今、せっかくアップしたのですが、なぜか、消えました。
ばかばかしくてやってらんないので、さわりだけ書いてみます。
先日、車を修理に出したところ、「完成するまで、3時間ほどどこかで時間を潰してきてくれ」と言われたので、やむなく、周囲の地図を見ていると、「多々良浜古戦場の碑」という文字が。
さらに、近くには「兜塚」という文字も見える・・・。
すぐ近くには、多々良川という川が流れており、ここで、南北朝時代に足利尊氏が菊池武敏らを破った「多々良浜合戦」が行われたことは知っていましたので、もしや・・・と思い、行ってみました。
(↑多々良浜合戦の戦死者を祀った兜塚。)
(↑一方、こちらは「多々良浜古戦場の碑」。何か、古戦場の碑ではなく、国体か何かの記念碑のような。)
(↑でも、表題を見ると、「多々良潟の碑」とあり、「必ずしも、古戦場ということにはしてないんだ」と思ったけど、下の説明板を見ると、しっかり、「古戦場の碑だ」と書かれている。なーんか、作っている途中で、「そぐわない」とかいう意見が出て、こんな玉虫色のことになったんじゃないの?って気が。)
で、まず、戦いその物について、簡単に触れておきますと、この戦いは、建武3年(1336年)、後醍醐天皇の建武の新政から離反した足利尊氏が楠木正成や北畠顕家らに敗れた際、再興を賭して九州に下り、迎え撃った肥後国の菊池武敏、阿蘇惟直ら2万の軍と激突。
足利軍は約2千騎(太平記によると300)に過ぎず、尊氏は敵の大軍を見て戦意喪失。
切腹すると言ったが、尊氏の実弟、足利直義はこれを押しとどめ、自ら、奮戦して菊池軍を撃破。
結果、九州のほぼ全域を掌握した尊氏は再び、体勢を整え東上、摂津国湊川の戦いで楠木正成を破り、室町幕府を成立させた・・・と。
つまり、日本史の大転換を果たしたという意味で、極めて、エポックメイキングな戦いなのですが、これを詳述した物は殆ど見た記憶がなく。
おそらく、詳しいことはわからないのではないでしょうか。
ということで、実際に自分の足で行ってきたわけですが、疲れましたので、また後日に続くの巻。
もう消えないよな・・・。
平太独白