親愛なるアッティクスへ
毎年、8月になるとイヤと言うほど、死というものを見せられます。
特に明日は広島に原爆が投下された日です。
その原爆について、常々、疑問に思うことがあるのですが、なぜ、投下地は広島・長崎なんでしょうか?
大戦中、アメリカは日本に於ける報道管制、いわゆる大本営発表の実態を知っていたと言いますが、であれば、広島原爆投下後、どうして次が長崎だったのか、さらに理解に苦しみます。
(↑長崎の夕景です。)
投下目標は、公開されている資料によると、本来、「広島・
小倉・新潟または長崎の順」と明記されていたようです。
いずれも、戦争遂行に絶対に欠かせない
軍需工場や
軍事基地があったから・・・と言われていますが、でも、主目的は
「戦争の早期終結」の為だったんでしょう?
だとすると、広島・長崎でも小倉でも、すべて
遠すぎるんですよ。
たとえ大本営発表で矮小されて報道されなくとも、あんな東京から
離れたところに落としても、国民世論の早期の
戦争終結への盛り上がりには繋がらないからです。
この国は、今も昔も、すべて、東京で動いています。
「東京は日本を私物化している」と言っても過言くらいだと思います。
だとすれば、日本の戦意をくじき、
「戦争の早期終結」に持って行く為には、東京から目に見えるところに落とさないと意味がないですよ。
(その意味では、いつの時代も、東京に目を覚まさせる為には・・・。そう考えると、ペリーが長崎ではなく、浦賀に行ったことの意味がよくわかります。)
ソ連を牽制する意味があったとは言え、
トルーマンの政治感覚以前に、それを提案した実務者たちがどういうつもりだったのか、到底、理解できません。
さらに驚くべきは、広島・長崎の
次の原爆投下地が、実は
「東京」で決まっていたということです。
(その
投下地選定実務者グループの一員だった人や、その実行を下命されていた士官など、当時のそれを知る複数の人たちが、かなり、詳しく証言してましたから、それなりに、信頼できる話だと思います。)
が、だとすれば、一体、東京に落として、誰と
終戦交渉するつもりだったのでしょうか?
平太独白