3月。おかげさまで、拙ブログもとうとう、20周年!となってしまいました。

(↑シリーズ恒例、「道」です。)
正直、当初は、こんなに長く続けているなど、まったく、想定しておらず・・・。
まあ、実際にはいつの頃からか、ただ、惰性でダラダラ続けているだけの状態になってしまいましたが、それでも、継続は力なり。
吾ながら、よくこんなに続けてきたよな・・・と思っております。
(↑運転中、ラジオで矢沢永吉の曲がかかった瞬間、止まった信号。思わず、「マジかよ!」って思いました。本当の話です。おめでたい話なので盛ってません(笑)。)
さて、昭和31年の雑誌の中に、「黒田鍋島両藩が背振山領界争いで、有名なる鎌田左文字の刀を戦争中、西新町の医師の宅で拝見したが、行方不明になつてゐるらしい」(ママ)という一文があります。
私も多少、詳しいつもりなんですが、その話は初見で、いろいろ、調べてみましたが、どれだけ探しても、「有名なる」はずの鎌田左文字は出てこない。
まさしく、誰もが知ってる話と油断してると、すぐに歴史の行間に埋没するという好例かと。
また、同じく、昭和の古書に「狸穴式の路地」という一文が出てくるのですが、これも、どれだけ検索しても出てくるのは、東京の麻布狸穴町ばかり。
明治生まれにとっては、「狸穴」というのは、わざわざ、説明がいるものではなかったんでしょうが、今や、そもそも、狸がどういう巣穴を掘るのかすら知っている人は少ないわけで。
(↑昭和の昔を思い起こさせるような。昔はこんな感じで、バラックに裸電球がポツンポツンでした。思わず、涙が出そうな風景でした。)
先日、中国の古鎮老街について書かれた物を読みましたが、「中国という国は歴史がある国ですが、歴史に理解がある国ではない」んですね。
実利が伴わなければ、平気で壊してしまうし、実利が伴った場合でも、現物は壊して、その後に観光客向けの綺麗な、つまり、似て非なるものを建ててしまう。(秦の始皇帝誕生の地というのが、最近まで邯鄲に残っていたそうですが、ショッピングモールが建ってしまったという話も聞きました。勘弁してくれよと思いますが、日本も平気でマンションにしてしまいますからねぇ。毎度思うことですが、博物館なんて東洋の発想では絶対に出てこなかったでしょうね。)
つまり、こういう物は、残していく努力をしなければ残らない・・・ということですね。
平太独白
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