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博多駅前史 その9 昭和 博多駅移転区画整理編 Ⅱ
親愛なるアッティクスへ

毎週土曜好例の自己満足シリーズです(笑)。

以前、どなたに聞いた話だったか忘れましたが、ある旧博多部の方が、遺産分けで、この人参町界隈の土地をもらったそうですが、その方は、「人参畑やらもらったばい。どげんするかいな・・・。」(訳:人参畑地区などをもらってしまった。どうしようか・・・。)と嘆くこと甚だしかったと言います。

つまり、これこそ、この「博多駅前史」の冒頭で述べましたように、この地域は、元々、川の河口が流れ込む入江のような場所だったことから、陸地となってからも、永く、すり鉢の底状の地形は変わらず(ちなみに、付近には「鉢の底川」なる、わかりやすい名前の川さえありました。現在のキャナルシティ前から、那珂川へ注いでいる道がそうです。)、湿地帯であり続けたようで、その為、私が子供の頃までは、大雨が降ればすぐに床下浸水になってしまうような土地であり・・・、つまり、あまり、人が住みたがらない、はっきり言えば、価値がない、二束三文の地域だったということです。

博多駅前史 その9 昭和 博多駅移転区画整理編 Ⅱ_e0027240_1148646.jpg(←鎌倉時代の博多絵図だそうです。中央上部分に見える半島の付け根辺りが、おそらく、当地付近だろうと思います。その隣に入江に川が二本注いでいるのがおわかりいただけると思いますが、それ以前は、この半島は、その横に見えているような島の一つだったかと・・・。)

で、そんなところへ、突然、博多駅がキタムラ弁護士・・・北村晴男 - Wikipedia「とんだところに北村大膳」は相当に年配の方でないとわからないだろうという親切心ですね(笑)。)ですから、となれば、あちらこちらで、醜い争いが起こらない方が不自然であり・・・。

昭和33年3月11日、「福岡都市計画博多駅地区土地区画整理事業」の認可が告示され、事は本格的に動き出したわけですが、それに併せて、人々の「欲」の方も本格化します(笑)。
まず、告示から3ヶ月後、博多駅促進農民評議会(そもそも、促進なのか反対なのかがわからないという(笑)。)が「反農民的な区画整理である」との声明を出し、区画整理に反対の立場を示します。
次いで、それから、3日後には噴飯ものの土地区画整理審議会委員選挙が行われています。
そして、これら、人々の欲望は、当然、飯盛り役区画整理局のお役人さんたちに向かい、当時、「博多駅事件」と呼ばれた一大疑獄事件へ発展していきます・・・。
ということで、まった来週~♪
                                  平太独白
by heitaroh | 2006-09-12 08:47 | 地域 | Trackback(1) | Comments(22)
Tracked from 自慢のマチ☆福岡 at 2006-11-21 16:56
タイトル : 美味しいものが多い!
私の住んでいる福岡自慢のブログです☆ ... more
Commented by kikan at 2006-09-23 15:42 x
はじめまして。お邪魔します。
大変興味深いお話、ワクワクします。
私は福岡の人間ですが今は東京に在住しております。
幼いころから福岡の地形(汀線)変遷に興味がありました。
この「鉢の底川」というキーワードは数年前まではヒットしませんでした。
確か「イキ椅子店」の下から博多川へそそぐそれは底が深い川でしたね。
(幼いころの記憶で川底は鉄錆のような色を呈しておりました)
小学生のころ、この鉢の底川は比恵川の痕跡なのではないか、と考えておりました。
この比恵川と房州堀との関連がややわからないんですね。

元来、冷泉ノ津に注いでいた比恵川を改悛し、北流させ、しかも房州堀とは
どんなっているんだろう、と長年疑問でした。
池田様は何如お考えですか?
これもディープな話題として(笑)

因みに私は昭和35年生まれです。
幼き日、一時期だけ住吉に住んでおりました。
そのころでしたね、博多駅の移転工事があったのは。
当時、管絃橋のサロンパスの(笑)塔の下には枕木で出来た冊がありました。
あと瓦町の二○加旅館(これもかつてはヒットしなかったのです、今はヒットしますよ!)
もありましたね・・。
Commented by へいたらう(管理人) at 2006-09-23 17:48 x
>kikanさん

初めまして!
そして、ようこそ、マニアの世界へ(笑)。

鉢の底川は、私の記憶では昔のカネボウプールの脇を流れていた細いどぶ川でした。
深さが深かったかどうかは覚えてませんね。
確か、幅1mくらいの何てことのないどぶ川でしたよ。
(違ってたらすみません(笑)。)

小学生の頃に、比恵川の痕跡を考えておられたとは凄いですね!
私の手許には、鎌倉時代、室町時代、江戸時代(これ以降は割と正確です。)明治、大正、昭和、平成の地図がありますが、これを見れば、「ああ、これがこれの・・・と大体、わかりますよ。
本当はココに出したいんですけど、色々、権利関係がうるさそうなので、上のようなモニュメントならいいかと思って出している次第です。
ちょうど、室町時代の割とよく整理された地図があるのですが、そこには那珂川に注ぐ元比恵川、同じく、その合流地点で交わる房州堀が描いてあります。
もし、福岡に帰られることがありましたら、金印が納められている福岡市博物館に行ってみられては如何でしょうか?
あそこには、その時代時代の地図が展示してあったと思いますが・・・。
Commented by kikan at 2006-09-24 11:44 x
鉢の底川、たぶん同じだと思います。
幼いころでしたので川幅も大きく感じたのかもしれません。
とにかくすり鉢状の底が深い川で水量は殆どなく、臭いもひどかったです。
この地図にみえる東南方向から博多川へ注ぐ川がそうです。
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/tosho/kindai/index.htm
当時、イキ椅子店はこの川を跨ぐ位置にありました。
今地図を見たところキャナルシティのおかげでもうわけが解らなくなっています(笑)
(現在の地図と比較してみると位置関係があいまいになっているかもです
ひょっとしたら上記の地図の川と私の記憶の鉢の底川は違うかも・・・)
Commented by kikan at 2006-09-24 11:45 x
房州堀と比恵川の関係ですが、仮に房州堀と石堂川開鑿を臼杵安房守(紹冊)ひとりがやったとすれば
(房州堀はもと大内家守護の時代からあったものを紹冊が修築したという説もありますので)
わざわざ房州堀なるものを掘らなくても当然石堂川に繋がる比恵川自体を
改悛、護岸して堀にすればいいんじゃないかなぁ?なんて考えたんです。

『石城志』所載の古図が印象的で房州堀が旧比恵川にかぶさっておりこれでわけが
解らなくなった感もありました(笑)
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/kinsei/H02.htm
写本であり地図自体、後世の想像図なのでしょう・・。

いやあ、今までこのようなお話に付き合ってくれる方がいなかったので楽しいです★
また参りますね(* ^ー゚)ノ
Commented by へいたらう(管理人) at 2006-09-25 10:56 x
>kikanさん

「イキ椅子店」・・・、正直言って、名前にはもの凄く聞き覚えがあるんですが、イマイチ、浮かんできません。
名前に聞き覚えがあると言っても、それほど、あやふやなものでもないようですので、おそらく、今でも、(あるいは、最近まで)店自体はあるのではないでしょうか?
川端商店街の中・・・?

鉢の底川は(臭いは酷かったですね(笑)。)、キャナルの横の道の流れであれば、おそらく、旧博多駅の方向から流れていたと思います。
ただ、私は拙宅付近が区画整理されたとき、まだ、幼稚園でしたし、旧下人参町でしたから、どちらかというと、この付近よりは300mくらい南になりますので、この川があったことは覚えておりますが、それがどこに繋がっていたかは覚えておりません。
ただ、拙宅付近にも、同様のどぶ川が二本流れておりましたから、おそらく、それらと何らかの連結はしていたと思います。
以前、調べたときは、結構、完璧に把握していたので、資料を引っ張り出せば、かなり、わかるとは思いますが。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 11:14 x
>>kikanさん

マニアの世界は奥が深いですね(笑)。
私も、なかなか、こういう話が出来る人がいなかったので、楽しませて頂いております。

房州堀ですが、まず、博多を盗賊などから防衛する為の簡易な堀であったと思いますので、洪水対策の為の「川の流れ変更」とは少し、趣が違ったのではないでしょうか?
おそらく、当時の土木技術では、洪水になったとき、堀の崩落を防げなかったと思います。
それに、両者は時代的にも違うわけで、となれば土木技術の進展でも違ったのではないでしょうか?

『石城志』所載の古図、拝見しましたが、確かにこれを見ると、わけがわからなくなりそうですね。
でも、今昔福博絵図という絵図を見ると、江戸期の博多川を延長していくと、今の合同庁舎の先当たりで石堂川に突き当たるので、私としては、それが流れを変えた名残なのかな・・・と思っていました。

房州堀と比恵川が重なったのは、時代によって、そういうこともあったのかもしれませんね。
うーん、ここで書くだけだと、どうしても、わかりにくいですね。
地図を前に、ここがこれで・・・と説明出来れば早いんでしょうが・・・。
Commented by kikan at 2006-09-25 15:59 x
お世話になっております。また参りました<(_ _)>
またもや長文カキコですみません。

房州堀修築と比恵川の件、ありがとうございます。
理解できました。
>でも、今昔福博絵図という絵図を見ると
うー!見たいです。webでは小さくて解りません・・。
神保町あたりで郷土史史料を一挙に買いあさろうかと思います(笑)
その博多川の延長とは例の管弦橋がかかった水車橋付近で博多川に合流
する川ですね。私はそれを比恵川の名残りをみてそれを「鉢の底川」と
勘違いしていました。

これは大発見でした。
私が認識していた「鉢の底川」はこの川だとばかり思っていました。
この川、つまり管弦橋が架かっていた川の名はお解かりになりますでしょうか?
web上で必死で調べたのですが解りませんでした。これが思うに旧比恵川の名残り
にあたるものと思います。
Commented by kikan at 2006-09-25 16:01 x
かつ面白いことにですね♪
明治期から大正期にかけての地図を見ますとこの管絃橋川(仮称)が房州堀と連結していた
ようです。研究者の方にとっては常識なのかもしれませんがこれはおろろきましたばい!
①(03)福博たより附図 福岡市全図 明治29年(1896)
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/tosho/kindai/chizu02a.jpg
①(04)最新実測福岡市街全図(裏面あり) 明治41年(1908)
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/tosho/kindai/chizu002a.jpg
①(08)最新実測福岡市街全図大正3年(1914)※鮮明ナリ
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/tosho/kindai/chizu06a.jpg
この管絃橋川(仮称)の正式名称をお教えください<(_ _)>
http://www.hopetour.net/natsukashi-fuk/fukuoka18.jpg
そして例の「鉢の底川」は下記の地図にある旧向島(住吉土手)あたりに注ぐ二本の川のいずれかだと考えます。
①(03)福博たより附図福岡市全図
①(08)最新実測福岡市街全図大正3年(1914)※鮮明ナリ
私的にはこれも大発見でした!
イキ椅子店と管絃橋川(仮称)との位置関係がまったく違い、ほかに川があったとしか思えない、と仔細に地図をみれば、なんとあるじゃないですか!(笑)
Commented by kikan at 2006-09-25 16:02 x
この川、地図上では
①(26)最新福岡市街及郊外地図(裏面あり) 昭和9年
http://www.lib.pref.fukuoka.jp/tosho/kindai/chizu003a.jpg
を最後に省略されたらしく(その後の「福岡市地図」は地形が概略描写されるため)
姿を消します。

イキ椅子店はこちらです。(http://qrl.jp/?236313)
店舗移転していないと仮定すれば(恐らくしていないと思います)
私が見た川はまさしくこれでした。
(実は鉢の底川、という名称もどこで見たのかさえ忘れているんです。
池田様はこの名称をどこでお知りになられましたか?)

>キャナルの横の道の流れであれば、おそらく、旧博多駅の方向から流れていたと思います。
おそらくこのあたりはこのような水路が数本あったのかもしれませんね。
Commented by kikan at 2006-09-25 16:02 x
で、もう一点。
これをご覧ください。

「博多往古図」 住吉社天龍池に潮入せる姿を示す。
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/kinsei/H07.jpg
この地図は明和2年以降の成立と推定されるもので往時を想像して描かれた図ですが、
住吉の天龍池に潮入が見られます。明和2年当時はこの池に北西方向から川が流入していたのを
元に描かれたとも推測できます。

そしてこの図。
鉢の底川傍流、天龍池に通じる。(明治43年地図)
http://www.hakata-kasaya.co.jp/natukasifukuhaku/img/map_meiji43.gif
また上記、①(03)福博たより附図福岡市全図 明治29年(1896)を拡大してご覧ください。
二枚を見るにどうも鉢の底川傍流が住吉天龍池に通じていた可能性を感じます。
鉢の底川傍流は果たしてもと天龍池潮入の名残りなりしか。
Commented by kikan at 2006-09-25 16:03 x
貝原の『筑前国続風土記』住吉社に

此社今は村中にあれど、百餘年前まで此社邊入海有て、斥(ひかた)
ありしとかや。數十年前老人有て、其若き時此地に猶干潟ありて、潮
みちし事を見覺しといへり。されば宗祇法師が筑前紀行にも、住吉の
松の海邊とかけり。今案ずるに、住吉の村より北なる田、いにしへは
潮入し干かたなりしが、年々にうづもれて漸く田と成けるならし。

はこの鉢の底川、および傍流付近の湿地帯を示していると推測されます。
かつその湿地帯を数本の水路が走り、そのひとつが潮入の伝説を残す
住吉天龍池に近世まで通じていた、と推測しました。
以上愚考でした。

長文カキコ、本当に申し訳ございません。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 16:21 x
>kikanさん

>管弦橋が架かっていた川の名

えーっと・・・。
川の名前までわかるかどうかはわかりませんが、以前、何かの資料で読んだような記憶があります。
一度、帰省の際にでも当事務所にお越し戴けると、資料や、地図などがあるので、話が早いんですけどね・・・。

私が鉢の底川の名前を知ったのは、十年ほど前、博多駅土地区画整理誌という本を読んだときです。
それまで、川の存在は知っては居ましたが、名も無きどぶ川としか思っておりませんでした。
「あー、あの川ぁ・・・。」という感じでしたね。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 16:28 x
>kikanさん

むむむ・・・。
何だか私も混乱してきました(笑)。

イキ椅子店は、看板に見覚えはあるのですが、すぐに思い出せません。
場所はわかりましたので、今度、画像に納めてきますね(笑)。

位置を見て、初めて、意味・・・というか意図がわかりました。
私は上流の方のことを言っておられるものだとばかり思ってましたので・・・。
鉢の底川は、まさしく、この部分です。
完全に合致しております。ご安心下さい(笑)。

>でも、今昔福博絵図という絵図を見ると

・・・ですが、これは私の言い方が悪かったようで(地図を見て話せば早いんですけどね(笑)。今度、新宿までくらい出て参りましょうか?(笑)。)、博多川が中洲のところで、カクンと曲がってるんで、これを曲がらずに、そのまま延長すれば石堂川に接続する・・・というので、おそらく、昔はこう流れていたのではないか・・・、つまり、博多川というのは、石堂川の末端の名残ではないか・・・ということを言いたかった次第で、必ずしも、そこに旧比恵川の名残が見えているという意味ではありませんでした。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 16:33 x
>kikanさん

この大正時代の地図を見ていると、確かに房州堀がまだ、綺麗に残ってますね。
私も混乱してきました。
しばし、脳を冷やさなければ・・・(笑)。

で、その大正時代の地図ですが、住吉神社と農事試験場の間に道路のように描かれているモノがありますが、これは水路ではないでしょうか?
以前、住吉神社の宮司さんから、お話を伺ったときには、以前は、ここに川が流れていたと仰ってました。
で、「私が子供の頃までは綺麗な川だったが、上流に地下足袋の工場(今の九州松下電器だそうです。)が出来て、それでいっぺんに川が真っ黒になった」そうです。
あるいは、川べりが歩けたのかもしれませんが、私の子供の時の記憶でも、この地図はちとおかしいです。
農事試験場は、大正時代には、間違いなく、こんなに巨大ではなかったはずです。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 16:46 x
>kikanさん

今、私の手許に昭和36年の航空写真があるのですが、それには、貴台様が旧比恵川の名残ではないかと言われる川がしっかりと博多川に注いでおります。
で、この川は・・・、わかりました。
うちの近く、今もある博多駅前三丁目の旧道に私が子供の頃はどぶ川がながれており、(今も、そのまま、暗渠になっているはずですが、)旧比恵川と思われるものは、これに接続しており、そのまま、美野島方面へ上がっていっておりました。
ただ、おそらく、農業用水として、縦横無尽に網の目のように水路が張り巡らされていたはずですから、それがそのまま、旧比恵川の流れなのかはわかりません。
昭和23年の航空写真を見ても、その旧道は一直線に走っておりますから、御笠川に合流するよりも、塩原付近でまた、那珂川に接続していると考えた方がいいようです。
Commented by へいたらう at 2006-09-25 17:03 x
>kikanさん

鉢の底川傍流が住吉天龍池に通じていた可能性・・・。
確かにそのように見えますね。
もっとも、明治29年の地図には、肝心の天竜池が写っておりませんが(笑)。
この天竜池に繋がる水路は、何だか人口的に残されたという気がしますね。
だとすれば、周囲がどんどん、陸地になっていく中でも、この水路は残されたとも考えられ、元々、鉢の底川とはこれのことだったとも考えられますよね。
その跡は、おそらく、イキ椅子店の前の道か、あるいは、もう一本、那珂川よりの道・・・だったのでは。

貝原益軒の時代と言うことは、大体、1700年頃ですよね。
その100余年前ということは、戦国末期、織豊時代・・・その当時まで、付近はまだ海岸近く・・・だったとはイマイチ、ピンときませんが(笑)。。
Commented by kikan at 2006-09-25 23:07 x
>その100余年前ということは、戦国末期、織豊時代・・・その当時まで、
>付近はまだ海岸近く・・・だったとはイマイチ、ピンときませんが(笑)。。

福岡城築城当時の地図を見たことがございましたが、恐らく当時、中洲がまだ痩せていて
(春吉も単なる州か干潟であり)しかも中島町付近ギリギリまで汀線が来ていて、この中洲が単に
冷泉ノ津の中島と認識されていたとすれば住吉土手は海岸と見てもいいのかもしれませんね。

このあたり、つまり灘の川橋の春吉の干潟(笑)で子供の頃私はよくゴカイを取りましたが、
潮の干満があり、みるみる満ちてくる体験がありました。
この灘の川橋付近の分岐している膨らみを「海」と見立てることさえ可能でした。
もし住吉土手がなだらかな海辺なら今さえ潮の満ち干があるはずです。


鉢の底川というあのドブ川がこの天龍池の潮入の遺跡であるとしたらもうあれですよ、
感動モノです。
やや電波ががりますが(笑)この天龍池がイザナギの禊庭であるという住吉社の伝説を
かぶせるとそこはかとないロマンと川を汚し池を汚してしまったなぁーという反省と(笑)
を感じます。
Commented by kikan at 2006-09-25 23:22 x
>昭和23年の航空写真を見ても、その旧道は一直線に走っておりますから、
>御笠川に合流するよりも、塩原付近でまた、那珂川に接続していると考えた方がいいようです。

その管弦橋川(仮称)が那珂川に至る地図、私も見たことがございました。
比恵川を近世の川に比定するのはやや無理なようですねぇ・・。
文化9年の福岡城下町・博多・近隣古図
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/kochizu/minagi.htm
を見ておりましたら住吉近辺にこのような書き込みがありました。

小金川 今ハ田と成ル

むかしハ比恵川此所ニ流(れ)那珂川ニ入(る)。
臼杵安房守袖ノ湊へ堀通す。
此川を聖福寺十景ニ小金川と称す。

つまり昔このあたりに小金川という川があったがもう田んぼになってしまった。
これが比恵川の元の流れである・・。

しかし櫛田社、住吉社の位置関係からもどうも私にはこの管弦橋川(仮称)が引っかかってしまいます。

あ、このブログは博多駅の話題でした。話題違いの話で申し訳ありません。
Commented by kikan at 2006-09-26 01:41 x
これをご覧ください。
管弦橋川(仮称)が鉢の底川であるという記事がありました。
では我々がディスカッションしたあのドブ川は一体・・・。
もうど~なってるの(笑)

「房州堀は戦国期の産物か」
http://www.chiikishi.jp/hp/tayori/tayori87.html
Commented by へいたらう at 2006-09-26 13:21 x
>kikanさん

私も、その頃の地図は見た覚えがありますね。
でも、すぐには思い出せませんが・・・。

私は、小学校の頃、柳橋の下辺りで泳いでました。
当時からしっかり汚かったですけど(笑)。
住吉の川縁の旅館に泊まった母子が我々を見て、「あんな汚い連中」などと言ってましたが、我々に言わせれば、「おまえら、住吉の旅館に泊まっておいて偉そうなこと言うな!」と(笑)。
Commented by へいたらう at 2006-09-26 13:38 x
>kikanさん

確かに!
あの天竜池が、まるで大濠みたいに、こういう池の水の循環方式になっていたとは、ロマンを感じますね。
思えば、上記の博多古図でも住吉神社横の入江に注ぎ込む二本の川は大雨が降れば氾濫したと言いますが、でも、そうでないときは、さぞかし、綺麗な風景だったでしょうね。
出来る物なら、一度、その景色を眺めてみたい物だと思います。

そう言えば、住吉神社の神主さんが言ってましたが、川は今の小柳通り(わかりますよね?)を通っていたので、その流れを変更して、今の流れにしたと言ってました。
私もうろ覚えですので、その川が那珂川だったのか、比恵川だったのかそれとも、かつて、住吉神社の中を通っていた川なのかは定かではないのですが、その方の話では、小川程度の川ではなかったように記憶しております。
となれば・・・。

>文化9年の福岡城下町・博多・近隣古図

これです!
うちにあるのは、これを現代の地図に重ね、かなり、詳細に復刻したものです。
(基本はこの図です。)
書き込みもすべてそのままあります。
Commented by へいたらう at 2006-09-26 13:39 x
>kikanさん

川の話は、どうしても、ここでするのは無理がありますね。
地図を前に指さしながら、ここがこれで・・・と話すのであれば、実感があるのですが・・・。

>「房州堀は戦国期の産物か」

こんなのがあるんですね。
電気ビルでしたら、タッタ今まで近くにいたのに・・・。
ここで、小雑誌を買ってくればよかったですね。
他にもあったかもしれないし・・・。

ちなみに、四十川ですが、明治15年当時の小字一覧が手許にあるのですが、それをみると、四十川というのはないですが、「四十」並びに「上四十」というのが在ります。
ちなみに、以前、このシリーズで書いておりますが、現博多駅前の大部分は春吉になりますので、当地の小字も春吉の一部として記載されております。
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by 池田平太郎
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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