昭和23年(1948年)5月、建国に反発したアラブ諸国は雪崩を打ってイスラエルに攻め込んだ。第一次中東戦争の勃発である。
この戦いで、当初、劣勢を伝えられたイスラエル軍は意外な健闘を見せ、逆に敵軍を撃退、建国を既成事実とすることに成功する。
このとき、イスラエルの勝利に大きく貢献したのがモーシェ・ダヤンである。
ダヤンは、このとき、第二次世界大戦中の戦傷が元で片目を失明し、隻眼となっていたが、そのダヤン将軍が、建国後、早い時点で外遊先に選んだのが日本であった。
日本中のマスコミは、空港に降り立った彼の姿を見て、「独眼竜ダヤン」と持てはやしたが、ダヤンは浮足立つこともなく、精力的に会談を重ねて回った相手がいる。
旧帝国軍人である。
彼が知ろうとしたもの。
それこそが、「なぜ、日本は負けたのか?」ということであった。(日本では信長も秀吉も勝った戦いばかりが持てはやされ、負けた相手は馬鹿者扱いされる傾向があるが、欧米では負けた戦いにこそ学ぶべきものがあると言われる。事実、ナポレオンで有名なのは「ワーテルロー」などの負けた戦いなのである。)
その結果、ダヤンが得た結論、それこそが、「国土をいたずらに大きくすることの愚」であった。
戦前の日本人は無邪気なまでに国土拡張に狂奔したが、小国であればこそ、周辺諸国も眉をそばだてなくとも済むのである。
もし、イスラエルが周辺諸国を併呑し続け、かつてのオスマントルコのような大国になってしまうような勢いを見せ始めたならば、近隣諸国はもとより、アメリカ、ソ連も対応が変わってきただろう。
つまり、この、日本を反面教師とした不拡大方針こそが、イスラエルの国是として、その後の広大なシナイ半島などの占領地返還に繋がったと言えるのだろうが、ところが、そのイスラエルも、気が付けば、結局、帝国日本と同じ轍を踏んでいるようである。
イスラエルとパレスチナ問題の本質は宗教問題ではなく、土地問題だと言うが、どのような国家も一旦、血を流して奪い取った領土を無償で返還することに快く思わない者が出るもの。
すなわち、日本が日清日露で勝ちすぎたように、イスラエルも4度の中東戦争で勝ちすぎたのである。
ダヤンは、その後、第三次中東戦争の直前に国防相に任命され、昭和48年(1973年)の第四次中東戦争でも、再び国防相として戦争指導にあたるも、作戦の準備不足などの不手際を批判され辞任。ベギン政権の外相を務めたが、意見対立によりに辞任、2年後の昭和56年(1981年)、没している。
果たして、現下のイスラエル人は泉下のダヤンの言に聞く耳を貸すのだろうか。
日本の轍を踏まないためにも、一度、原点に立ち返ってみる必要があるように思えてならないのだが。
平太独白