一昨日の続きである。
緒方四十郎氏の大著にて、次に印象に残ったのは、公職追放解除がなったばかりの父、緒方竹虎に、新たに発足する保安庁長官就任の話が持ち上がったとき、社会人一年目の著者が真っ向からこれに反対したときの記述である。
曰く、「日本が独立国となる以上は、自衛の軍備を保有する必要があることは僕も認める。しかし、新しい軍隊は、かつてのそれと異なり、完全に国民、即ちその代表者としての国会のコントロールの下におかなければならない。従って、軍事を担当する国務大臣は必ず国会議員として、それ自身の地位についても国会及び国民にコントロールされる者でなければならない。もしかりに父が民主的でかつ有能な人物であって軍人を旨くおさえることができたとしても、それはたまたま人物に恵まれたまでのことであり、原則としては、国会議員が軍事を担当すべきだ。最初が一番大切なのだから、第一番目の保安相はこの原則論で行くべきだ」と。
この点は、大いに考えさせられる話である。
まず、著者は、「自衛についての軍備の保有」については、はっきりと、これを肯定している点である。
その上で、戦前までのようなことのないよう、シビリアン・コントロールについて言及しており、驚くべきは、学生に毛が生えた程度の若さで、ここまで、具体的な見識を持っていたということであろうか。
この点は、良い悪いではなく、また、あくまで、当時の所感であることには留意すべきだろうが、少なくとも、この後、この新時代を生きて行かねばならない、当時の若者がリアルタイムで持った所感として、何かしら、伝わってくるものが感じられる。
これに対して、父・竹虎は、熟慮の末に、保安相就任の決意を固めたが、結局、保安相就任は、本人の意に反して、その後、何ら進展のないまま、衆議院は解散に至ったことで、緒方竹虎は正式に自由党より出馬し当選した。
これにより、著者の指摘は杞憂に終わったが、これは、ただ、結果的にそうなっただけで、著者の指摘は十二分にもっともなことであったろう。
改めて、著者の見識の高さに敬意を表するばかりである。
ただ、著者の見識も、そこに至るまでに感じたのは、やはり、うらやむべくはその恵まれた人脈であろうか。
曾祖父は、
緒方洪庵と義兄弟の盟を結び緒方姓を名乗り、祖父は
適塾出身の
佐野常民に同行して
オーストリアに学び、帰国後、
内務省入省から山形県庁に勤務。
(ここで、竹虎が生まれている。)
4年後、
福岡県庁へ転勤、その後、
福岡県農工銀行頭取。
竹虎は、高校まで、福岡で学んでいるが、このときの学友に、東条内閣を批判して、割腹自殺を遂げた
中野正剛がいる。
その後、竹虎に息子の嫁の妹を妻に世話したのは、
観樹将軍と呼ばれた、
長州奇兵隊上がりの維新の元勲、
三浦梧楼。
つまり、三浦は、著者からすれば、義理の大伯父となるわけで、ついでに言えば、このときの仲人は、
頭山 満・・・。
それらの人脈から、
古島一雄、 吉田 茂などとの交流も普通に出てくる辺り、何とも羨ましいような環境であったといえ、その意味では、以前、読んだ
大久保利通の次男、
牧野伸顕伯の自伝を想起した。
平太独白