まず、バイデンはアフガン撤退が遅れて批判されたから、ウクライナでは早くから退避を勧告。
しかし、ロシア軍は一向に動かず、このままだとまた、先走り過ぎたと批判を受ける。
そこで、不介入を早々と表明し、「キエフも2日で落ちる」と発表。
これでその気になったロシアは侵攻を開始し、バイデンの支持率は上昇。
ボケたプーチンも危険だが、自分の支持率のことしか考えていないバイデンも・・・。
ちなみに、ゼレンスキー大統領がアメリカ議会でオンライン演説した時、9.11と並んで真珠湾を引き合いに出したことに、私は違和感を覚えました。
もしかして、「ルーズベルトが日本を真珠湾攻撃に踏み切らせたように、バイデンがプーチンを侵攻に踏み切らせたんだから、ちゃんと責任とれよ」と遠回しに言っていた・・・というのは、いくら何でもうがちすぎですよね。
さて、そのロシアですが、私は早い時点で、プーチンはおかしいと思いました。
そもそも、攻め込んだ時点で「え?!」と思ったのですが、次に首を傾げたのが、プーチンほどの人物だったら、当然、気が付かないはずはないことをやっていないこと。
それが、「勝利の基準宣言」です。
嘘でもいいから、「親露二ヶ国の独立確保が目的。それが達成できれば、我々の勝利だ」と言っておくべきで、最近になって、そう言い始めましたが、これではいかにも、戦況が思わしくなくなって後退したような印象を内部に与えてしまいます。
以前も、私は、平太郎独白録「アジアには王様が必要」の中で言いましたが、ガキ大将は強いから理不尽なことをされても誰も文句が言えないわけです。
それが、隣村のガキ大将のヒト睨みの前に、何も言えなかったりすると、いきなり、威信は地に落ちる。
それを端的に表しているのが、蒙古の使者を斬った鎌倉幕府とペリーの要求を受け入れた江戸幕府の対応の差です。
鎌倉幕府執権は、威信の低下は防げたものの、世界帝国の侵攻を招き、幕府は残ったが日本が滅びる瀬戸際に追い込まれた。
対して、江戸幕府は、至って理性的な対応をしたのでしょうが、それが弱腰と映り、途端に、薩長などという、それまで影も形もなかった反幕勢力の跋扈を許し、結局、倒幕に至るわけです。
そしてこの公式は、北朝鮮やプーチンなど、現代の独裁者にも当てはまります。彼らは、間違っても、内弁慶だということを自国民に知られてはならない。
話を戻しましょう。今のプーチンを見ていると、豊臣秀吉の晩年と大差ないんだろうなと感じます。
そう考えると、ウクライナ戦争と言うのは文禄慶長の役と同じ構図の物だろうと。
ただ、述べてきたような背景があれば、文禄慶長の役も、結局、秀吉が死ぬまで講和がならなかったように、停戦協定は簡単ではないと思います。
プーチンとしては、大勝利以外に和平はあり得ません。
もし、欧米の圧力に負けて撤退したなどということになれば、江戸幕府同様、政権が持たないからです。
政権崩壊で自らの生命にも危険が及ぶとなったとき、専制君主と名がつく人がどうするか?
かつて、ヒトラーがそうだったように、国民を、いや、地球を道連れにしようとするのは、私からすれば、当然すぎるほどに当然の選択で、これをやらなかったのは、唯一、日本の徳川慶喜の他に知りません。
ただ、敢えて批判を恐れずに言えば、ウクライナと日露戦争の違いは、日露戦争のときは戦場となったのは満州の荒野でしたが、ウクライナが戦っているのは自国の中だということです。
だからこそ、ウクライナは世界の同情を勝ち得たのでしょうが、現実には、ロシア軍が撤退したところで、賠償金を得られる可能性は低く、国土の荒廃は半端じゃない。
いや、荒廃した国土は戻ることはあっても、失われた命は戻ってこない。
果たして、この、危険な隣人に屈しないというウクライナの選択は正しかったのか?もっと、他の選択肢もあったんじゃないか?という気もしなくもありません。
ただ、と言って、いささかでもロシアが利益を得ての撤退講和ということになれば、中国に誤ったメッセージを送ることになるのは、日本の安全保障上、とても危険なことであり、となれば、解決策はただ一つ。
ロシアは無条件撤退、プーチンは生命を保証した上で、悠々自適の老後を送らせてやることです。
ちなみに、第二次世界大戦後、戦争は何だかだ言って、アメリカとロシアが交互にやってて、中国は好戦的に見えて、案外に、中越戦争、インド、ソ連との紛争などの局地戦のみ。
長くなりましたので、この件はまた、後日。
平太独白