今、世上はアメリカ大統領選挙で一色ですね。バイデンが勝利宣言をする場合、絶対に言わなければならない一言があります。
それは、「トランプ大統領のこれまでの貢献に感謝する。絶対に弾劾はすることはない。してはならない」と。
退任後、首を獲られることを宣言されている権力者くらい危険なものはありませんよ。
そのことは、シリアの現状がよく示しているはず。
法廷闘争ならまだしも、もし、アメリカで内乱など始まれば、その経済的、軍事的混乱は、世界大戦の導火線に火をつけることにもなりかねません。
まあ、トランプが勝てば勝ったで、また頭が痛い4年間になるのでしょうが。
さて、実は先日、まだ暑いころだったのですが、念願の千早城に行ってきました。
千早城といえば、楠木正成が籠城するくらいだから、さぞかしアクセス悪いんだろうなと、長年、遠巻きに見ていただけだったのですが、覚悟して行ったものの、入り口まで行ってしまえば案外に拍子抜けでした。
まあ、鎌倉幕府軍は京都から歩いて行軍してきたわけでしょうから、我々、現代人と同じように考えるべきではないのでしょうが、そこまで考えてふと思いました。 何でここだったんだ?と。
(↑以前、どこかでも同様の看板を見た気が。東京スカイツリーの完成以来、これが一つの基準となっているようです。)
そもそも、メディアもない時代、どうして、楠木正成がここで反旗を翻したとわかったんだろ。
こういう場合、一番いいのは、源頼朝の挙兵の時のように、敵の出先機関を襲撃することですよ。
できれば、そのまま、代官の首をあげてしまう。
そうすれば、敵としても威信にかかわるから、無視はできなくなる・・・。
しかし、楠木正成がそれをした形跡はない。
(あるのかもしれないけど。実は楠木正成のことはあまり、それほど知りません。)
であれば、凋落気味の鎌倉幕府としては、あまりに遠方で堅固な城だと「捨て置け」で見て見ぬふりを決め込むかもしれません。
かと言って、兵力が寡少である以上、京都の近くまで出撃すれば、全滅の可能性さえある。
ここはやはり、何としても、敵にここまで来てもらわなければならない。
だからこその砦が赤坂城だったわけですね。
求心力が低下している鎌倉幕府としては、威信を示し、士気を上げるにはちょうどいい相手だったと。
つまり、赤坂城は幕府軍をおびき寄せるための餌だったと。
幕府軍は見事にそれに引っかかった。
赤坂城で敗退することも、計算のうちだったんじゃないでしょうか。
勝ったことで味をしめた幕府軍は、次の千早城に攻めかかかり、ここで戦線は膠着状態に陥るわけですが、正成としては、もし、千早城も落ちたら、さらに次・・・とどんどん、金剛山のほうへとひっぱりあげていくつもりだったのではないかと。
まあ、そこはそう正成の思うとおりに、整然と展開したわけではないでしょうが、当時は、兵農分離前ですから、戦闘は冬に行われたはずで、前線が奥へ奥へと行けば行くほど、兵糧の補給も困難になったはず・・・ではないかと。
で、最後にこれ(↓)
最寄りの富田林駅で降りたら、これ。
「何?」と思って、店の人に聞いたら、「あれはPL学園の塔です。ここは裏の丘からずっとPL学園が持ってますから」と。
PL学園といえば、大阪とは知ってましたが、てっきり、大阪市内だとばかり。
ガウディみたけりゃ、わざわざ、スペインまで行かずともここで見れるじゃないと。
平太独白