親愛なるアッティクスへ
昨日は、まったく、ついてない一日でした。
この記事を書いていたら、いきなり、蛍光灯が切てしまい、天気も悪かったので、それ以上、書こうに書けず、そのまま、書きかけならぬ、打ちかけにして、電球を換えようとしたら、これが、どういうわけか、古い蛍光灯が外れない!
蛍光灯なんて、迂闊に力を入れたら、割れてしまいそうだし、結局、器具ごと外して、最後は、ヒヤヒヤしながらも、力ずくで古くなった蛍光灯を外し、また、力ずくで新しい蛍光灯を入れ・・・で、ようやく、悪戦苦闘の挙げ句に、照明がつくようになり、それでは・・・と、記事の作成を再開したところ、今度は、夕方になって、やっと出来た!と思って、「送信」押したら、エラーが出て、半日かかって書いた記事が消えてしまいました・・・(泣)。
もう、こうなると、昭和20年8月15日の日本人状態・・・。
おまけに、帰宅したら、玄関で置き時計を足の上に落として、痛!状態・・・。
ということで、本日、ようやく、気を取り直して、再度書いてます。
で、最近ではゲームなどでも知られるようになってきた三国志ですが、この中に登場する数多の群雄たちの中でも、名門中の名門であり、最大の勢力を誇りながらも、優柔不断で猜疑心が強く、有能な家臣を持ちながらも、その助言に耳を貸すことが出来ず、ついには、曹操(後の魏の武帝)によって滅亡に追い込まれてしまった凡庸な人物として、袁紹という人が出てきます。
(まあ、日本で言うならば、今川義元というところでしょうか。)
ところで、三国志での「戦い」と言えば、多くの方はまず第一に
「赤壁の戦い」を思い浮かべられるかもしれませんが、確かに、これにより、曹操の統一は
頓挫し、
魏・呉・蜀の
三国鼎立時代を招いたという点では、政治的、歴史的には
エポックメイキング的な出来事だったでしょうが、内容的、戦史的にみる限りでは、
統一目前の
超大国が最後に残った
地方軍閥に足元をすくわれた・・・という程度の戦いにすぎず(むしろ、
第三勢力であった
劉備サイドからの視点が強いかと。)、そう考えれば、
最大勢力の
「名門」袁紹を、
新進気鋭の
「乱世の奸雄」曹操が
撃破したことでも、また、その後の曹操の
覇権を決定づけたという点でも、
「官渡の戦い」の方が、大いに見るべき点が多いように思います。
その「官渡の戦い」をかいつまんで説明しておきますと、
紀元200年、まず、大軍を擁して進撃してきた袁紹軍に対し、劣勢の曹操軍は、一丸となって、行軍中の袁軍の横っ腹を突く勢いを見せます。
これをみて、袁紹は大軍の常道として、
包囲殲滅を企図し、曹軍の後方に回り込むべく、
別働隊を割いて進撃を命じ、本軍は横っ腹を目指して突撃してこようとする曹軍を迎え撃つべく、行軍の向きを変えたところ、曹軍は突如として、
90度向きを変え、袁軍の別働隊に襲いかかるや、袁紹の本軍が救援に向かう間を与えず、これを撃破し、主将を打ち取ることに成功します。
これは、
両者の用兵の差というよりも、
両軍の練度の差だったでしょう。
明日に続く。
平太独白