先日、太宰府の九州国立博物館に行った帰り、久々に「お石茶屋」に行ってきました。
ここは太宰府天満宮の一番奥まった所にあるお休み処なのですが、今となっては知る人ぞ知る・・・・という伝説を持つお店なんです。
ll>まあ、天満宮を訪れた人で、わざわざ、ここまで訪ね来る人は少ないでしょうね。
この日も、ここに至る道はしっかり工事中のクレーン車が塞いでおり、一瞬、もう無くなったか・・・と覚悟したほどでしたが、でも、他店の軒先の道無き道を行くと・・・、しっかり開いてました。
つまり、こういう扱いをされるポジションにある・・・というわけです。
が、それでも私が行った時間は昼飯時を外していたのですが、にも関わらず、結構、お客さんは入ってましたね。
私的には少し意外だったのですが、まだ、
おいっしゃんの伝説は生きているということなのでしょうか。
で、この店の店名にもなっている
「お石」とは、大正から昭和にかけて、世の名だたる男たちをことごとく魅了した美人女将の名で、博多では「さん」が訛って「しゃん」になるので、「おいしさん」が訛って「おいっしゃん」として、私の父の時代くらいまでは男と名がつく生き物であれば、知らぬ人はいないと言われたほどの美人だったそうです。
事実、
佐藤栄作元首相は運輸省国鉄二日市駅長時代は毎日通い、総理になってから後も事あるごとに足を運んだと言われ、また、
麻生太郎氏の曽祖父はこの人が回り道しなくてすむようにトンネルをプレゼントしたなどと噂されたほど。
他にも女将目当てにこの店に足を運んだのは、
高松宮殿下、田山花袋、野口雨情、根津嘉一郎、犬養毅、松岡洋右、松永安左エ門・・・などなど、多士済々の顔ぶれ。
でも、私が生まれたくらいの頃までは
「鯉取りまあしゃん」と
「おいっしゃん」は知らん奴はおらんと言われたほどの地元の有名人だったんですが、今となってはさすがにもう、知る人ぞ知る・・・って感じになってます。
で、この「おいっしゃん」。
店には中年期以降くらいの写真が飾ってありましたが、確かに若い頃は綺麗だったんだろうな・・・という感じでしたが、決して小柄な人ではなかったそうで、今なら、間違いなくモデルさんとして引っ張りだこだったでしょうね。
また、性格も体格同様、大らかな性格で人に好かれたとか。
兵どもが夢の跡・・・ですな。
平太独白