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マンネルハイム元帥に学ぶ国家としての良寛の教え。
親愛なるアッティクスへ

良寬という人の名言に、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候。これが災難をのがるる妙法にて候」というのがあります。
この点は、国家においても、同じ事が言えるのではないでしょうか?

昨今の日本外交の閉塞感に伴い、感情論ばかりが先走る国内世論・・・。
これらの人たちは、論拠の是非以前に、対中・対米などのすべての関係で、もしやするとすべてに勝とうと思っているのではないでしょうか?
すべてに勝つなどというのは、日本のような小国にとって、普通に考えれば出来得る話はないのですが、そう言うと、大体、返ってくるのは、「アジア諸国との連携を深めて中国牽制すべきだ」、「EUと結んで、アメリカに対抗するべきだ・・・。」などというような安直な意見です。

日清戦争後三国干渉の際も、ときの明治政府の選択肢としては、
拒否 
②列強のバランスオブパワーをうまく利用して回避 
受諾
・・・の三つがあったと言われていますが、この中で、もっとも厄介なのが②だと思います。
②は、一見、良さ気に見えますが、国家間の利害というものは、確かに、自国の利益の為に第三国を排除してくれることもありますが、逆に、「強きを助け、弱きをくじくことで利を得る」場合もあり、また、仮に排除してくれたとしても、その国も別にボランティアで排除してくれたわけではないのですから、その国が送り狼になってしまう・・・ということも無いわけではなく、実際に、そうなってしまったケースも決して少なくはなかったようです。

無論、ナポレオン戦争後の「会議は踊る」で有名なタレーランの例もないわけではありませんが、これは、極めて苦肉の策的なイレギュラーなケースであり、あまり、国家指導者が取るべき対応としては現実的だとは言えないでしょう。
(そもそも、日本は先の大戦に負けたときから、アメリカの軛の下に置かれているわけで、それから抜け出したいのなら、もう一度、戦争してアメリカに勝つか、アメリカの力が弱まるのを待つしかなく、だとすれば、嫌な目にあわされようが、信長に我が子の首を差し出した家康よろしく、とにかく、我慢するしかないように思います。)

そして、この点で、欧米列強の侵略に対して、独立を守ったタイの対応と並んで、好事例のひとつとして挙げられるのが、第二次大戦中のフィンランドの指導者、マンネルハイム元帥「勇気ある妥協」です。
以下、我が敬愛する大橋武夫氏の著書「ピンチはチャンス」から一部、抜粋しますと、
---------------------------------------------------
1939年9月1日、第二次世界大戦勃発とともに、ソ連はフィンランドに対し以下の条件を強硬に要求してきた。
一、カレリア地峡の国境より40kmほどの部分の領土割譲。
二、フィンランド湾内の四島の譲渡。
三、ベツモア地区内の漁夫半島の譲渡。
四、ヘルシンキ西方120キロのハンコウ湾にソ連海軍基地設置。
これに対し、当時、フィンランド軍を指揮していたマンネルハイム元帥は「承知せよ」と進言したが、政府はこれを拒否。
そのため同年11月30日、ソ連は50万の大兵をあげて、フィンランドに侵攻してきた。
フィンランド軍13万は、マンネルハイムの指揮のもとに、雪と複雑な地形を利用して善戦し、ソ連軍に20万もの損害を与えて大いに苦しめたが、頼みにしたスウェーデンの援助もなく、国際連盟の仲裁も実効がなくて、漸次苦境に陥り衆寡敵せず、翌年2月、マンネルハイムの切なる進言を納れて、ついに無条件降伏した。

このときの、ソ連側の和平条件は、
一、カレリア地峡の割譲。
二、ラドガ湖北岸地帯の割譲。
三、ペツアモ地方の割譲。
四、ハンコウ半島の譲渡。
という、当時のフィンランド大統領が発狂したほどの苛酷な条件を押しつけられた。
結局は、無駄な血を流して、和平条件を厳しくしただけ・・・という結果に終わったわけで、開戦前に、マンネルハイムの進言に従うべきだったのである。

1941年6月22日、今度は独ソ開戦となるや、フィンランドは進攻してきたドイツ軍とともにソ連を攻撃することになり、フィンランド軍は8月末には1940年に失った領土を回復。
マンネルハイムは将来のことを考え、「ここで停止する」と強硬に主張したが、ドイツ軍はこれを許さず、フィンランド軍は東カレリアを攻略してムルヤンスク~レニングラード鉄道に迫るという有利な態勢となった。
1944年1月、ドイツ敗退に伴いソ連軍は逆襲に転じ、6月、カレリア地峡の国境を突破したため、フィンランド軍は苦戦に陥り、8月1日、リーティ大統領は辞任し、後を受けたマンネルハイムは9月14日、ソ連と停戦協定を結んだ。
主なる条件は、
一、ポッカラ地区(ヘルシンキ西南万)地区を50年間ソ連に租借させる。
二、オーランド諸島(フィンランド湾出口)を非武装化する。
三、ペツモア地区をソ連に割譲する。
四、3億ドルの賠償金を6年以内に支払う。
五、1940年の国境を認める。
9月19日、フィンランド国会は200人中108人の賛成をもって、涙をのんでこの降伏条件を受諾し、マンネルハイムは「神よフィンランドを救い給え」の末文で終る停戦命令を発した。

フィンランドは勝てなかった。
しかしマンネルハイムの「善戦バックとする勇気ある妥協」によって、ソ連軍による軍事占領を辛くも避け、ともかく息の根をとめられることだけは免れた。
小国のとるべき国家戦略として学ぶべきものが多い。
---------------------------------------------------
マンネルハイム元帥は、出来ないことをやらずに、出来ることの中で精一杯のことをやったと言えるのではないでしょうか。

以前、平太郎独白録 「薩英戦争にみる外交交渉」で出てきた「天皇の世紀」というドラマの中で、薩英戦争後の御前会議において、強硬派の面々は、敗戦を認めることについて、「されば、薩摩の面目は如何する!薩摩の威信は地に落ちるぞ!」と迫る場面がありました。
これに対しての、劇中での大久保利通の言葉こそが、すべてを総括しているように思えます。
「威信が地に落ちても良かとやごわせんか。最後に勝てば良かとやごわせんか・・・
これこそが、「敗北を免れる妙法にて候」ではないでしょうか、御同輩。
                        平太独白
by heitaroh | 2006-01-12 08:51 | 国際問題 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 竹花 at 2006-01-11 19:25 x
初めまして。トラックバックいただきましてありがとうございます!マンネルハイム閣下はやはり偉大です。
Commented by へいたらう at 2006-01-11 20:51 x
> 竹花さん

この名前でヒットする人がいるとは思いませんでした(笑)。
ゲームになってるんですね。
日本ではあまり、なじみがない人かもしれませんが、欧米では結構、有名なんでしょうね・・・。
Commented by hajime_seki at 2006-01-12 11:29 x
さっそくのご返事、ありがとうございました。ご指摘の主旨、たいへんよく分かりました。私のほうこそ、くだんの番組は他の仕事をしながらチラチラと観ていたくらいで、おっしゃっているポイントはあまり頭に入っておりませんでした。「自分たちの任期中のことしか考えない」という点は、きわめて現実的で、よくある「人間行動のパターン」ですね。私は大阪市民ですが、ほとんど市を破綻の淵にまで追い込んだのは、これまで、いや、いまだに棲息している、「自分の在任中のことと、保身と、老後保障のことしか考えてない」市議連中、および組合幹部どもですから。
こちらこそ、今後とも宜しくお願い申し上げます。(たいへん硬派な内容に感心しております。小説も、ぜひ拝読したいものです)
Commented by へいたらう(管理人) at 2006-01-12 14:05 x
>hajime_seki さん

過分なお言葉有り難うございます。

大阪市に限らず、そういった現象は日本中で起きていることであり(我が福岡市も大阪の轍を踏むべく、オリンピックに立候補しました(笑)。)、だからこそ、こういったものが、個人の資質などよりも、それが許されるシステムにあるのだろうと思います。

拙著共々、今後とも、よろしくお願いします。
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国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し独自の歴史観で語ります。
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プロフィール
池田平太郎

昭和36年 福岡市下人参町(現福岡市博多区博多駅前)で代々大工の棟梁の家に生を受ける。

昭和43年 博多駅移転区画整理により、住環境が一変する。
物心付いて最初に覚えた難しい言葉が、「区画整理」「固定資産税」

以後、ふつー(以下?)に現在に至る。

平成16年 関ケ原の戦いで西軍の総大将に担ぎ上げられてしまったために、大国毛利を凋落させた男、「毛利輝元」の生涯を描いた小説、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を出版。

平成18年 老いた名将信玄に翻弄される武田勝頼を描いた[死せる信玄生ける勝頼を奔らす]を出版。

平成20年 共に絶版となる。

平成22年 性懲りもなく、黒田如水・長政・忠之、三代の葛藤と相克を描いた「黒田家三代―戦国を駆け抜けた男達の野望」を出版。

平成23年 処女作「傾国の烙印」がネット上で法外な値段で売買されている現状を憂慮し、「毛利輝元 傾国の烙印を押された男」として復刻再出版

平成25年 前作、「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす」が大幅に割愛された物だったことから、常々、忸怩たる思いがあり、文庫本化に際し、新たに5倍近くに書き足した「死せる信玄 生ける勝頼を奔らす 増補版」として出版。

平成29年 兄、岩崎彌太郎の盛名の影に隠れ、歴史の行間に埋没してしまった観がある三菱財閥の真の創業者・岩崎弥之助を描いた、「三菱を創った男岩崎弥之助の物語 ~弥之助なかりせば~」を出版。

わかりやすく言うならば、昔、流れていた博多のお菓子のCM、「博多の男は、あけっぴろげで人が良く、少しばかり大仰で祭り好き」を聞き、「人が良い」を除けば、何とピッタリなんだと思った典型的博多人にして、九州データブックという、まじめな本に「福岡県の県民性」として、「面白ければ真実曲げてもいい」と書いてあったことに何の違和感も持たなかった典型的福岡人
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