先般、NHKの歴史番組、「その時歴史が動いた」の中で、元西鉄ライオンズの大投手、稲尾和久氏の奮闘ぶりが採り上げられてましたが、その件で、今更ながらの続きです。
番組は、
昭和33年の
日本シリーズで、
西鉄が稲尾投手の連投に次ぐ連投で、
常勝巨人を「
3連敗の後の
4連勝」という
奇跡の逆転で破って、
三年連続日本一になる・・・という部分を中心に構成してありましたが、このとき、実は、相手方である巨人の
藤田元司投手も、稲尾投手と同じ
7試合中6試合に登板しているんですね。
まさしく、
エースの
意地だったんでしょう。
また、もうひとり、稲尾投手の前に立ち塞がった、巨人の新人、
長嶋茂雄選手との攻防についても述べてありましたが、実は、
稲尾対長嶋はこのシリーズの前にも一度、対戦したことがあったのだそうです。
それがその年の
オールスターで、ところが、そのときの捕手が、稲尾さんの宿敵、
野村克也現楽天監督だったそうで、稲尾さんは対戦相手の長嶋さんよりも、女房役である野村さんに
癖や
球質を盗まれないことに神経を使っていたそうで、従って、長嶋さんとの対決についてはまったく覚えていなかったのだとか(笑)。
それにしても、この番組中で言っていた、「長嶋茂雄という打者は
打つ瞬間にしか
気配を感じさせない特異な打者であった」という表現を聞いて、改めて、今の
イチローや、少し前の
落合博満さんなどよりも、あるいは前の時代の
大下 弘氏などの誰よりも
「天才」という表現が相応しい人物だったろうと思いましたね。
おそらく、西部の
ガンマン同士の
決闘の場にいれば、
無敵だったのではないでしょうか。
それを可能にしたのは、長嶋選手が極めて、特殊な「来た球を打てる」という能力を持っていたからでしょう。
この点は、稲尾投手の高校と西鉄の先輩である
河村英文投手が、後に
広島にトレードされた際に長嶋選手と対戦し、ツーストライクと追い込んでから、打たれるはずがない決め球の
シュートを投げたら、見事に打たれたので、どうして打たれたかわからない河村投手は、本人に聞いたところ、「いやぁ、気が付いたら打ってたんです」と答えた・・・という話があります。
このとき、稲尾さんもこれまでの打者とは違う、長嶋分析に頭を悩まし、
徹夜で考えて、ようやく、朝が白んできた頃に、「もしかして、深く考えずに
感性で打つタイプなのでは」ということに気づいた・・・と、生前、言っておられました。
で、その長嶋さんも、
昭和49年10月に
「巨人軍は永遠に不滅です!」の名文句と共に
引退したわけですが、先日も、10月だったからか、二度ほどBSで特集されていました。
ちなみに、昭和49年といえば、当時、
中学一年生だった私にとっても、やっぱり長嶋が引退した年なんですよね。
しかも、
東京ならまだしも、まだ、周囲には
西鉄ライオンズの
余韻が強烈に残っていた時代の
福岡の子供ですから、それほど、長嶋ファンでもなかった私なのですが、とにかく、それでも、この長嶋引退というのは結構、強烈な印象として残っています。
なぜか・・・、それは
長嶋引退試合が、行われたのは10月だったでしょうが、その余波はもの凄い物があり、2ヶ月後の翌
昭和50年の正月のテレビは
長嶋引退特番ばかりだったからでした・・・(笑)。
平太独白