このシリーズ、最後の最後まで来て、すっかりご無沙汰になってしまいました。
ていうか、ここ数ヶ月、色々あって本当に更新サボりすぎました。
ということで、前回の続きです。
いよいよ、佳境(?)です。
蛇行しながら
鉢の底川と共に進んできた、かつての旧道・
往還通り(現人参通り)ですが、この画像(↑)の先で、一応、川とは別れを告げます。
一応・・・というところがミソなのですが、この画像(↑)でおわかりの通り、直進する道と右折する道に分かれてますよね。
正確には、五叉路なのですが、他は置くとして、今では直進が付け足しで、通り自体は右にカーブしている・・・と思われるでしょう。
が、実は直進しているのがかつての鉢の底川を伴った往還通りで、右カーブしているのは昭和40年前後の
博多駅地区土地区画整理によって後から作られた道なんです。
ただ、当時はクリークの名残なのでしょう、以前も申しましたように一帯にはドブ川があちらこちらに走っており、この右カーブしている現在の道の方向にもドブ川が流れておりました。
おそらく、現在の博多駅前二丁目方向からの生活排水を鉢の底川に注ぎ込む為の物だったと思いますが、この辺はとにかく、区画整理によって根こそぎ変わってしまいましたから、もう、窺い知る痕跡は何もありません。
で、この現在の人参通りに別れを告げ、直進して旧往還通りを進みますと(↑)、やがて、ビルに突き当たってしまいます。
つまり、鉢の底川はかつて、このビルが建つ前は、この部分を真っ直ぐに流れていた・・・と。
で、こちら(↑)の矢印方向、つまり、この区画の向こう、現在のキャナルシティへと至る道に抜けていたということですね。
ちなみに、この道はかつての
国鉄鹿児島本線・筑肥線ですので、川は国鉄の線路の下を潜っていたということになります。
次回に続く。
平太独白