昨日、マーくんこと、楽天の田中将大投手が日本ハム戦に先発して開幕20連勝を飾り、昭和32年(1957年)の西鉄ライオンズの「鉄腕」稲尾和久氏のシーズン20連勝のプロ野球記録に並んだ・・・と。
無敗でのシーズン20勝到達は史上初めてで、昨年からの連勝記録24を更新、さらに、ルーブ・マーカード(ジャイアンツ)が記録した開幕19連勝の世界記録も101年ぶりに更新だとか・・・。
(↑福岡人的には新聞の見出しに「稲尾」の文字が並ぶと、それだけで少しウルウルっときてしまいます。ちなみに、福岡では今だに、「稲尾」ではなく、
「稲尾さん」です。)
で、実は昨日は、マーくんの陰に隠れてまったく注目されませんでしたが、
福岡ソフトバンクホークスの
攝津正投手も15勝目を挙げたんですよね。
つまり、彼は例年ならてっぺんにいる数字を残してるんですよ。
ところが、今年に限っては、上にちょっと異常な数字を残している選手がいるという「不運」があるわけで・・・。
この点で、私には思い起こされたことがあります。
それが、先頃、亡くなった往年の
東映フライヤーズの名投手・
土橋正幸氏の存在でした。
土橋氏は
通算162勝を上げ、また、1試合での奪三振記録を打ち立てるなど、当時を代表する名投手だったわけですが、どういうわけか個人タイトルには縁がなく、特に私が生まれた昭和36年(1961年)にはパ・リーグ唯一の30勝台である30勝に加え、防御率1.90という成績を残したにも関わらず・・・です。
なぜか?この年、30勝台はいなかったけど、40勝台がいたんですね。
それが、日本記録の
42勝を上げ、防御率も
1.69、さらに、14敗もしていながら勝率一位も獲得してタイトルを独占した、福岡人をして「神様仏様稲尾様」と呼ばしめた
稲尾和久投手の存在です。
もっとも、それほどに日本記録を更新し、投手のタイトルを総なめにしたにも関わらず、稲尾さんは1つだけ、あって当然のタイトルを逃しております。
それが、「最高殊勲選手賞」(現在は最優秀選手賞)、すなわち、
M.V.P。
この年、これだけの活躍をしたにも関わらず、M.V.Pは優勝した南海ホークスの
野村克也氏が獲得。
(この年、野村さんが獲得したタイトルは本塁打王
(29本)だけ。打率に至ってはベスト10にも入らない.291・・・。)
今ではちょっと考えられないことですが、当時は「優勝チームから選出」という制約があったそうで、2年後の昭和38年(1963年)に西鉄が優勝した際には今度はこの制約が外されいたことから、
28勝を挙げた稲尾さんではなく、当時のプロ野球新記録となる
52本塁打を記録した野村さんが選ばれた・・・と。
おそらく、当時の西鉄ファンは皆、釈然としないものを感じたんじゃないですかね。
まあ、ともあれ、兵どもが夢の跡、土橋翁が逝ったこの年、田中マーくんが次々に稲尾さんの記録を更新し、摂津が霞んでしまう・・・というのも、いささか、因縁めいたものを感じるわけです。
平太独白