2005年3月に拙ブログを始めて以来、ついに15年目!に突入しました。
これまで何度も申し上げてきましたように、「今日から!」と一期を切って始めたわけではないので、正直、いつから始めたかわからなくなっておりますが、いずれにせよ、始めたときは、私もまだ40代半ば・・・。
否も応もなく、「若かった」ってことを認識させられます。
(私にとっては、高田純次さんが「3,3,30代のグロンサン♪」なんて歌っていたのは、それほど、昔のことでもないんですが(笑)。)
(↑周年は毎年、「道」シリーズで統一しているのですが、今年の道は深いですよぉ。博多のお寺の山門の手前と奥で道の角度が違っているのがおわかりになりますか?かつては、手前の参道に直角に道が出ていたのですが、戦国時代に群雄の獲り合いから焦土と化してしまったことから、九州平定後、豊臣秀吉による、「太閤町割り」という復興の区画整理が為されました。つまり、山門の外の道はそのときに出来た道で、それ以前の道とは、これだけ角度がずれているってわけですね。)
さて、戦国繋がりというわけで、今年の大河ドラマ「麒麟がくる」・・・。
くだらないなあと思いつつ、毎週、結構、楽しみに見ています(笑)。
こんなに楽しみに見るのは、何以来か・・・、ちょっと、記憶がないですねえ。
ここ数年、つまらないのが続いたから、本格時代劇に飢えていたとかいうことでしょうか。
織田信長が、父、信秀からポカリとやられるシーンなんて、初めて見ましたよ。
それどころか、信秀と信長は別の場所に住んでましたので、通常、信秀と信長の父子関係が映し出されるシーン自体が珍しく・・・、かなり、新鮮でした。
(信秀は、信長さんに、唯一、ポカリとやれる存在だったでしょうから、ここを置いて、信長が叱られるシーンなどないわけで(笑)。)
もっとも、奴隷から戦災孤児から町娘から、みんな、あんなに、「今、控え室でもらいました」みたいな、真新しい、折り目が付いた衣服を着ているところだけはいただけませんね(笑)。当時は化学繊維どころか、木綿も出回ってませんから、着物一着作るには、麻を糸に撚って、それを一本一本、機織りして・・・で、現代人が考えるよりはるかに大変な手間がかかったようです。
(テレビには出ませんが、庶民の中には、真冬でも素っ裸の人もいたと思いますよ。どこまで本当かは知りませんが、中国では戦前まで資本家に搾取されて、服を着たことがない人たちがいたという話も聞いたことがありますので。)
ちなみに、以前、古着屋で英軍放出のミリタリー・ジャケットを買ったのですが、物が物だけに、皆から、「よく、こんな戦死者が着ていたかもわからないような物を」と言われました。
でも、それは、私に言わせれば、衣食足りた現代日本人の驕り。
真冬に何も着る物がないってときに、「こんな誰が着たかもわからないような服!」なんて言ってられないでしょ。
もちろん、一応、洗濯はしましたけどね(笑)。
平太独白