親愛なるアッティクスへ
「神は自らの領域に近づこうとする者を愛さない」 by平太郎
芸術家、思想家など、神の領域へ近づこうとする者の末路は悲劇であることが多い・・・。
いつだったか、日本シリーズを見ていると、何を考えたか興奮したアナウンサーが、「まさに、『世間は生きている。理屈は死んでいる!』・・・。これは勝海舟の江戸無血開城の時の言葉です」と言っていましたが、こういった場面でこれが的確な表現かどうかは別にして(笑)、言葉自体は何故か心に残りましたね。
私的には、「理屈は死んでいる。しかし、世間は生きている」の方がぴったりくるように思えますけど、要は 勝の言いたかったことというのは、「この期に及んでは、もうおまえさんらの理屈は通じないよ。 おまえさん達に関わりなく世間は動いてるんだ。理屈じゃねーんだ!世間は生きてるんだよ!」ってところなのでしょうが確かに思い当たる節もあります。
「理屈通りには世の中は動かない」
しかし、同時に、私には「世界恐慌が来ようが、国が滅ぼうが、そこに人々がいる限り、人の営みというものは(形は変わっても)無くなることはない」というふうにも聞こえました・・・。
ちなみに、昔、テレビで「人生とは?」などとゲストに問うていく番組があっていたのですが、私はそう問われれば、「
人生とは生まれて生きて死ぬ。ただ、それだけのことである。そんな、大仰なものではない。」と答えます。
「
人生などと言うのは
現代人の驕りである」と。
違いますか?
江戸時代の百姓の権兵衛さんに、果たして人生などあったのでしょうか?
縄文、弥生時代の庶民に「なぜ、生きているのか?」と問うたならば、「死にたくないから」と答えるのではないでしょうか・・・。
戦前までは、人々にとって
「死」とは今よりもっと身近なものだったように思います。
寿命自体も人間五十年だったわけですし、ましてや、廃刀令以前は腰には
人斬り包丁を持っていた人も多かったわけですし、また、
医学、
栄養以前に、
衛生、
貧困などの社会制度上の諸問題を考えれば、昔の人たちにとっては死というものは、今の人たちよりも、もっと身近なものだったと言えなくはないでしょうか?
ちなみに、その番組で「
親友とは?」という問いもあっていましたが、こちらは答えるなら、
「心の凹凸に、より最もぴったりとフィットする人」というのが、私の解答です。
如何でしょうか・・・?御同輩!
平太独白