以下、数年前、私が初めて中国へ行ったときに当時、知人に書き送った物です。
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中国・・・、それは、一言で言い表すなら、
「巨大な不安定さ」、あるいは、「不確実さ」と言い換えてもいいように思えます。
何をやるにしても、とにかく、
巨大で、それでいて、
「雑」。
この辺は、
アメリカにも共通することなのかもしれませんが、中国の場合、それが不安定なまま、漠然と存在しているように感じられました。
何でもかんでもトラックの荷台に放り込み、とにかく上からシートを被せて、ロープでしばったと言う状態。
その意味で、この国を「中国」とひとくくりに呼ぶのは、大変、危険なように思えます。
富裕層と貧困層、都市部と地方、漢民族と異民族という以前に、古来からこの国では、貴族階級は庶民階級を同じ人間としてさえ見ていなかったのではないでしょうか?
なぜか私にはそう思えました。
その意味で、この国に、本来、
共産主義は似合わない。絶対多数の貧困層の支持を集め、多様で、不安定な国民を一つの枠の中に押し込めておく為の手段として、指導者層が選択しただけのことのように思えました。
指導者層にとっては、
有無を言わさずタガを締めることが出来る共産主義の方がこの国をまとめやすいということでしょう。
元々、この国は
流民の国であり、その巨大な人口を養うには、どうしても、慢性的に食料が不足する傾向があり、王朝が若々しさを保ち、
善政を施しているうちはともかく、やがて、組織が動脈硬化を起こし、役人が私服を肥やすことに汲々としてくると、すぐにそのツケは、底辺に及び、すると、庶民は
流民と化し、瞬く間にそれが膨大な人数に膨れ上がる。
そうすると、それが
農民蜂起に繋がり、やがて、既存の王朝を揺るがし、自分たちの
食を確保してくれる新たな
王朝の成立として結実する。
漢の高祖以来、
明末の李自成まで、それを一つの方程式として繰り返す事で、中国は常に
新陳代謝を繰り返してきたのでしょうし、その最後の実践者が、
長征を率いた
毛沢東だったと言えるのかもしれません。
そして、ある意味、これがこの国に一番合った活性化の仕方のように思えます。
これがこの国、ひいては、東アジアに民主主義が芽生えなかった、いや、根付かなかった一因のように思えます。
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平太独白