気がつけばもう、10月も残り一週間を切りました。
今月はわずか2回しか起稿しなかったのですが、当然、これはこのブログを始めて以来、最低レベルであります。
まあ、今月はぎっくり腰になったということもあったのですが、それ以上に、やはり、私の中でブログに対する興味が著しく無くなりつつある・・・ということが大きいように思います。
その意味では、私的には、もう、ブログというツールそのものが使命を果たし終えつつあるような気もしておりますが、如何でしょうか。
ということで、前置きはこれくらいにして、本題です。
先日、九州国立博物館に行った折に、久しぶりにちょっとだけ、太宰府天満宮に行ってきましたので、せっかくなので、太宰府ネタで行きたいと思います。
まず、大宰府といえば、
学問の神様で有名ですよね。
(ここの宮司の子どもは絶対に名門進学校に通る・・・という伝説があります。まあ、ここの子が落ちるということは神社にとっては死活問題なんでしょうね(笑)。まあ、実際、通ってるらしいですけど、それはそれで子供には余計なプレッシャー以外のなにものでもないわけで・・・。)
ここ、当然、発祥は
菅原道真に始まるのでしょうが、菅公のお墓はどこにあるか御存知ですか?
はい、ご賢察の通り、天満宮本殿の真下にあるんです。
つまり、太宰府天満宮は日本でも珍しい、人の
「遺体」がある神社なんですね。
(通常、神社は遺体どころか、葬儀でさえも不浄として嫌いますからねえ。でも、私はこれで良いと思うんですよ。
神仏混淆こそが、日本の歴史の中で紡ぎだされてきた、あるべき姿なのだと思ってますから・・・。)
ちなみに、
「太宰府」と
「大宰府」の違いはおわかりでしょうか。
天満宮が太宰府で、政庁跡が大宰府。
地域に馴染みがない方には少しわかりにくいかもしれませんが、元々、朝廷の出先機関である
「大宰府政庁」があり、形の上では菅公は一応、ここに左遷されてきたわけです。
そして、亡くなった後に・・・、まあ、少し曲折はあったようですが、政庁から少し離れた所にあったお墓の上に神社が造られ、「太宰府天満宮」となった・・・と。
ということで、次回に続く。
平太独白