実はこの鉢の底川シリーズを始めるに当たって、話を上流から始めるべきか、下流から遡っていくべきか・・・で結構、迷いました。
順序良く上流から始める上で問題となってきたのが川の起点となる源流のすぐ近くで合流しているこの川(↓)の存在です。
地図(↑)でもおわかりのように、南から別の川が合流してきてますよね。
途中、ぶつ切りのようになってますが、おそらく、点線で補足したように暗渠となって繋がっていると思われ・・・。
つまり、これをして、ここが
鉢の底川の源流だと決めつけて良いのか・・・と。
おそらく、この一帯は那珂川の水かさが増えた時には水が溢れて合一となり、水かさが減った時には合流できなかった水が別れて分流となるということを繰り返してきた地域だと思うんですよ。
で、当然、この、合流している川も調べて来ましたが、こちらの源流まで遡ると本題から大きく外れるわけで、こちらは、後日、このシリーズが完結した後で、番外編として補足しようということにした次第です。
で、結論から言えば、この川は鉢の底川ではなく、今も地名として残る
五十川で、拙い線書きで恐縮ですが、ほぼ、右の図のとおり(←)に今も流れが確認できるようです。
ただ、これも、流れを地図の上でですが、詳細に見た限りでは、現福岡市南区老司にある井堰に注いでいるそれを源流として良いのではないか・・・と思ったのですが、ただ、その五十川もこの付近に来ると白水川などとさらに合流分散を繰り返しており、果たして、それだけでここを源流と決めつけて良いのか・・・と。
正直、「困惑」という表現がもっとも相応しい心境だったのですが、そのことはこちら(←)があっさりと解決してくれました。
五十川神社にある碑ですね。
これによると、五十川は「那珂川老司井堰から取水する」と書いてありましたので、ほぼ、これで間違いないだろうと・・・。
ついでに言うと、五十川は古書には「五十構村」、「牛持(時)構村」、「午時講村」とあるそうで、おそらく、「ごじっか」に「五十川」という字が当てられたのでしょう。
ちなみに、五十川は「ごじゅっかわ」ではありませんで、
「ごじっかわ」です。
見事に「ごじゅっかわ」では変換しません。
で、その五十川の源流ですが、一応、ここ(↓)でした。
鉢の底川と同じく、かつては農業用水として堰の上流で取水していた物に替わって、堰をまたいで下流でも接続している・・・と。
ということで、駆け足でしたが、大団円~と。
平太独白