福岡市南区に穴観音という所があります。
穴の中に観音様が彫ってあるから穴観音。
わかりやすい名前です(笑)。

ここは古墳だったのですが、誰かが後年、ここに観音様を彫ったわけですね。
ただ、元々、古墳はここ一箇所だけではなく、一帯には古墳がたくさんあったそうですが、1600年、関ヶ原の戦いの後に新たに筑前の領主と成った黒田長政が自らの居城、すなわち、福岡城を築く際に辺り一帯の古墳を壊して石を持って行ってしまい、ここだけになったのだとか。
(当時の築城は廃物利用が多かったそうで、他にもそれまでの国主の居城があった福岡市東区の名島城などからも多く持ってきたと聞いております。)
結果、福岡城の石垣には今もここと良く似た石が使ってあったりするんだそうです。
で、この穴観音ですが、福岡城よりの緊急脱出用「秘密の抜け穴」が通じていたという伝説があります。
ここは今は、曹洞宗のお寺になっているのですが、境内には昭和10年に建設されたという赤穂浪士の墓があり、抜け穴はこの辺りにあって、これが出来た際に塞がれたんじゃないか・・・とのことでした。
ちなみに、ここには、「カップルがここでイチャイチャしてたら、突然、石垣から石が一つゴロンと転がり落ちて、見てたら中から誰か出てきて、石を元に戻してそのままどこかに行った・・・」などという都市伝説(アリエネー(笑)。)などもあります。
(こういうことを言い出すのが福岡人です(笑)。)
ちなみに、この赤穂浪士の墓ですが、首を傾げられる方も多いと思います。
それもそのはず、赤穂浪士の墓は東京品川の泉岳寺にありますし、刑が確定するまでの間、各浪士はいくつかの藩に分散されて収容されていましたが、福岡藩はその中にすら入ってないわけで・・・。

どういうことかというと、昭和の初めに東京観光に行った人が品川泉岳寺にて赤穂浪士の墓を見て痛く感銘を受け、帰郷後、泉岳寺にあるそれとそっくり同じ物を作った・・・と。従って、墓はあっても遺骨はなく、血のついた太刀を洗ったという手水鉢はあっても血は流れてないわけです。
他県の友人にこれを見せると、「まあ、今で言うテーマパークだな」と言いますが、ただ、かといって、これはそれほどいい加減な想いで造られた物でもなく、今でも12月14日の討ち入りの日には義士祭が行われ、信仰の対象として、私の祖母や母などは毎年行ってましたから。
で、話を本題に戻して、抜け穴の件ですが・・・、次回に続きます。
平太独白
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