親愛なるアッティクスへ
先日からの「ALWAYS」シリーズの続きですが、私的には、大体、昭和45年(1970年)頃、大阪万博の辺りから世の中がカラーになってきたように記憶してますね。
当時、小学校3年に上がってすぐに、初めて、母から、Tシャツなるものを着せられて、そのあまりの肌触りの良さに驚嘆したのを覚えておりますが、要はそういう物が割合、安価にて、庶民の手にも入る時代がやってきたということだったのでしょう。

それを裏付けるかのように、確か、
昭和43年頃のことだと思いますが
巨人の星という野球マンガの中で、主人公が父の現役時代の
スパイクを履いて巨人の
入団テストを受けに行ったとき、ライバルから、「この
物資豊富な時代に、あんなボロボロのスパイクを履いているとは・・・」と嘲笑されるというシーンがありました。
でも、私には
昭和44年(1969年)まで近所に住んでいた私の友人が、毎日、ボロボロの
グローブを大事に大事に磨いていたことを思い出しますね。
おそらく、親からやっとの思いで買ってもらったグローブだったんでしょう。
でも、そういう我が家も、誰かがどこからか拾ってきたような、汚いグローブでしたよ。
もっとも、我が家は家にグローブがあっただけ
マシな方だったんでしょう。
(それに比べて、私の愛用のグローブは今からちょうど30年前に入手した物なのですが、長年使い込んでいるから使いやすいのに、子供たちに
「これを使え」と言っても、「汚い」とか「ボロっちい」などと言って誰も、使いたがらないんです。)
でも、当時はそんなもんで、グローブといえば、以前も申し上げました話ですが、
昭和48年のプロ野球では、巨人の捕手だって、ひとつの
プロテクターを使い回しにしていたわけですし・・・。
今から考えれば、巨人の選手でも
プロテクターを使い回しにしていた時代なのに、一方では、
「物資豊富な時代」と言う・・・。
いかに、その前の時代が物がなかったかということなのでしょう。
この点で、以前もご紹介した元
西鉄ライオンズの強打者で、球界のご意見番である
豊田泰光氏がそのもっと前の時代である、氏の現役当時はプロといえども、満足な道具をふんだんに与えられるような環境にはなかったようで、それについてその著書の中で以下のように述べておられました。
『いまでは
副業禁止などといってうるさいのだろうが、私は
道具を得るため、オフに勝手に二軍選手を集めた
「日本代表」を編成し、
国際試合をしたこともあった。福岡市板付(現在の空港付近)に駐留している
米軍の相手をするのだ。対戦の報酬は
ステーキのごちそうと、こっちが勝ったら基地内の
用具室を開放してくれること。部屋にはソフトボールの道具が多かったが、たまにいいバットを調達できた。新しいグラブの感触を楽しむだけでもよかった。
今、用具事情は一変した。メジャーでも日本製バットが目につくし、グラブの性能も米国をしのいだ。
だが、それを使う側の力量はどうか。道具の進化で自分の技量を錯覚しないことだ。』
古き良き時代・・・でしょうが、それにしても、プロ野球選手が、勝手に国際試合とは・・・。
豊田さんというじーさんは
長生きしそうですねぇ(笑)。
平太独白
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