(↑例年、周年には道シリーズで行っておりますので、意味もなく、道。)
平太独白
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本当は哀しい?藤原道長
http://heitaroh.exblog.jp/30652604/
2024-02-01T07:05:00+09:00
2024-02-06T11:42:42+09:00
2024-01-09T17:35:06+09:00
heitaroh
歴史
さて、その道長ですが、彼は確かに平安期に権力を独占していた藤原氏の人です。
(藤原京の藤原は「藤が生い茂る野原」という意味だそうですね。藤原氏の藤原がそうかは知りませんが。)
ただ、当時はその藤原氏自体がいくつもの家に分裂して権力争いをしており、彼の父はそのうちの一つ、藤原北家の当主で、権力闘争に勝ち、めでたく栄達を極めました。
が、道長自身はその五男。
本来は一重役で終わるはずだったのが、兄たちが次々と没したことで、思いもよらず29歳でトップに上り詰めます。(彼自身、豪胆な性格だったようで、この辺り、出自も含め、徳川吉宗や井伊直弼と酷似しているかと。)
それだけに、彼が政権の座についたときは、周りの重役はすべて年上。
毎日、深夜まで及ぶ長い会議で、そのまま、役所に泊まり込むことも多かったとか。
業務に精励している姿を見せることで、重役の信頼を繋ぎ止めようとしたのかもしれませんが、でも、これ、実は妻が恐かったからだという話も。
(野口英世は家に帰りたくなかったから研究が捗ったと。これも、一面の真理のような。)
でも、あの道長より上の家柄なんてあるのか・・・と思ったらあるんですね。
正妻・源倫子は天皇のひ孫。
しかも、二歳年上。
さらに、倫子が生んだ娘たちが天皇の后となり、次の天皇を生んだことで道長の権力基盤は盤石となったわけで、そこら辺を裏付けるように、倫子は女性でありながら、道長と並んで官職は最高位を極め、当時としては記録的な高齢の90歳で薨去。
ちなみに、倫子は40代の時にまだ20歳にしか見えないと言われた元祖・美魔女だけに、公卿筆頭の父にとっても自慢の娘。
天皇の后にすることを目論んでいたものの、道長の父の権力闘争のあおりを食って、天皇家に適齢期の相手がいないという事態に。
そのまま、ずるずると24歳(当時としては結構ギリギリ)となっていたところへ持ち上がったのが道長との縁談。
「いくら藤原でも五男じゃなぁ」と気乗り薄にしていたら妻が一喝。
「そんなこと言ったって、今の皇族には倫子と年のつり合う方はいないでしょ!行き遅れるより、実力者の息子の道長の方がマシよ!」と言って強引に嫁がせてしまったとか。
これには、両家の父も唖然だったそうです。
いつの時代も、娘の嫁入りについての母の目は、男どもの敵するものではないということでしょうか。
つまり、道長が兄の死後、トップの座につけたのは、妻とその実家の後押しがあったからだとも言え・・・。
ということは・・・。
・・・想像してください。
・・・豪華な調度品に囲まれた高級マンションの一室で、スタイル抜群の美魔女から、「み~ち~な~が~!何度言ったらわかるの!ったく、トロいんだから。私はエステに行って、夜はクラス会だって言ったでしょ」って叱られてる大社長の姿が見えてきませんか?
なーんか、道長さん、気の毒になってきました。
平太独白
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大河ドラマ「光る君へ」で注目するは源倫子
http://heitaroh.exblog.jp/30652270/
2024-01-22T15:52:00+09:00
2024-01-22T15:53:14+09:00
2024-01-09T17:01:03+09:00
heitaroh
文学芸術
(↑紫式部ちゃんも、こんな所で書いてたの?夏はまだしも、冬はむちゃくちゃ寒いよ。)
で、今回、その配役で、一番、注目していたのが、紫式部・・・ではなく、藤原道長夫人の源 倫子。
誰がやるのかと思ってたら、黒木 華ちゃんがやるんですね。
親も自慢のスタイル抜群の美女(美魔女)だったというから、藤原紀香あたりがやるかなぁと思ってたのですが、さすがに、柄本 佑くんとでは年で釣り合わないようで。
父親としては、それほど自慢の娘なので、天皇の妃にしようと思っていたら、藤原道長の父、兼家の権力闘争のあおりをくらって果たせぬことになり、「どうしよう」と思っていたら、そこへ道長との縁談が舞い込み・・・。
父は「道長ごときに・・・」と逡巡していたら、母親が「もう、道長で!」と言って、押し切った・・・と。
結果、倫子のサポートもあって、道長は権力への階段を駆け上っていく・・・のですが、この辺のことはまたいずれ。
ちなみに、有名な道長の「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば」という歌は、反道長派の日記に記されていただけで、道長側の資料には出てこないとも聞きましたが、もし、そうだとしたら、怖いですよねえ。
日本三大悪女の日野富子も、公家の日記に一行「悪女なり」と出てきただけだと言いますし。
兵太独白
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ソフトバンクホークス和田毅投手放出?冗談でしょ??
http://heitaroh.exblog.jp/30667782/
2024-01-11T18:10:00+09:00
2024-01-15T18:35:53+09:00
2024-01-11T18:23:12+09:00
heitaroh
スポーツ
(↑昨年、和田が勝ち投手になった試合だったかと。ヒーローインタビュー受けてると思うんだけど。)
どうやら、西武がFA移籍した山川穂高内野手の人的補償として和田投手を指名したということのようですが、いくら、和田が高齢で、あと何年やれるかわからないからって、和田はプロテクトから外しちゃだめでしょー。
何を考えてるんだ?と。
(↑昨年は、ホークス85年、ドーム30年だったそうです。)
和田は2003年、阪神を破って日本一になった時の優勝投手ですよ。
あれから、20年が経って、まだホークスで投げているということの重み。
フロントには感じてほしかった・・・と、今、記事見たら、どうやら、和田の代わりに甲斐野央投手が西武に行くことになったようですね。
人騒がせな話ですが、和田をプロテクトから外してたのは事実なんでしょ?
西武も、何年もやれない和田より甲斐野がよかっただけでしょうが、そこに和田の名前が上ること自体・・・。
(↑この試合、最後に抑えたのが甲斐野でした。西武に行っても、十分、活躍できると思いますよ。)
ということで、今更、本題に移る気にもならないのですが、一応、書いてたので・・・。
私はセのことはわかりませんが、パは今年はかなり、ソフトバンクが強いのでは?と思っております。
「常勝チームに改革の手は入れづらい」と言ったのは、V9(9年連続日本一)の大監督・川上哲治翁でしたが、あの、鬼のように恐れられた川上監督をもってしても、勝ったチームには改革の手は入れづらかったということ。
したがって、川上監督退任後、後任の長嶋茂雄監督の一年目に球団史上初の最下位になったときには、「王(貞治)以外は全員トレード要員」と言われたほどに、かなり、ドラスティックな改革に着手し、エース高橋一三らを放出、張本勲、加藤初などを獲得しています。
(江夏豊や平松政次などもトレード直前まで漕ぎつけていたとか。)
昨年シーズン終了後のソフトバンクがそれと一緒で、小久保裕紀監督は、かなり、自分が育てた若手選手の実力に手ごたえを感じているのでしょう。
球団もそれを受けてか、実績も実力もある選手を軒並み放出する一方で、本塁打王と打点王獲得の近藤健介は年俸倍増(以上)、批判があった問題の山川穂高選手を獲得。
小久保監督の采配の手腕は未知数ですが、それでも、二軍優勝監督という実績を引っ提げての就任。
一定水準以上であることは間違いないのでは。
対して、リーグ三連覇中のオリックスですが、連覇というのは本当に難しいんですよね。
三連覇を達成した球団フロント並びに中嶋聡監督の手腕は称賛に値するのですが。
四連覇というのは、常勝時代の巨人、西武などが(それを上回って)達成してますが、それ以外ではおそらく、オリックスの前身の阪急ブレーブスが一度あるだけではないでしょうか。
平太独白
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中村メイコさん逝去
http://heitaroh.exblog.jp/30646995/
2024-01-08T19:02:00+09:00
2024-01-10T16:53:46+09:00
2024-01-08T19:12:48+09:00
heitaroh
音楽芸能
1934年(昭和9年)5月、娘が誕生すると「五月」と命名。
「この子の恋人が古風な人なら、『さつき』、モダンな人なら『メイ』と呼んでくれるだろう」と。
その子が、中村メイ子。
最後の特攻隊の慰問経験者。
美空ひばりの親友。
天才子役。
私の世代にとっては、昭和の顔でした。
中村メイコ(本名・神津五月=こうづ・さつき)さん逝去の報。
合掌。
平太独白
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震災被害お見舞いと羽田事故はなぜ羽田?
http://heitaroh.exblog.jp/30640386/
2024-01-07T21:21:00+09:00
2024-01-09T15:35:00+09:00
2024-01-07T21:45:39+09:00
heitaroh
時事問題
ちなみに、能登は確か、日本列島が出来る前のかなり初期からの日本なんですよね。
後から本州が出来て、くっついたと記憶。
(したがって、当時は能登半島ではなく能登島。もちろん、名称はもとより、人も住んでなかったはず。)
それだけ古い地層ということが今回の地震に影響したんでしょうか。
また、日本は地震で報道されないけど、ヨーロッパも大変なことになってるみたいですね。
イギリス、フランス、ドイツも嵐に洪水、北欧はマイナス38℃の猛吹雪で車が立ち往生と。
こちらも、被害が最小限であることを祈っております。
さて、今回の羽田での飛行機衝突事故ですが、素人の素朴な疑問なんですが、海保機は羽田でないといけなかったんでしょうか。
羽田はそれでなくても過密空港なのに、ましてや、帰省ラッシュ。
博多駅前の道路陥没事故のときもそうでしたが、日本は、事故が起きてからの対応は世界から称賛されますが、事故が起きないことが一番いいわけで。
そう考えれば、平素から海保機や軍用機などは、羽田を回避して、静岡空港や茨城空港を拠点にし、その付近に物資の集積基地を作っておくべきだったのでは。
昨年、那覇空港でも軍用機と旅客機のあわやのニアミスがありましたよね。
あのとき、どういう改善をされたんでしょうか?
音声だけに頼るのではなく、せめて、正面のランプが消えてから滑走路に入るとか、目で見えるような改善はできなかったのでしょうか?
人間は聞き違いということもありますし、勘違いということもあります。
あるいは、管制塔から離陸許可が出るまで、車輪止めが上がったまま降りないとか、もう少し、抜本的な対策をして欲しいように思うのですが。
平太独白
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2024年の謹賀新年!
http://heitaroh.exblog.jp/30601441/
2024-01-01T16:21:00+09:00
2024-01-01T16:21:48+09:00
2024-01-01T16:21:48+09:00
heitaroh
その他
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
去年の今頃は何をしていたのやら・・・です。
令和6年元旦
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良いお年を!
http://heitaroh.exblog.jp/30596752/
2023-12-31T15:35:00+09:00
2024-01-01T15:59:45+09:00
2023-12-31T15:39:48+09:00
heitaroh
その他
一年間、お世話になりました。
よいお年をお迎えください。
平太独白]]>
独眼竜ダヤンの遺言と結局日本の轍を踏むイスラエル
http://heitaroh.exblog.jp/30503009/
2023-12-01T05:29:00+09:00
2023-12-01T14:59:16+09:00
2023-12-01T14:54:45+09:00
heitaroh
国際問題
昭和23年(1948年)5月、建国に反発したアラブ諸国は雪崩を打ってイスラエルに攻め込んだ。第一次中東戦争の勃発である。この戦いで、当初、劣勢を伝えられたイスラエル軍は意外な健闘を見せ、逆に敵軍を撃退、建国を既成事実とすることに成功する。このとき、イスラエルの勝利に大きく貢献したのがモーシェ・ダヤンである。
ダヤンは、このとき、第二次世界大戦中の戦傷が元で片目を失明し、隻眼となっていたが、そのダヤン将軍が、建国後、早い時点で外遊先に選んだのが日本であった。日本中のマスコミは、空港に降り立った彼の姿を見て、「独眼竜ダヤン」と持てはやしたが、ダヤンは浮足立つこともなく、精力的に会談を重ねて回った相手がいる。旧帝国軍人である。彼が知ろうとしたもの。それこそが、「なぜ、日本は負けたのか?」ということであった。(日本では信長も秀吉も勝った戦いばかりが持てはやされ、負けた相手は馬鹿者扱いされる傾向があるが、欧米では負けた戦いにこそ学ぶべきものがあると言われる。事実、ナポレオンで有名なのは「ワーテルロー」などの負けた戦いなのである。)その結果、ダヤンが得た結論、それこそが、「国土をいたずらに大きくすることの愚」であった。戦前の日本人は無邪気なまでに国土拡張に狂奔したが、小国であればこそ、周辺諸国も眉をそばだてなくとも済むのである。もし、イスラエルが周辺諸国を併呑し続け、かつてのオスマントルコのような大国になってしまうような勢いを見せ始めたならば、近隣諸国はもとより、アメリカ、ソ連も対応が変わってきただろう。つまり、この、日本を反面教師とした不拡大方針こそが、イスラエルの国是として、その後の広大なシナイ半島などの占領地返還に繋がったと言えるのだろうが、ところが、そのイスラエルも、気が付けば、結局、帝国日本と同じ轍を踏んでいるようである。イスラエルとパレスチナ問題の本質は宗教問題ではなく、土地問題だと言うが、どのような国家も一旦、血を流して奪い取った領土を無償で返還することに快く思わない者が出るもの。すなわち、日本が日清日露で勝ちすぎたように、イスラエルも4度の中東戦争で勝ちすぎたのである。
ダヤンは、その後、第三次中東戦争の直前に国防相に任命され、昭和48年(1973年)の第四次中東戦争でも、再び国防相として戦争指導にあたるも、作戦の準備不足などの不手際を批判され辞任。ベギン政権の外相を務めたが、意見対立によりに辞任、2年後の昭和56年(1981年)、没している。果たして、現下のイスラエル人は泉下のダヤンの言に聞く耳を貸すのだろうか。日本の轍を踏まないためにも、一度、原点に立ち返ってみる必要があるように思えてならないのだが。 平太独白]]>
還暦過ぎてちゃんと見る人生初雲海
http://heitaroh.exblog.jp/30480309/
2023-11-01T05:46:00+09:00
2023-11-01T16:05:45+09:00
2023-10-31T16:15:15+09:00
heitaroh
その他
先日、人に誘われて、ちょっと、宮崎県の高千穂まで行ってきたのですが、早朝、三国ヶ丘まで登り、雲海を見てきました。(三国ヶ丘自体は、過去に行ったことがあったんですよ。ただ、昼間だったので、特に、何と言うこともなく。そういえば、雲海の名所だとか書いてあったな・・・と。)
私は今まで、まだ、「初日の出」を見たことが無い人間ですから、当然、雲海も見たことが無く。
行ってみないと見られるかどうかわからないものに、早朝から、わざわざ早起きして行ってみようとは思わないんですね。
なので、たぶん、人生初雲海だと思います。
(↑今年の初日の出です(笑)。)
ただ、過去に、雲海を見に行ったことはあるんですよ。
阿蘇に泊まった時、ホテルの人から、「明日は雲海を見に行くツアーをやってますが、行かれますか?」と言われ、ならばと行ってみたけど、結局、雲海は現れず・・・。
何日も快晴が続いて、気温差が大きく、かつ、風が無いとき・・・ですよね。
なので、今回も難しいのかな・・・と内心、思っていたんですが・・・。
(↑「あ、出た!」と思ったら、見る見る、日が昇りました。まさに、光陰矢の如しです。学成りませんでしたが(笑)。)
もっとも、正確に言うと、雲海自体は20年くらい前に一度、山梨で見てるんですよ。
別に見に行ったわけではなく、たまたま、泊った宿から遠くに甲府の街がすっぽり雲海に沈んでいる姿が・・・。
甲府は県庁所在地ですからね。
あんな大きな街が雲海に覆われてしまうというのは、それはそれで、また、今回とは違う趣がありましたが、今回は眼下に広がってましたからね。
どこかのタクシーの運転手さんが、「今年一番の雲海ではなかろうか」とおっしゃってました。
平太独白
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国民に知られたくない?大阪万博と円安
http://heitaroh.exblog.jp/30468164/
2023-10-14T23:54:00+09:00
2023-10-18T16:52:01+09:00
2023-10-15T00:19:47+09:00
heitaroh
経済・マネジメント
しかも、拝殿の中も、おしゃれと言えば、おしゃれだけど、何か新興宗教っぽいような・・・(笑)。「大阪万博の会場デザインプロデューサー」を手がけた方のデザインだそうですが、太宰府天満宮じゃなかったら、たぶん、帰ったと思います(笑)。
(↑締めはたぶん、20年以上ぶりの屋台。地元の人は、なかなか、屋台は行かないんですよね。特に今は外国人観光客で満員御礼なので。)
さて、大阪万博繋がりというわけでもないのですが、かつて、評論家の竹村健一氏は、「マスコミが、芸能ネタやスキャンダル事件を執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が裏で必ず起きている」と言ったそうですが、思えば、最近の、ビッグモーターからのジャニーズの性被害問題と、まるで、竹村氏の言を地で行くようなマスコミの狂奔ぶり。もちろん、誤解の無いように言っておきますが、年端もいかないような少年への性加害など、言語道断、絶対に許されるべき話ではないでしょう。
が、その陰で、何かが起きていると考えたとき、まったく報道されなくなったニュースがあることに気づきます。それが、「円安」と「大阪万博」です。大阪万博も、海外パビリオンの出店?申請が、もうタイムリミットなのに、ほとんどない・・・という報道はされてましたが、結局、その後、どうなったんでしょうか?
こう言うと、「万博なんか行かんから関係ない」という人もいますが、もちろん、私が危惧するのは、そんな小さな話ではなく、世界が日本の経済破綻を時間の問題と思っているのではないかということです。
だって、民間企業ならともかく、国家なんてあんなでかいものが、インフレごときで出店を見合わせたりしないでしょう。
というと、これも、「単に万博はもう、役目を終えたと思われているだけだ」と言う人もあります。
(確かに、それは私も否定はしません。1970年の万博の時は、テーマパークなんて、ほとんど無かったわけで。)
でも、それは無いと思います。
あまりに、各国の足並みが揃いすぎているからです。
長くなってきたので、結論を言いますが、今の日本は、財政破綻寸前、かなり、危機的状況にあると思います。
現日銀総裁も、引き継いだのはいいけど、両手両足を縛られての複雑な舵取りを担わされているようなもので・・・、「円安に打つ手なし」ということも知られたくないのでは。
その意味では、黒田東彦前日銀総裁の罪は大きいと思いますよ。
安倍晋三首相(当時)の影響下にあったにせよ、黒田氏は経済のプロ。
かなりまずいことに手を出しているという認識はあったはず。
あまり言いたくないですが、「令和の井上準之助」みたいなことにならなければいいのだけど・・・と。
ただ、一つだけわからないのが、そうは言っても、日本は世界第三位の経済大国。
アメリカ国債たくさん持ってるし、破綻して、世界に及ぼす影響が小さいわけがないのに、なぜ、欧米は日本の無責任放漫財政を注意しようとしないのか。
中国の経済も日本とどっちが早いかという状態であることを考えれば、日本発の世界恐慌なんてことになりかねないわけで。
平太独白
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意外に気づかない織豊期の前後で変わった大名の姓
http://heitaroh.exblog.jp/30449766/
2023-09-27T07:06:00+09:00
2023-09-28T10:38:15+09:00
2023-09-27T15:36:31+09:00
heitaroh
歴史
さて、先般、ふと思ったのが、大名の姓。
守護大名と戦国大名という分け方で良いのかという気はしますが、江戸時代以降の大名の姓は、徳川さんを別にすれば、前田さん、黒田さん、山内さん、浅野さん、池田さんと、割と今も良くある姓が並んでいますよね。
でも、これらは、織豊期以降に大名となった姓が多く、それ以前の中世大名の姓となれば、武田さん、上杉さん、佐竹さん、今川さん、朝倉さん、大友さんと、決して、無いわけではないが、では、身近にいるかと言われれば、記憶にない姓ばかりです。
これは、もちろん、一つには、地域性ということもあるのでしょう。
(この辺は、決して、調べて言っているわけではないので、確証はありませんが、最上さんなどはおそらく、最上川に由来すると思われるので、東北に多い姓かと。)
さらに、北条さん、長宗我部さん、少弐さん、尼子さん、龍造寺さん、宇喜多さんなどは、今もあまり多いとは言えない姓だと思いますが、これらは、やはり、途中で滅んでしまったことが大きいのではないでしょうか。
で、室町幕府足利家と、それに連なる、三管四職と呼ばれる、斯波、細川、畠山と赤松、一色、京極、山名のうち、今日でも割と耳にするのは、細川さんのみ。
これは、島津、伊達、毛利同様、織豊期以前からの姓であると同時に、織豊期後も生き残ってしまった姓でもあるわけですね。
もし、彼らが途中で滅ぼされていたら、果たして、今ほど一般的な姓だったかという気はします。
ただ、その一方で、ちょっと不思議なのが、昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に代表される鎌倉幕府の有力御家人たちは、北条を別にすれば、安達、和田、三浦、梶原、中原、三善と、割と、今もある姓ですよね。
これは、おそらく、時代を経る中で、夜盗や土豪のような身分から台頭した者たちが、鎌倉幕府の部将たちの姓を名乗ったのではないかと推測されます。
適度な昔に滅んでしまっているだけに、割と、名前を詐称しやすかったと。
つまり、今、我々は、庶民も大名家も、同じ姓を名乗っていることに違和感を感じていませんが、実際には、織豊期を境に、姓にも下剋上があったということではないかと。
(↑義経必勝絵馬。義経最期の地で売ってても、何か、あまり、説得力ないような。)
こじつけだと言われるかもしれませんが、日本で一番多い、「佐藤」姓は、元々、左衛門佐・藤原氏の略ですし、源義経の忠臣で佐藤継信、忠信兄弟で知られるように、織豊期以前からある姓ですが、大名で佐藤というのはちょっと記憶にありません。
同じく、鈴木さん、高橋さん、田中さん、渡辺さん、伊藤さん、山本さん、中村さん、小林さんも、家臣には居ても、大名ではあまり聞いたことが無いような。
もちろん、私の乏しい知識の中だけで言っているだけの話ではあるのですが。
ちなみに、名字が多い割に、大名にもなっているのが、加藤清正、加藤嘉明の加藤さん。
こちらは、佐藤同様、加賀守・藤原家の略称ですが、どうやら、信長、秀吉の尾張国に加藤姓が多かったということのようですね。
平太独白
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小牧長久手の戦いとは教科書にしてもいい名人戦の形
http://heitaroh.exblog.jp/30425541/
2023-08-24T07:42:00+09:00
2023-09-01T11:51:49+09:00
2023-08-24T16:24:32+09:00
heitaroh
歴史
小牧長久手の戦いという物があります。
言わずと知れた織田信長の死後、羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康の間で戦われた戦いで、戦い自体は両軍睨み合いの後、秀吉軍が動いたところを家康が奇襲、家康の勝利となって、これが、後の家康の天下獲りの伏線となったと言われています。
ただ、この戦いは実際の戦闘だけではなく、勃発から決着までを含めた一連の流れで見ると、秀吉と家康、まさに名人戦の趣があります。
家康はこのとき、五カ国の大大名ですが、しかし、信長は天下統一目前だったわけですから、この時点で秀吉の領土はどの大名よりも圧倒的に大きく、おそらく黙っておいても家康はすり寄ってくると考えていたでしょう。
ところが、家康は、信長の次男、信雄から応援要請を受けると敢然と立ち上がります。
この時、家康は脂が乗り切った満41歳。
数々の難戦をくぐり抜けてきたことで、それなりに自信があったのでしょう。
まず、対立が始まると、両者は、それぞれに教科書にしていいくらいの巧みな外交戦を展開します。
両者がとった戦略は、「自らの背後を固め、相手の背後にいる勢力と結ぶ」というもの。
家康が背後の北条と同盟を結ぶと、秀吉は背後の毛利を手懐け、さらに、秀吉が北条を牽制すべく、その背後の佐竹と結べば、家康は同じく秀吉の背後の四国の長宗我部や紀州の根来や雑賀衆などと結ぶ。
北陸では、家康が秀吉嫌いの佐々成政と結べば、秀吉は盟友の前田利家を差し向ける・・・。
ただ、秀吉は数では勝っていても、織田家の後継者争いに忙殺されたため、家康との外交戦では立ち遅れます。
背後の長宗我部は毛利が牽制してくれたから動けなかったものの、紀州勢は秀吉の留守を狙って堺や大坂に攻め込み、建築中の大坂城を焼き払ったりしています。
これが秀吉には、何とも頭痛の種で、秀吉は家康と睨み合いが続く戦場から、こっそり抜けて大坂へ戻ることをたびたび、余儀なくされています。
しかし、秀吉は長久手で一敗地に塗れた後、一転、外交攻勢に出て家康を圧倒します。
まず、出兵の大義名分となっていた織田信雄と単独講和。
これで、大義名分を失った家康は撤兵せざるを得ず、家康はやむなく、次男を人質として差し出し、講和を結びます。
講和したことで家康が表立って動けないことを尻目に、秀吉はこの間に、紀州や長宗我部元親を制圧。
追い詰められた家康は北条との結びつきを強めざるを得ず、これに従おうとしない信州の真田昌幸を攻めて大敗。
秀吉にとっては、目障りなやつらを全部、取り除いたわけですから、前回と違い、今度は、もう、家康戦に専念できるわけです。
一方、家康の鋭敏な頭脳は、その辺を的確に把握、今度戦えば負ける・・・ことを実感していたでしょう。
しかし、家中には「勝ったのは俺たちじゃないか。和を乞いたいなら秀吉から頭を下げて来い!」という空気が充満しています。
武田信玄が言ったという「戦いは五分を上とすべし。五分は励みを生じ、七分で怠りが生じ、十分は驕りを生ず」で、長久手では徳川軍は勝ち過ぎたんですね。
つまり、家康は今度戦えば負けるとわかっているが、和を乞うことは家来が許さない。
進もうに進めない、退こうに退けない状態だったんですね。
家康は絶体絶命の窮地に追い込まれ、秀吉と戦ったことを後悔したでしょう。
ここで、家康は起死回生の一手を打ちます。
それが、重臣・石川数正の出奔です。
重臣中の重臣が秀吉の元へ走ったことは、徳川家の国家機密がすべて、秀吉に筒抜けになるということですから、家中は騒然となり、秀吉との講和を受け入れる素地ができます。
が、それで、危機が去ったわけではありません。
秀吉は小牧長久手の戦いで、家康の力量恐るべしということを認識したはず。
この点でも、徳川は勝ち過ぎたんですね。
禍の芽は断っておいた方が良い・・・と思い始めた矢先、そこへ、家康に天祐が味方します。
天正大地震の勃発です。
家康方にも被害はあったものの、むしろ、甚大な被害が出たのは秀吉方で、家康はこの時とばかり、支援物資を送ります。
やむなく、秀吉も軟化。
結局、家康は秀吉に臣従するという結末を迎える。
つまり、小牧長久手の戦いとは、戦闘は家康の勝ち、戦争は秀吉の勝ち・・・だったでしょうか。
平太独白
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プロ野球選手に欠けているのは「日本プロ野球史」というジャンル
http://heitaroh.exblog.jp/30370237/
2023-07-04T19:22:00+09:00
2023-07-05T11:10:39+09:00
2023-07-04T19:22:56+09:00
heitaroh
スポーツ
この点で思うのが、今のプロ野球選手に決定的に欠けている分野があります。
それが、「日本プロ野球史」というジャンルです。
(既に、変換さえしないという。)
「そんなもの学んだって、何の役にも立たん」と言われるかと思いますが、この点で、痛切に思うことがあります。
少し前のこと、たまたま見たテレビで「パームボール」についての特集を見たのですが、今、パームを投げる投手は二人しかいなくて、その二人も、コントロールしづらいという理由で、あまり、投げてないとのこと。
で、誰だったか忘れましたが、そのうち一人がゲストに出ていたのですが、録画コメントの最後に、「針の穴を通すコントロール」と呼ばれ、通算320勝をあげたレジェンド・小山正明翁(いやいや、未だに矍鑠としておられる)が出て、「僕の時は、ここで落ちる角度をコントロールしていた」と言ったら、現役投手が、なるほどという顔で、「へー」と言ったんですね。
ここで私が驚いたのは、小山さんの技術が今のプロ野球に継承されていないこと。
おそらく、小山さんに限ったことではなく、先人の技術がどこかの時点で断絶しているんですね。
さすがに、小山さんの現役時代は私も殆ど記憶には無いのですが、それでも、現役引退後は投手コーチとして、多くの投手を育てたはず・・・。
これは偏に、今の選手が参考にするのは、映像にしろ、自分が見たことがある選手に限られているという事で、文献や映像などから学ぶことをしていないはず。
おそらく、今の若い選手はイチローが言うことなら、喜んで耳を傾けるでしょうが、もう、野茂英雄も知らないのでは。
ただ、これは私もわかるんですよ。
私が若い頃は、テレビのプロ野球歴代ベストナイン選出番組には、戦前の選手など入ってましたから。
「そんなのいらんよ」と思ってましたよ。
であれば、今の選手に過去の名選手を研究しろと言っても、歴史の勉強をするようなもので、居眠りするだけ。
この点で言えば、各球団もいささか無策すぎるんですよ。
寮のリビングなどには、24時間、過去の名選手の映像を流すようにしておけば、そこはプロですから、たまたま、通りかかって、目に留まったら、「ん?今のは何だ?」くらいにはなるのでは。
ちなみに、かつて、智将・三原脩監督は、選手に「本を読みなさい」と言ったそうですが、小久保裕紀選手は本を読んでいると、「目が悪くなるから、読むなら現役を引退してから読んだら」と言われたとか。
でも、今は、どうせ、スマホでゲームしてるんでしょうから、もう、そのロジックは通用しませんよね。
であれば、もう一伸びに苦しんでいる選手、クビになるかもと危機感を持っている選手は、スマホゲームなんかしてないで、過去の名選手について書かれた本を読むべきでしょう。
八幡太郎源義家は凱旋帰国した際に、出迎えた公家から「好漢惜しむらくは兵法を知らず」と言われ、人々が公家の言葉に失笑冷笑する中、独り、教えを受けたといいます。
なかなか、一軍に定着できない選手、10勝の壁を超えられない投手などは、こういうのが、飛躍のきっかけになるかもしれないわけで。
ちなみに、栗山英樹監督は三原脩翁に師事しているそうで、毎度、新しい仕事に臨む前に、三原ノートをコピーして持って行くそうですが、その時々、与えられた役割によって、線を引く箇所が違うそうですね。
なるほど、国内リーグの監督と、WBCの監督では、「同じ監督」と言えないくらいに違う・・・と。
平太独白
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平成大河ドラマ「徳川慶喜」に見る雑多な種類の人間のカオス
http://heitaroh.exblog.jp/30341451/
2023-06-08T07:39:00+09:00
2023-06-08T20:55:39+09:00
2023-06-08T12:19:56+09:00
heitaroh
文学芸術
なぜ、ベスト3と言っておきながら、今まで購入してなかったかというと、DVDは総集編だからでして・・・。
放送当時、VHSビデオに全編録画したのですが、さすがに、今となっては・・・。
ということで、この際、総集編でも仕方ないかと。
(↑徳川慶喜墓所。)
というほどに、この作品は、全編見てこその作品なんですよ。
(他二つにも同じことは言えますが。徳川慶喜については特に。中でも、禁門の変で奮戦する慶喜が負傷するシーンは、一番の見せ場のはずなんですが、なぜか、総集編ではカットされているという・・・。他にカットする所あっただろうにと。)
なぜかと言えば、この作品は慶喜と大名や公家など、歴史上の有名人が絡むのではなく、江戸の町にいたであろう架空の庶民をも生き生きと描き出していたからです。
よく、「江戸」にノスタルジーを感じると言う方がいらっしゃいますが、当時の江戸は、一言で言うと、雑多な人間の寄せ集め。
牧歌的な都市をイメージしていると大間違いで、これをもっとも、相応しい言葉で表すなら、一言、「カオス(混沌)」です。
カオスとは、言うまでもなく、「無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、ちゃごちゃした状況」で、その意味では、むしろ、古代ローマに近かったでしょう。
共和制ローマを見て、今のアメリカやイギリスと同じに考えるのは大間違いで、この点は、以前、古代ローマの特殊性をドラマ「ROME」にみる1 治安編 に書いた通りです。
もっとも、江戸の場合、さすがに、古代ローマのように、それぞれの民族衣装に身を包んだ異民族は住んでませんが、それでも、時代劇に出てくる、小ぎれいな服着た町娘が闊歩する世界とは程遠い。
(おそらく、真冬でも服を着てない人もたくさんいたでしょう。)
当時の江戸の治安は時代劇に出てくるように、与力、同心、岡っ引きらによって守られていたと思ったら大間違いで、まず、彼らの収入は幕府からの給与は形だけで、庶民からの袖の下で潤っていたわけで・・・。
(与力同心には他に拝領屋敷の一部を人に貸すという不動産収入もあったようですが。)
さらに、世情を知らぬ幕閣のお偉いさんたちの思い付きか、「裏社会の人間に捜査を任せれば、蛇の道は蛇で効果的だろう」ということで、岡っ引きには裏社会の人間を任命。
となれば、彼らは何も面倒くさい犯罪捜査などする必要もなく、普通に歩いているだけの人たちを片端から逮捕、死刑台に送り込んだと。
そこへ、参勤交代で全国から集まってきた威張り返った武士に、旗本、ゴロツキに犯罪者・・・、それらが、みんな、普通に人斬り包丁持って、悪酔いする安い酒を飲んでいるわけで、となれば、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるのも当然の事態が起こります。
さらに、DV、レイプ、誘拐、詐欺、泥棒は当たり前。
それどころか、悪意は無くても、人が多すぎて、ちょっと目を離しただけが一生の生き別れになる。
さらにさらに、当時の死因の第一位は梅毒だと言われていますから、皮膚が溶けて骨が露出した者や、脳が冒されて発狂した者、それに加えて、不衛生な住環境からくる結核などの病気を患っている者数多。
とても、タイムスリップして、「また行きたい」とは思わないでしょう。
で、この徳川慶喜にも、江戸の町火消し新門辰五郎の一家(本人は実在でも、妻子のキャラは架空でしょう。)に、藤岡琢也演じる自称浪人。
(後半で、居酒屋で若い侍と喧嘩になり、「元高槻藩士・中山五郎左衛門」と名乗ったら、相手が突然、「父上、太郎でございます」と、心憎いばかりのまさかの展開でした(笑)。)
また、いい年こいて、嫁にも行かず、家業の手伝いもせず、三味線ばかり弾いている娘。
(後半で、オルガンという物を知り、オルガン習いたさのあまり、西洋人の家のメイドになり、オルガン修行を許されるや、「この子は天才だ」と。音楽が好きで好きでたまらないけど、許されなかった時代。最後は、オルガニストとなり、洋装で「パパ!ママ!」と実家に乗り込んできて、親はパニックになる(笑)。)
・・・、etc。
青森出身の映画監督・川島雄三は「大阪にはいろんな種類の人間がいる。青森には地主と小作人の二種類しかいない」と言いましたが、当時の江戸にも、とにかく、いろんな人間が物凄い密度でいたんでしょうね。
ちなみに、慶喜は家臣が「申し上げます!」とか言ってきても、「何だ」とか「どうした」なんて言わないんですね。
じっと黙っている。
最初から、『「どうした?」くらい聞いてくださいよ』などと言われる環境に育ってないんですね。
また、慶喜が入室してきて、敷居でつま先を打つ(だいぶ、わざとらしかったですが(笑)。)シーンがあったんですが、痛いのを我慢する慶喜に、必死で笑いをかみ殺す重臣たち。
当然、こんな演出部分は総集編ではすべてカットされてました。
平太独白
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