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菅田義経に敬意を表しての壇ノ浦合戦愚考
今週の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」菅田将暉くんの源義経の演技、特に、最後の、北条時政から「『経験も無いのに自信も無かったら何も出来ない』とあなたは言ったが、自信をつけるのに何が必要か、それは経験じゃ。まだまだこれから」と言われたときの立ち去り際の表情は、もう、最高でしたね。
一瞬の表情だけで、これほどまでに、惹きつける俳優もそう記憶にないですよ。

もっとも、実際には鎌倉殿(源頼朝)の後ろ盾として影響力を強めたい北条氏にとって、義経失脚は歓迎する事態だったわけで(私は少なからぬ部分、時政の暗躍があったと思っています。)、それほど、温かい言葉をかけたようにも思えませんが。
(功績を上げ過ぎた将軍が排除されるという構図は、古代ギリシャ・ローマや、春秋戦国の昔からあるわけで。)
で、今回は菅田義経に敬意を表し、壇之浦合戦について述べてみたいと思います。
菅田義経に敬意を表しての壇ノ浦合戦愚考_e0027240_11510624.jpg
壇ノ浦の戦いとは、関ケ原、鳥羽伏見と並び、日本三大会戦の一つに数えられる日本史に残る一大戦闘ですが、先日、NHKで最新の研究結果をやってましたよね。
これ見て思ったのが、やはり、平安末期というのは、中世と古代との境目で、まだ、わからないことだらけなんだなということ。

これまでの、「東向き潮流に乗った平氏軍が会戦当初は勢いに乗って攻め立てたが、苦境に立った義経が本来は違反である漕ぎ手の射殺を命じたことで、攻撃が停滞。その間に潮流が変わり、源氏が逆襲に転じた」という単純なものではなく、「壇ノ浦付近では複雑な潮流が渦巻いており、平氏船団が漕ぎ手を失って漂う間に、九州側陸地に流れ着いてしまい、源範頼率いる源氏陸上部隊の矢の射程距離に入ってしまった」というものでした。
なるほど、それで間違いないんでしょうね。
(ちなみに、最近の表記では「平家と源氏」とされますが、本来、平家には源家、源氏には平氏であるはず。何でかなあと思っていたら、人から、「平家物語と源氏物語から来てるんじゃない」と言われ、なるほどと。なので、私は「源氏」には「平氏」で通したいと思います。)
菅田義経に敬意を表しての壇ノ浦合戦愚考_e0027240_16075397.jpg
ただ、どの程度、源氏側にこの辺の潮流まで含め、総合的に考えた上での、陸海協調作戦があったのかはいささか疑問です。
まず、義経と範頼は兄弟とはいえ、あまり、しっくりいっていたようでもありません。
範頼はいつも本隊の主将として、敵主力を引き受け、苦労して戦いながらも、美味しい所は全部、義経に持って行かれたことで、面白くない感情はあったでしょう。
事実、九州側平氏軍基地を攻略し、平氏を下関の彦島に押し込めたところで、義経派遣を知り、頼朝に抗議しています。

菅田義経に敬意を表しての壇ノ浦合戦愚考_e0027240_12330452.jpg
(↑九州側の渡海地点、芦屋鹿島城より見た海浜。もちろん、今は別に漁港があるのだけど、地形は変わっているはずで、当時はこういう浜へ乗りつけていたのかも。ちなみに、渡海最短距離の関門海峡は流れが速くて複雑。後年の大内、毛利の大軍も、関門海峡を渡ることはせず、迂回して、この芦屋から上陸、撤退しています。)

そして、何より、電信設備が無い時代、互いに協調作戦をとることも、それほど簡単でもなかったでしょう。
もし、ある程度、出来ていたのなら、それを実施、いや、考慮したこと自体が源氏の最大の勝因だったでしょうが、おそらくは、協調意図などはなく、バラバラに戦っているうちに、たまたま、源氏側に良い形となったというものだったと思います。
戦争に限らず、人のやることは案外、そんなもんです。

一方、平氏方は範頼に九州から叩き出され、彦島に逼塞を余儀なくされてた時点で、もう、滅亡は決定的となっており、そのため、壇ノ浦では、本来、非戦闘員であるはずの安徳天皇を始め、平清盛夫人なども、戦場へ出て来ており、これが、三種の神器ともども、入水に繋がったというのが、これまでの私の認識でした。
この点は、義経も、誤算だったでしょうね。
菅田義経に敬意を表しての壇ノ浦合戦愚考_e0027240_12310031.jpg
(↑彦島の高台から望む関門橋。この位置からだと、源氏軍の襲来は見えないわけで、おそらく、途中の山から、手旗信号なり、狼煙なりで知ったのでしょうが、私が思うのは、なぜ、関門海峡のこちらがわで待ち受けなかったかなということ。関門海峡は通るだけで、かなり、漕ぎ手に熟練が求められるし、狭い所から出てくるものを広い所で待ち受けるというのが、地の利を活かした戦術だったはず。)

                             平太独白

by heitaroh | 2022-05-17 06:47 | 歴史 | Trackback | Comments(4)
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-05-17 15:59
「平氏」と「平家」の表記についてですが、私も以前は貴兄と同じ疑問を抱いてブログでも「平氏」で通していたのですが、歴史家さんの著書なんかでも「源氏」に対して「平家」と書いてあったりするので、調べてみると、「平氏」は桓武平氏全部を表すのに対し、「平家」は、平清盛を中心とする朝廷に仕えた伊勢平氏の一族だけのことを指すのだとか。
たしかに、「平氏」と言ってしまえば、北条や三浦や千葉ら坂東武者も平氏ですから、ややこしくなるので、大河ドラマのレビューでは「平家」で統一することにしました。
一方、じゃあ、源氏はどうなの?ってことになりますが、清和源氏全体を「源氏」といい、頼朝ら河内源氏の一族を「源家」と呼ぶかといえば、呼ばないようです。
その理由はわかりませんが、源氏は保元・平治の乱で負けて全国に散らばってしまったため、清盛一家のようなファミリーとならず、「源家」という呼び方は生まれなかったのだろう、と。
なので、平家でも平氏でもどっちでも間違いではないようですが、「平家と源氏」と言ったほうが、清盛ファミリーに限定されるのでわかりやすいかと思って、私も今回の大河レビューから「平家」にしました。
Commented by sakanoueno-kumo at 2022-05-17 16:22
NHKの壇ノ浦の戦いの検証、わたしも観ました。
たしかに、説得力がありましたね。
ただ、潮流と合戦の関係については、大正時代のえら~い学者さんが解いた説なので、昭和の時代までは逆らえずにずっと通説となっていたそうですが、そもそも当時の一級史料には潮流の話は記されておらず、現在では潮流説は否定されているようです。
源氏軍の本隊はあくまで範頼軍ですから、テレビで検証していたように最終的には陸からの遠矢で決着が着いたのかもしれませんが、おっしゃるように、その作戦を範頼と義経が共有していたかといえば疑問ですね。
歴史家の呉座勇一氏は、『平家物語』でも『吾妻鏡』でも、義経軍の方が平家軍よりも船の数がはるかに多く、単純に戦力で上回ったからと解かれています。
加えて、義経は屋島攻略後、塩飽諸島、厳島と瀬戸内海の制海権をほとんど掌握して補給路を断っており、また、おっしゃるように範頼が中国地方から九州に渡海して陸上を制圧した結果、平家は彦島に孤立状態となっており、戦う前から勝敗はついていた。
だから、本来、三種の神器と安徳天皇を取り戻すためには、ここで一旦、講和に持ち込むべきだったでしょう。
だけど、政治がわからない義経は独断で攻めちゃった。
陸で見ていた範頼は、「あ~あ・・・やりやがった」って思ってたんじゃないでしょうか?
Commented by heitaroh at 2022-05-17 17:36
> sakanoueno-kumoさん 
そーなんですか!
そういえば、以前、聞いたような気もしますが、すっかり忘れてました。
でも、「武田氏」といえば、傘下にいろいろな武将を包含する武田王国全体で、「武田家」はその中の信玄直属の家を指すとは聞いたことがあったのですが、でも、これって、近年になっての便宜上の分類ですよね?
源平に限っては、それとはまた別の話なんでしょうが。
Commented by heitaroh at 2022-05-17 17:57
> sakanoueno-kumoさん
なるほど。
確かに、原題でも潮の流れに乗るか、逆らうかで、随分と燃料代が違うと言いますが、潮に乗ったからと言って、陸上の戦いと違い、突っ込んでいくスピードが速くなるだけで、イコール有利とまでは言い切れませんよね。
その意味では、今回の説のように、同じ潮流関与説でも、義経によって、漕ぎ手を射殺され、操舵不能になった平家方(御説に従います(笑)。)が源氏軍が展開する陸地の方に向かって、流されていったということだったんでしょう。
確かに、平家は範頼に九州から追い出された時点で、一族だけのわずかな人数になっていたのでしょうから、あるいは、その戦力差は明らかな開きがあったかと。
だから、安徳天皇も時子も皆、自決覚悟で戦場に来ていたと。
ちなみに、本来、平家方だった瀬戸内の海賊は、清盛により、既得権益をはく奪されたことから、反平家に回っており、こういう点も平家は不運でしたね。
平家方も御座船が見えた時点で、源氏軍も無理して仕掛けてくるまいという読みがあったのかもしれませんが、そこも、義経は見事に空気を読みませんでしたね(笑)。
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。

by 池田平太郎
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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