「ミスター・プロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため死去と。

本日は、大相撲で史上最多の優勝45度を誇る元横綱・白鵬の宮城野親方(40)の日本相撲協会退職について書こうかと思っていたのですが、さすがに、このニュースの前には吹っ飛びましたね・・・。
朝、テレビのニュース速報で知ったのですが、思わず、「え⁉」って声を上げてしまいました。
NHKも速報だけでなく、9時のニュースの5分前だったのに、わざわざ番組を中断して、このためだけにアナウンサーが報じましたから、異例の対応だとは言えるでしょう。
で、長嶋さんと言えば、何十年経っても、今もセットで名前が出てくるのが、王貞治福岡ソフトバンクホークス球団会長の名。
(私が物心ついて最初に知った野球選手が「王と長嶋」でした。もちろん、2~3歳くらいでしたから、ただ名前を知っているだけで、野球のルールなど知る由もなく。つまりは、それほどに・・・、文字通りの・・・、「子供でも知っている存在」だったわけですね。)

(↑兄と慕った名優・
佐野周二と共に。言わずと知れた、
関口宏翁の父ですね。)
で、長嶋さんは私にとっては親の世代の人になるんですが、まず、昭和32年、巨人に入るときの契約金が1,800万円。
これがどういう数字だったかと言えば、当時、同世代だった人の回想には、少なからず、「俺といくつも違わないやつが、1,800万円ももらった。それに引き換え、この俺は・・・」と出てきますから、とにかく、衝撃的な額だったようです。
日本がまだ、貧しかった時代、おそらく、うちの親も同じことを思ったのではないでしょうか。
(ちなみに、長嶋さんにはいろいろ、伝説がありますが、このときの契約金をどこに預けたかを忘れてしまったというのは、本当らしく、これには、さすがに、長嶋さんも焦ったようです(笑)。)
で、入団後の活躍を端的に言い表しているのが、豊田泰光翁の「長嶋が入ってきて、プロ野球(のイメージ)が白黒からカラーになった」という言葉かと。
(↑後に監督として、V9を達成する川上哲治も、当時は「打撃の神様」と呼ばれた強打者であった。)
その後、昭和49年に引退するまでの活躍は周知の通りですが、それだけに、引退後の昭和50年の正月は、テレビは「長嶋引退」の特番だらけでしたね。
おかげで、金田正一監督率いるロッテオリオンズの日本一が見事に吹っ飛んだ・・・と。
最後に、その金田投手との有名な初対決、4打席4三振についてですが、このとき、マウンドで投げていたカネやんは、マウンドまで聞こえる空振りの音に戦慄。
また、ベンチで見ていた広岡達朗翁は、デビュー戦での連続三振でありながら、最後までフルスイングでまったく当てに行こうしない姿勢に瞠目。
そして、遠く大阪球場で試合中だった野村克也翁は、「長嶋の第一打席、三振でした」の報を聞き、「見逃しでしょ」と言ったら、「いえ、空振りです」との答えに、思わず、「あいつ、振ったのか!」と驚愕したと。
名人は名人を知る。合掌。
平太独白
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