親愛なるアッティクスへ
貴方は海外に行かれるとき、どうやって行かれますか?
現代日本では、まず大半の方が飛行機で行かれるのではないかと思います。
私は以前、博多港から韓国の釜山まで玄界灘を船で行ったことがあるのですが(ちなみに、博多港は日本一の国際旅客港だそうです。まあ、そりゃそうでしょうね。東京や大阪に船で出入りする人も少ないでしょうから・・・。)、その間、窓外に拡がる景色は、驚くことに突起物は壱岐と対馬(の付近)だけで、そこ以外では、島影はおろか、しがみつく岩すらなく、そこには、ひたすら海と空の二種類の色しか存在しなかったんです。
「
陸海空と言いながら、ひたすら、陸がない空と海だけ・・・、海・空・海・空・海・・・」
そこまで考えて、私はハッとしました。
「あ、
弘法大師・空海の
「空海」とはここから来たんだ・・・」と。
空海は実際、留学僧として大陸に渡る際、同様に船上の人となった経歴があります。
私が乗った、この、わずか数時間の船旅でも、その見渡す限り
「空」「海」という風景は、
地面という
「依って立つ足場」が必ずしも絶対では無いということを思い知らしめると同時に、自らの
無力さ、
非力さを改めて感じさせてくれました。
ましてや、空海の当時は、私が乗ったような
ジェットホイールなどあるはずもなく、彼は何日もこの「空と海」だけの
寄る辺ない風景を眺めていたに相違有りません。
そう考えると、彼が自らを
空海と名乗ったのが、わからないでもないように思えました。
秀才と呼ばれ、
留学僧にまで選ばれたこれまでのことなど、何の根拠もない儚い夢物語のように思えたのではないでしょうか?
もっとも、空海が行ったのはこの
博多~壱岐~対馬~朝鮮半島というコースではなく、博多から沿岸部をなぞりながら
福江(五島列島)へ行き、そこから直接、
東シナ海を横切り、直接、中国へ行くというコースでしたが・・・。
(最短コースですが、逆に、難破の確率は遥かに高くなります。おまけに、時期は中国側の都合に合わせたから航海に適していない時期に渡らねばならなかった・・・と。その意味では、死刑台の上に10日間くらい立つような感覚でしょうか。)
彼が、いつの時代から空海と名乗っていたのか、宗教などにはとんと理解のない私には、知るよしもないことですが、なぜか、そう強く実感しました。
平太独白