私にとっての大河ドラマのベスト3と言えば、昭和の「花神」、平成の「徳川慶喜」、令和の「鎌倉殿の十三人」・・・だとは、かねてより、申し述べていたことですが、先日、思い立って、モッくん(本木雅弘)の徳川慶喜のDVDを購入しました。なぜ、ベスト3と言っておきながら、今まで購入してなかったかというと、DVDは総集編だからでして・・・。
放送当時、VHSビデオに全編録画したのですが、さすがに、今となっては・・・。
ということで、この際、総集編でも仕方ないかと。
(↑徳川慶喜墓所。)
というほどに、この作品は、全編見てこその作品なんですよ。
(他二つにも同じことは言えますが。徳川慶喜については特に。中でも、禁門の変で奮戦する慶喜が負傷するシーンは、一番の見せ場のはずなんですが、なぜか、総集編ではカットされているという・・・。他にカットする所あっただろうにと。)
なぜかと言えば、この作品は慶喜と大名や公家など、歴史上の有名人が絡むのではなく、江戸の町にいたであろう架空の庶民をも生き生きと描き出していたからです。
よく、「江戸」にノスタルジーを感じると言う方がいらっしゃいますが、当時の江戸は、一言で言うと、雑多な人間の寄せ集め。 牧歌的な都市をイメージしていると大間違いで、これをもっとも、相応しい言葉で表すなら、一言、「カオス(混沌)」です。
カオスとは、言うまでもなく、「無秩序で、さまざまな要素が入り乱れ、ちゃごちゃした状況」で、その意味では、むしろ、古代ローマに近かったでしょう。
もっとも、江戸の場合、さすがに、古代ローマのように、それぞれの民族衣装に身を包んだ異民族は住んでませんが、それでも、時代劇に出てくる、小ぎれいな服着た町娘が闊歩する世界とは程遠い。
(おそらく、真冬でも服を着てない人もたくさんいたでしょう。)
当時の江戸の治安は時代劇に出てくるように、与力、同心、岡っ引きらによって守られていたと思ったら大間違いで、まず、彼らの収入は幕府からの給与は形だけで、庶民からの袖の下で潤っていたわけで・・・。
(与力同心には他に拝領屋敷の一部を人に貸すという不動産収入もあったようですが。)
さらに、世情を知らぬ幕閣のお偉いさんたちの思い付きか、「裏社会の人間に捜査を任せれば、蛇の道は蛇で効果的だろう」ということで、岡っ引きには裏社会の人間を任命。
となれば、彼らは何も面倒くさい犯罪捜査などする必要もなく、普通に歩いているだけの人たちを片端から逮捕、死刑台に送り込んだと。
そこへ、参勤交代で全国から集まってきた威張り返った武士に、旗本、ゴロツキに犯罪者・・・、それらが、みんな、普通に人斬り包丁持って、悪酔いする安い酒を飲んでいるわけで、となれば、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるのも当然の事態が起こります。
さらに、DV、レイプ、誘拐、詐欺、泥棒は当たり前。
それどころか、悪意は無くても、人が多すぎて、ちょっと目を離しただけが一生の生き別れになる。
さらにさらに、当時の死因の第一位は梅毒だと言われていますから、皮膚が溶けて骨が露出した者や、脳が冒されて発狂した者、それに加えて、不衛生な住環境からくる結核などの病気を患っている者数多。
とても、タイムスリップして、「また行きたい」とは思わないでしょう。
で、この徳川慶喜にも、江戸の町火消し新門辰五郎の一家(本人は実在でも、妻子のキャラは架空でしょう。)に、藤岡琢也演じる自称浪人。
(後半で、居酒屋で若い侍と喧嘩になり、「元高槻藩士・中山五郎左衛門」と名乗ったら、相手が突然、「父上、太郎でございます」と、心憎いばかりのまさかの展開でした(笑)。)
また、いい年こいて、嫁にも行かず、家業の手伝いもせず、三味線ばかり弾いている娘。
(後半で、オルガンという物を知り、オルガン習いたさのあまり、西洋人の家のメイドになり、オルガン修行を許されるや、「この子は天才だ」と。音楽が好きで好きでたまらないけど、許されなかった時代。最後は、オルガニストとなり、洋装で「パパ!ママ!」と実家に乗り込んできて、親はパニックになる(笑)。)
・・・、etc。
青森出身の映画監督・川島雄三は「大阪にはいろんな種類の人間がいる。青森には地主と小作人の二種類しかいない」と言いましたが、当時の江戸にも、とにかく、いろんな人間が物凄い密度でいたんでしょうね。
ちなみに、慶喜は家臣が「申し上げます!」とか言ってきても、「何だ」とか「どうした」なんて言わないんですね。
じっと黙っている。
最初から、『「どうした?」くらい聞いてくださいよ』などと言われる環境に育ってないんですね。
また、慶喜が入室してきて、敷居でつま先を打つ(だいぶ、わざとらしかったですが(笑)。)シーンがあったんですが、痛いのを我慢する慶喜に、必死で笑いをかみ殺す重臣たち。
当然、こんな演出部分は総集編ではすべてカットされてました。
平太独白