「海は広いな大きいな~♫」の歌の作詞作曲って海無し県の群馬県出身の方だったんだそうですね。
なるほど、言われてみれば、海を見なれている人よりはむしろ、ソッチのほうがこういう歌詞を書きそうだな・・・という気がします。
やはり、毎日、海を眺めている人はそこにあるのが当たり前でしょうから、海に思いを馳せたり感動したりということが無いわけで・・・。
ちなみに、群馬県と言っても新潟まで行けば海水浴くらい・・・と仰るなかれ。
それは交通網が発達した近年の話。
私の祖父は三方を海に囲まれた福岡県の中部域の出身でしたが、16歳で博多に出てくるまで海を見たことがなかった・・・と言ってました。
明治、大正の頃は交通機関だって発達してませんし、何より、汽車(電車ではありませんよ。)に乗って海まで遊びに行ってくるなんてこと自体、あり得ない話だったはずで、親に「ちょっと博多まで海水浴に行ってくるから汽車賃ちょうだい」なんて言った日にゃあ、おそらく、親は腰を抜かす以前に、「息子は気が狂った・・・」と思ったんじゃないですか。
親だって、よほどの旦那衆でもない限り、汽車なんて乗ったことなかったでしょうし、子供だって何かしら親の手伝いをするのが当たり前でしたから、殆どボーっとしているような時間はなかったんじゃないでしょうか。
今で言うなら、小学生が「ちょっとマイアミまで海水浴に行ってくるから飛行機代ちょうだい」って言うような感覚に近かったのかもしれません。
この点で、子供は
子供らしくあることを許されませんでした。児童福祉法など無い時代であす。
子供は皆、程度の差はあったにしても、生きるために一刻も早く大人になることを求められた。
皆、早くから大人の間に入り、老成することを求められた。
「まだ子供なんだから」という悠長なことを言っていれば、他の大人に食い物にされて捨てられた。
南極のデビューしたばかりの若いオスペンギンが、大人たちから意地悪されて、海に落とされて死んでいる映像を見たことがあります。
でも、それがいい悪いではなく、大自然の現実。
ライオンも熊も他のオスの子供は食い殺します。
いい悪いではなく、生物は多かれ少なかれ、そうやって長い時間を過ごしてきたわけです。
二宮尊徳(金次郎)の子供の頃のに話にも、 大人の仕事を割り振られたが出来ないので、懸命に他の大人たちが喜んでくれるようにフォローをやったという話がありますよね。
庇護者があれば別ですが、庇護者なくして、子供が海に落とされたくなければそうするより他に方法がないわけです。
極論すれば、皆、生まれ落ちた瞬間から一刻も早く大人になるべく、宿命づけられているのが自然の世界だとも言えるでしょう。
事実、日本でも昭和30年代頃まで子供は子守や新聞配達、牛乳配達など、何かしら大人の仕事を手伝っていました。そう考えれば、我々から下の世代は、そういう経験をした人がいないとは言いませんが、上の世代に比べると少ないのは事実。
今、良い時代に生きているんだということは実感しておくべきだと思います。
平太独白