親愛なるアッティクスへ
先週末よりの続きです。
この本は、大まかに「戦法編」、「策略編」の二つに分けられていたのですが、最初、私は枕元に置いて読んでいたのですが、「戦法編」はなかなか、読み進まず、要した時間(・・・というよりも、歳月)は、2~3年くらい(笑)かかったのですが、それが、そこを読み終えて、「策略編」に移った瞬間、自分でものめり込むのがよくわかるくらいに読み進み、何と、2~3日で読み終えてしまいました。
私にとっては、自分自身の本質を鼻先に突きつけられたような一事でしたが、以来、この方の著書は、手当たり次第に買い漁り、今でも、氏の大半の著作は所蔵しております。
その氏の著述で印象に残ったところを、いちいち、採り上げていると切りがありません、その著作の中から、本回の趣旨にあったところのみをご紹介させて頂きますと・・・。
かつて、第二次大戦中、
日中戦争の
最前線では、見張りに立った兵士がたびたび、
失踪するということがあったそうですが、そうなると一応、行方を捜さなければならないわけで、そんなとき、部隊の中に、不思議な人気を持っていた
古参兵がいて、彼は、中国軍の中になにがしかのルートを持っているのか、あるいは、中国側の兵士たちにも人気があったのか、中国軍の中に入っていって、その兵士を見つけてくるのだそうです。
ところが、大抵、見つかったときは
殺されていることが多く、中には、埋められていたのを掘り返したような
ボロボロに腐った遺体もあったとか。
ところが、驚くべきは、その古参兵は、その腐って、
異臭を放つ遺体を車の
助手席に載せ、まるで、
愛おしい我が子を抱きかかえるようにして帰ってくるんだとか。
兵士たちは、誰も、その腐乱した遺体に、進んで触れようとする者はいなかったそうですが、同時に、誰もが、その光景を見て、「あ、俺も死んだら、この人にだけは、こんな風にしてもらえるんだな。」と思ったと言います。
少し違いますが、かつて、
エディ・タウンゼントという
ボクシングの
名トレーナーがいましたが、この人の言葉で、忘れられないものがあります。
「
世界チャンピオンになった人の
控え室には、僕が居なくても、たくさん、人が来てくれる。でも、
負けた方の控え室には
誰も来ない。だから、僕は負けた方の控え室に行くんだ。」
よく、「友達が出来ない・・・」と嘆く、人生相談などを耳にしますが、そんな方は、もしや、勝った側の控え室にばかりに足をお運びになっておられる・・・と言うことはないでしょうか?
負けた選手が、もう一度、
チャンピオンになることはない・・・という決まりもないんですけどね・・・。
平太独白