今年の大河ドラマ「べらぼう」。半裸の女性の遺体を遺棄するシーンなんかあったそうですね。
もう、第一話から早くも、飛ばし見していたもので、そのシーンを見ていないのですが、ちょっと思ったのが、『作者は江戸の「吉原」を現代の「歌舞伎町」のようなものと思っておられるのではないか?』ということです。
これについて触れる前に、まず、トロイの遺跡を発掘したことで知られるハインリッヒ・シュリーマンは幕末の日本にも来ており、この辺のことを書いています。
「貧しい親が年端も行かぬ娘を何年か売春宿に売り渡すことは、法律で認められている。 契約期間が切れたら取り戻すことができるし、さらに数年契約を更新することも可能である。この売買契約にあたって、親たちは、ちょうどわれわれヨーロッパ人が娘を何年か良家に行儀見習いに出すときに感じる程度の傷みしか感じない。なぜなら売春婦は、日本では、社会的身分としてかならずしも恥辱とか不名誉とかを伴うものではなく、他の職業とくらべてなんら見劣りすることのない、まっとうな生活手段とみなされているからである。娼家を出て正妻の地位につくこともあれば、花魁(おいらん)あるいは芸者の年季を勤めあげたあと、生家に戻って結婚することも、ごく普通におこなわれる」。
確かに、そういう一面もあるのでしょう。
「金持ちの親父に見受けされたのは可哀そう」と言ったところで、当時はそもそも、自由恋愛の方がレアケースだったわけで。
また、シュリーマンは、『日本でもっとも大きくて有名な寺の本堂に「おいらん」の肖像画が飾られている事実。(中略)他国では、人々は娼婦を憐れみ容認してはいるが、その身分は卑しく恥ずかしいものとされている。だから私も、今の今まで、日本人が「おいらん」を尊い職業と考えていようとは夢にも思わなかった。ところが、日本人は、他の国々では卑しく恥ずかしいものと考えている彼女らを、崇めさえしているのだ。そのありさまを目のあたりにしてそれは私には前代未聞の途方もない逆説のように思われ、長い間、娼婦を神格化した絵の前に呆然と立ちすくんだ』とも言っています。
これは、おそらく、「義娼」と呼ばれるような、歌舞伎などに描かれることで何らかのストーリー性を持った遊女のことで、遊女と名が付けば、誰でも肖像画になって、信仰の対象になったわけではなかったでしょう。
ただ、花魁が浮世絵などに描かれることで、ファッションリーダー的存在であったことも事実。
が、そうは言っても、所詮、旅行者。「苦界」の実態を正確に記し得たとは言えないでしょう。
実は本件は、少し前に著書にしたためたので、少し詳しいんですよ。

まず、
江戸においては、幕府公認の遊廓は吉原だけだが、吉原は値段は高いし、煩わしい仕来りも多い。結果、庶民の足は非公認の私娼街である岡場所へと流れる。
(岡場所の「岡」は「非正規」という意味。したがって、正規の吉原は「本場所」。)
結果、岡場所の繁盛は吉原には歓迎できる事態では無いから、吉原は幕府へ岡場所の取締りを要請する。
結果、摘発された遊女たちは縛られた上に髪に値札をつけられ、次の「飼い主」が決まるまで道端で待機させられる。
(この光景は、さすがに同時代人の目にも異様に映ったという。)
結果、彼女たちは吉原の各遊郭へと払い下げられる。
結果、吉原では一種の「遊女デフレ」とも言うべき、在庫過剰現象が起きる。
こうなれば、遊女が一人死んだところで、代りはいくらでもいる。
結果、その待遇は売春以前に、食事も満足に与えられないほどに劣悪極まりないものとなる。
そもそも、「年季は最長十年」と呼ばれたが、実際には、自身が売られた時の代金は元より、自分が使う営業用の着物や髪飾りから化粧品代まで、様々に本人の負担となっており、
借金は簡単には減らない仕掛けになっており。つまり、自由の身となるためには、金持ちの客に「身請け」されるか、「死ぬ」かの二つしか無かったのである。
(後者の例で言えば、中絶の失敗から、梅毒などの性病、劣悪な環境による結核やチフスに、果ては心中なども珍しいことではなかったが、前者の例も、容姿に自信があるほんの一握りだけで、決して多くはなかっただろう。)
では、身請けもされず、死ぬこともならず、時間だけが経って、「商品」としての価値が落ちた者はどうなるか?
選択肢としてあるのは、「商品」としての「値段」を下げることだけである。
彼女たちは、梅毒で鼻が取れるなど、不自由な身体になりながらも、なおも、厚塗りしたお白粉で皺を隠し、筵を一枚抱え、川縁や辻々に立ったが、そのような状態では、もはや、値段はあってないようなもの。
俳人・小林一茶は、「木がらしや二十四文の遊女小屋」と詠んで、夜なきそば一杯の値段より少し高いだけの額で自らを売る女たちを憐れんでいる。
では、一般の女性は普通の生活が営めたかと言うと、これも、そう単純な話でもない。生活苦というものが背景にある以上、背に腹は代えられぬで、結果、家に居ながらにして口コミで客を取るようになるのである。
最初は抵抗があっても、やってみれば、手早くまとまった金が入る。
中には、夫や父母も了解済みのこともあっただろう。
食えなくて困るのは、家族も一緒だからである。
江戸は現代日本人が考えるほど優しい世界ではなかった。
平太独白
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