親愛なるアッティクスへ
昨日の続きです。
プラザ合意以降の円高に伴い我々の暮らしを潤していった物価安ですが、ただ、同時にその物価安というのは、知らないうちに日本人が作り出していた質実な社会を冒していったという側面もあったようです。
かつて、ソニーの盛田昭夫氏がその著書、「メイド・イン・ジャパン」の中で、「日本は資源のリサイクルが世界一進んだ社会だ」というようなことを言っておられましたが、円高になってくると、もう、リサイクルして使うよりも海外から買ってきた方が安い・・・というようになりましたよね。
その最たる物が「紙」でしょう。
それまでは、古新聞が溜まると、「ちりがみ交換」の回収車が廻ってきて、それなりのトイレット・ペーパーと変えてくれましたが、今や、殆ど、見なくなってしまいました。
家庭から出る古新聞は焼却処分にして、海外の古新聞を買ってきた方が安くなってしまったんですよね。
で、その延長線上で、今日、驚くべきは、毎日、
拙宅の
郵便受けに入る
チラシの量です。
毎日毎日、読まれもしない
コミュニティ紙や
マンションのチラシに
ピンクチラシなど・・・、これでもかというくらい投函されています。
しかも、それらはそれなりに結構、
立派な紙質なんですよ。
そして、それが殆ど、読まれもせずに捨てられているわけですから、物が
タダ同然というのも考え物です。
これなどは、もし、このまま、紙の値段が高騰して行ったならば、こういう無駄遣いはできず、読まれる可能性もないところに無造作に投資するという、従来型の
非効率広告宣伝活動も見直されるでしょう。
その意味でいえば、食べ物もまた然り。
食糧自給率が低いといいながら、毎日、捨てられている
食料投棄率は異常なほどです。
その顕著な例が
卵でしょう。
「物価の優等生」と言われる卵ですが、これまでは一つしか欲しくない人でも、
6個パックでしたから、6個買わざるを得ず、つまり、残りの5個は捨てていたわけですよね。
(この点では、かつて、どこかの
清涼飲料水メーカーが消費者が飲みたい量に応じて選べるようにして販売したところ、逆に売り上げが
激減した・・・という話を思い出しました。つまり、それまでは、一口しかいらない人も、350mlを買って、一口だけ飲んで、後は捨てていたんですね。)
でもこれって、私的には
本末転倒のような気がします。
だから、卵を「投げつけることに使う」・・・などという人たちが出てくるわけで。
それが、今では、物価高とそれに伴う売り上げ減少に対応するため、1個売りするところも出始めた・・・とも聞きました。
そう考えれば、物価高というのはそれまで日本人が持っていた
質実な社会という物を取り戻させてくれる機会であるようにも思うのですが、如何でしょうか。
平太独白