歴史的に見ても中国という国は、揺り返しがある国だと思います。
おまけに野党がないお国柄、世論というものをあまり気にしないでいい国です。
イギリスの政治家の言葉に「絶対王朝は絶対的に腐敗する」というのがあります。
従って、いいときは、もの凄い勢いで発展するのでしょうが、悪くなるときも救いようがないくらい悪くなるというのが私の考えです。
そこで例によって勝手な持論ですが、現代の中華人民共和国の成立過程と紀元前の前漢王朝の成立過程項羽と劉邦の話とが酷似していると思うのです。
秦の始皇帝亡き後、覇を競った両雄の話ですが、これを以下の通りに当てはめてみました。
(焼鳥屋のメニューの看板みたいでしょう(笑)。)
毛沢東=劉邦 蒋介石=項羽
日本軍=秦王朝 江青と4人組=呂后と呂一族
周恩来=張良 琳彪=韓信 劉少奇=膨越
鄧小平=陳平 華国峰=周勃 胡耀邦=晁錯 等々。
つまり
国共合作で秦王朝を追い払った後、両雄が覇権を争い始め、初め軍事力に勝る方が押していたが経済で世論の指示を得たほうが最終的に勝利した・・・という図式ですね。
むろん蒋介石は台湾海峡を渡り、国を二分したけれど、
項羽は河を渡らず自害したという違いは残りますが、しかし、当然といえば当然で、これは、規模が世界的になって
アメリカという超大国の介入を考えなければならなかったことの違いを考慮すれば、あながち的外れでもないと思います。
(アメリカに該当するのは
共和制ローマだと思いますが、こちらは当時、接触すらなかったわけで。)
ほかにも建国後の粛正
(文化大革命)も、権力者の嫁が強大な権限を握り残酷なことをしたという点も、その後、革命生き残りの元勲・陳平が国政立て直しに乗り出した際、周勃に倒させて自分は裏で実権を握ったところなども華国峰を利用した鄧小平とよく似てると思いませんか?
で、ここからが本題ですけど、
陳平以後の漢王朝はどうなったか・・・ですが、まず優秀な官僚による法治政治がしばらく続く。
呉楚七国の乱というのが起き、中央政府によって鎮圧されますが、これは、さしずめ、
天安門事件でしょうか。
(このとき、これまで、前漢王朝をリードしてきた宰相、
晁錯が失脚しますが、これも、
胡耀邦が失脚したことと恐ろしいほどに酷似しているかと。)
そして、ついに、第5代皇帝に
武帝という極めて
独裁色の強い皇帝を産み出すことになるのですが、この武帝こそ
軍部の人間ではないでしょうか。
つまりこうしてみてくるとしばらくは、
鄧小平の路線の元、官僚による近代化が進むが、ある程度安定期を迎え、地力も付いてきたとき、官僚による腐敗は進み、
軍部の台頭を許すことになる。
そして軍の権威を背景に独裁色を強め、拡張政策に出る。
もっとも、先述しましたように、この時代周辺に大国の存在はなく、北に
狂奴という軍事力のみの突出した国があったことから(さしずめ
ソ連か)、それを武帝は攻撃したわけですが、当時と今とでは
核抑止力の問題も違い、また、特に接点がなかった古代ローマに対し、接点があるアメリカの存在などの違いもあり、同じように論じるわけにはいかないとは重々、承知しております。
しかし、内部での権力闘争と言う観点でのみ見れば、大いに参考になると思いますが如何でしょうか?
平太独白