親愛なるアッティクスへ

この四周年シリーズですが、第一回は
近況、第二回は
ルーツ的な物・・・ときましたので、第三回以降は私の人格形成に至る物について、思い当たるところを少し触れてみたいと思います。
(
反面教師としてお使いくだされば幸甚です(笑)。)
それは、うろ覚えで恐縮なのですが、「男の人生なんてそんな大したものではない。たった
三つの物を持てればいい。一つは生涯を共にするに足る
伴侶であり、二つには遺児を託すに足る
友であり、三つめは教えを請うに足る
師である」というのがあります。
この点で、私には
決定的に欠けている物が一つあります。
それが、
「師」です。
前の二つはともかく、私は、生まれてこの方、「師」というものに巡り会ったことがありません。
無論、
能力で、私より上の方なら、もちろん、掃いて捨てるほど見てきました。
人格で、このような方でありたいと思う方もたくさん、おられました。
胆力だけなら、ほれぼれとするような方も存じ上げております。
しかし、いずれも、私が師と仰ぐ人ではありませんでした。
では、まず、師とは何か?
師に必要な物、それはやはり、第一に
弟子に
指導出来ることだと思います。
つまり、ただ、
人格者だ・・・というだけでは、師には当たらないと。
すなわち、知識、能力などで、弟子より
優れていることが
絶対条件です。
その上で、次に、大切なのが
信頼感だと思います。
いくら能力が高くとも、裏で
背任行為のようなことばかりやっているような人は、どれだけ気前良く奢ってもらっても、やはり、心底からの
尊敬はできないでしょう。
こういう物は、とかく、上からは見えにくくても、下からは実に良く見えるもので・・・。
ひとつには、そういう
高いレベルの
ステージへ立ったことがない・・・ということもあるのでしょうが、最近では、やはり、自分の
尖鋭化した性格が大きいのではないかと思うようになってきました。
ただ、そうは言っても、お世辞にも高い学識を持つ身でも無し、無論、迷いは多々有ります。
そんなときに、行くべき道をさっと指し示してくれる
「師」が欲しいと思ったことは何度もあります。
その意味では、
原 敬が病床の
陸奥宗光を見舞ったとき、今際の際でありながらも陸奥は
懇切に
指導し、教えを請うた原は病室を辞去して後、涙が止まらなかった・・・などという話を聞くと、本当に羨ましくてなりません。
お会いしたことはありませんが、その著書を通して謦咳に接したという意味では、私が師とも仰ぐ、
大橋武夫という人は、「人は本能的に
命令されることを嫌がる生き物だ。だが、
素晴らしく命令されたときには人は喜んで自分から従う」と言っておられましたが、何となく、私にはわからないでもないですね。
平太独白