平岡円四郎という人がいます。最後の将軍・徳川慶喜の腹心で、あの、渋沢栄一をスカウトした人ですが、栄一曰く、「余りに前途が見え過ぎて、とかく他人のさき回りばかりを為すことになるから、自然、他人に嫌われ、非業の最期を遂げた」と。
これを具体的に言うと、同じく栄一の、水戸天狗党の乱の首謀者として、非業の死を遂げた藤田小四郎(慶喜の父、斉昭の腹心・藤田東湖の子)評があります。
「私より問を発せぬうちに、早や私が聞こうとしておった条項を察知し、チャンと先廻りをして一々並べ挙げ、しかじかと詳細に説明弁解した」と。
小栗上野介、江藤新平然り、切れすぎるがゆえの非業の死。
ただ、これは、私にはわかるんですよ。 と言っても、私の頭脳が彼ら並みに鋭敏ということではなく、むしろその逆。
こういうときには、いつも、「俺のような性格の者が、その場で気が付いて、一々、糾弾していたら、とっくに刺されているよ」と思うようにしています。
ところで、「頭が良い」とは何か?
この点を、田中角栄は「頭の良さとは記憶力である」と喝破しました。
が、それだと、こういう「その場で気付かない」ことが説明できないんですね。
私も記憶していないわけではないんですよ。
ただ、目の前で起こっている事態と、その記憶を関連付ける神経が不足しているんですね。
(↑渋沢敬三邸宅跡。)
この点で、栄一の孫・渋沢敬三にはまた別の話があります。
終戦直後、不当な小学校取り壊し命令を受けた校長が相談に来た際、その場で、行政に説明会開催を要求すると同時に、保護者会を開き、保護者側の意思の統一を確認するように指示。
その上で、「とにかく僕に任せなさい。ムシロ旗立てて反対運動などするんじゃないよ」と。
これも、当たり前のように見えて実は周到な判断で、保護者側の意思も統一しておかねばならないんですね。
それを怠ると、説明会で訳もなく激高する人が出てきて、保護者側に温度差が生じ、相手に乗ぜられてしまう。
で、当日、特に激高する人もなく、説明会は淡々と終了。
すると、敬三は直後に、「学校にある地域財産をすべて書き出せ」と指示。
学校は公立でも、プールやピアノなどは地域が金を出した物だったそうで、これに、「行政は勝手に処分できない」という意見を添えて、当時、泣く子も黙る存在だった占領軍GHQに提出。
結果、取り壊しの話は立ち消えになったと。
これも、「何だ。結局、GHQ人脈を利用しただけじゃないか。だったら、面倒くさいことしなくても・・・」と思われそうですが、これは、たとえ、絶対権力のGHQであっても、結局、やっているのは人ですから、大義名分・・・、すなわち、GHQが受け入れやすい形にして持って行ったほうが、向こうも受け入れやすいんですね。
その上で、人脈というものが生きてくるわけで。
打つ手打つ手がすべて的確で、かつ、見落としがない。
ここにも、敬三の祖父譲りの「頭の良さ」が見えてくるでしょうか。
平太独白