親愛なるアッティクスへ
昨日の続きです。
大橋武夫氏の著書の中にあったのは、戦前の中国の古老曰くの話は、あくまで、パーセンテージの話であり、少し、トリッキーな感もあるし、何より、人間という物は、「足りるということを知らない生き物」であるといえ、その意味では、相手が30%しか取らなければ、次回は、必ずや、25%に抑えようとしてくるであろうことを考えれば、諸手を挙げて賛成というわけにはいかないと思う。
(私も、相手のレベルによっては、紳士的に話をしてあげると、かえって、いい結果を生まないということを身を以て知っている。「ひと癖もふた癖もあるやつ」、「若造のくせに生意気なやつ」と思われないと、話が前に進まないことがあるのも、また、現実なのである。)
だが、話としては、「損して得取れ」という言葉もあるように、必ずしも、一概に否定するものでもないように思う。
実際、私の父は、昔、ある仕事で、それまで、その仕事の経験がなかったことから、
遠縁にあたる大手業者に、その仕事の遂行を依頼し、仕事の内容を見せてもらったことがあったところが、仕事が終わった後、かなり、割高な請求をされたらしく、後に人づてに聞いたところ、先方曰く、「こっちは仕事を教えてやっているんだ。それくらいもらって何が悪い」ということだったそうである。
確かに、その通りで、以後、父は、自力で、それらの仕事をこなしていったというから、そのとき、支払った以上のものを得ていたのだろうと思う。
しかし、私に言わせれば、この遠縁の業者社長さんも、ずいぶんと、
お人好しなことだと、嘆息の感がないでもない。
このとき、
良心的な対応をしてあげていれば、また、困った時には、仕事を頼んだのだろうが、以後、他社に頼んでも、ここには、一切、頼むことはなかったのである。
おそらく、先方にとっては、こちらの方が、かなり、高くついたと思われる。
この論でいえば、
アメリカという国は、まるで、底なしの
ブラックホールのように、
貪欲に、何もかもを呑み込もうとする傾向があるように思える。
だが、これは、ある意味、戦前の日本が、無邪気に、「領土を拡げたい」という意識を持っていたのと同じで、
「ただ、ひたすら、儲けたい・・・」というだけの話なのではないだろうか。
(大日本帝国の
領土拡張は、食えない農民に農地を与えるという側面もあっただろうが、私には、無邪気な、「まず、領土拡張有りき」だったように思える。)
そのうち続く・・・と言いたいところだが、
鉄は熱いうちに打て・・・、(現代風に、また、私の体験的に言うならば、
コンクリートは固まらないうちに枠に流し込め・・・だろうか。)という言葉もあることから、明日に続く・・・と思う。
平太独白