先日、取引先の若者が「体調不良のため静養しますので」と言って退職の挨拶に来ました。
あまり、多くは語りませんでしたが、彼を見ていて、ふと思ったことがあります。
フジテレビジョン(現フジ・メディア・ホールディングス)初代社長となった人に水野成夫がいます。
明治32年生まれ、旧制静岡中学(現・静岡県立静岡高等学校)から、旧制第一高等学校を経て、大正13年、東京帝国大学法学部卒業という経歴からわかるように、とにかく、才智の塊のような人でしたが、同時に、トップになったかと思えば最下位に沈むという学生時代の成績そのままに、その人生はきわめて毀誉褒貶の激しいもので、文学に凝ったかと思えば、一高時代は猛者として鳴らし、東大時代には共産主義運動に身を投じ、獄中で転向。
翻訳家・フランス文学者として「神々は渇く」でベストセラーとなったかと思えば、戦後は一転、経済同友会幹事、国策パルプ社長会長、フジテレビ社長、産経新聞社社長を歴任、財界四天王の一人とまで呼ばれるようになる・・・と。
でも、言いたいのはこの人の華麗なる遍歴・・・ではなく、そのお母さんの話。
水野が中学四年の時、例によって文学に耽溺した挙句、文学好きの友人らとともに五年生への進級試験をすっぽかして伊豆修善寺へ逃避・・・。
伊豆の自然に触れ、詩の朗読などをして過ごしていたが、元々が衝動的に思い立っての・・・、まあ、いつの時代にもある若者のノリで始めたこと。
あっという間に資金が底をついたことから背に腹は代えられず、やむなく水野が母に送金依頼の電報を打ったところ・・・、叱責の声が返ってくるかと思いきや、折り返し、母から多額の現金と共に「人生は長い、ゆっくり静養せよ」と書いた手紙が送られてきたとか。
「甘い!」と言われるかもしれませんが、私も五十代も半ばになり、自分の三十代から五十代までがあっという間だったこともあって、若者らには、
「人生は短い、ボーっとするな、あっという間に老人になるぞ、急げ急げ」と、つい尻を叩きがちだったことに気づきました。
でも、人生のゴールがぼちぼちちらつき始めたオヤジと、まだまだ、先が長い若者を一緒くたにする必要はないんですよね。
若いうちは、何も根詰めて走るばかりでなく、必要とあれば、「人生は長い、ゆっくり静養せよ」もありだと思うんですよ。
無為に過ごす日々も長い人生の間では大切なことなんじゃないかなと。
ちなみに水野は、母の手紙を見て、思うところがあったらしく、五年進級の追試を受けた上で、日本中の秀才という秀才が集まる一高受験にその後の人生すべてを賭けようと考え、そのため、受験後は山のような参考書を宿の女中にやると、さっさと帰郷。
ところが、自己採点の結果はあまり芳しくないものであったこらしく、母に「不合格の可能性が高い。その場合は進学を断念して
船乗りになる」と話したところ、母は一言、「男がそうと決めた以上、最後までやり通しなさい」と言ったと。
この辺り、如何にも明治という時代の空気ですが、要は「若者には
休息する権利がある」ということなのでしょうね。
平太独白